続日本100名城

なえぎじょう

苗木城

岐阜県中津川市

別名 : 霞ヶ城、赤壁城、高森城
旧国名 : 美濃

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苗木城
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みんなの口コミ

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眼下にリニアが走る予定 (2024/11/04 訪問)

 今年も苗木城へ行って来ました。もう少し葉が落ちてから行くつもりでしたが、近くへ来たので寄ってきました。この城の魅力の一つは自然の巨岩がそのまま活用された石垣です。年代によって積み方も異なっています。眺望もよいし何回来ても飽きない城です。
 振替休日の日に行きましたが、かなり混んでいました。山城ながら近くまで車で行ける利便性が良いことも登城者が多い理由のひとつでしょう。天守展望台に「リニアが通る橋を造っています 第二木曽川橋りょう」の案内が張ってありました。リニア新幹線が開通すると木曽川を渡る列車が天守展望台付近から見えることになるので鉄道ファンも多く登城するようになるのでしょうね。八大龍王、清水門方面は、まだ進入禁止となっていました。落石のためらしいですが、いい遺構があったと記憶していますので残念です。

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テトミイア

自然の巨岩の石垣と絶景の展望台 (2024/09/26 訪問)

最も城跡に近いA1駐車場(無料)に車を止めて出発。
入場料は無料
山城ということもあり、さすがに車椅子では無理でしたが、杖でゆっくりと挑戦。
道中は思ったほど急ではなく、巨岩がそのまま使われていると言われる石垣に感動しながらゆっくりと登れば比較的楽に辿り着けました。
天守跡には展望台が設けてあり、階段の多さに少し手こずりましたが、山上の景色は抜群でした。
恵那山、木曽川、市街地が一望できます。
少々疲れはしますが、あの景色を見れるなら頑張って登る価値ははあると思います。

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T-Shionoya

苗木城ワールド (2024/04/13 訪問)

4月前半は巨岩がシンボルの岐阜県中津川市の苗木城へ。

深い谷を流れる木曽川の北岸、川面からの標高差約170mの高森山に、その露出した巨岩と狭い平場を巧みに利用して築かれた城。
このエリアは東西に東山道が通り、北は飛騨高山へも通じるポイント。

また恵那郡周辺は鎌倉時代から遠山一族が統治してきており、苗木城は1526年に北の植苗木(現福岡町)から遠山景徳が移転したことが始まりとのこと。
1583年に秀吉の指示により美濃金山城を本拠とする森長可に攻略されますが、家康の家臣となっていた遠山友政が関ケ原合戦前に奪還し、以後明治維新まで遠山氏が城主を務めました。

現在は、建物はないものの石垣が残り、天守跡には展望スペースが設置された観光スポット。
ただし落石警戒で、仕切門・清水門・不明門ルートは立入禁止中。

訪問時、まずは足軽長屋跡からの眺めで"苗木城ワールド"に吸い込まれ、三の丸・二の丸に近付くと"巨岩の城"以上に"石垣の城"。
大矢倉周辺や竹門に寄り、大門から何重もの門跡を通り抜けて本丸へ向かうと、高度が上がるに従い見えてくる絶景。

大きな城ではないが約2時間半滞在し、その後に苗木遠山史料館へ。
独特の世界観があり、城も城からの景色も写真映えする、私の城郭巡りの181城目でした。

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bono

とても良かった

一度は行きたいと思っていました。GWだったため駐車場は資料館のところまで満車で、一番下のバス停前になんとか置いて行きました。巨岩が多く、非常に見ごたえあります。途中落ち葉などで足元が不安定なところもあるため、気を付けてください。的場跡がありましたが、安土も残っていて嬉しかったです。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天文年間(1532〜1555)
築城者 遠山直廉
主要城主 遠山氏、森氏、川尻氏
文化財史跡区分 国史跡(苗木城跡)
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 天守建物(柱組)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸
住所 岐阜県中津川市高森山
問い合わせ先 中津川市観光協会
問い合わせ先電話番号 0573-62-2277