日本100名城

おかじょう

岡城

大分県竹田市

別名 : 臥牛城、豊後竹田城
旧国名 : 豊後

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岡城
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トク

晩秋の岡城 (2023/12/04 訪問)

そろそろ紅葉が見頃を迎えただろうと岡城に登城してきましたが、すでに散っていました(ガ~ン😱先週が見頃だったらしい)。

しかし天気もよく、月曜の午前中ということもあり誰もいなかったので、瀧廉太郎の荒城の月を口ずさみながら九重連山の眺めを一人占めできたのは爽快でした。

そして御三階櫓跡に立ち、20才の若き志賀親次(ちかよし)は目の前の片ケ瀬に陣を張っていた島津義弘軍15,000をどんな思いでここから見ていたのだろうか? また今度は麓の滑瀬橋に立ち、島津義弘はなかなか落ちぬ岡城をどんな思いでここから見上げたのだろうか? とまた思いをはせてきました。
 


(写真①)登城口
(写真②)階段にある「かまぼこ石」
(写真③)大手門
(写真④)中川秀成が築いた高石垣
(写真⑤)瀧廉太郎の銅像と九重連山
(写真⑥)月見櫓跡
     (瀧廉太郎はここから見た月を思い出し作曲した)
(写真⑦)本丸から滑瀬(ぬめりせ)を見下ろす
     (高い! 足が震える! 転落注意!)
(写真⑧)御三階櫓跡
     (志賀親次はここから島津の大軍を見ていた)
(写真⑨)滑瀬橋より岡城を見上げる
     (島津義弘はこの川を渡れず敗北する)
(写真⑩)おまけ写真
     (朝焼けの久住高原から阿蘇山を眺める)
 

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HKISD

岡城散策 (2023/10/22 訪問)

とにかく。見晴らし最高でした。
そして岡城神楽子による神楽も見れました。
竹細工も素晴らしかった。
この後、竹田歴史資料館で学びました。

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ヒロケン

断崖絶壁に建つ堅城 (2023/08/14 訪問)

岡城は稲葉川と白滝川に挟まれた断崖絶壁の地に築城されている山城です。難攻不落と謳われる岡城の所以は周囲を囲う断崖絶壁とその上に築かれている石垣群です。断崖絶壁上を石垣で取り囲み、その上に塀や櫓などの建物が立ち並ぶ大城郭でした。(パンフより抜粋)
1586年薩摩の島津氏率いる大軍勢が岡城に攻め込んでいますが、断崖の上に建つ岡城を攻め落とすことが出来ず、撤退しています。この頃の岡城は、今のような総石垣の城ではありませんでしたが、断崖絶壁と要害堅固の地に守られ島津軍を撤退させています。
今のような、総石垣に大改修を行ったのが、6万4千石で入部した中川秀成公で岡城の大改修や城下町の整備などを行っています。これ以降、岡城は277年間中川氏の居城として明治維新を迎えています。

8年振り3回目の岡城ですが、断崖絶壁の上に築かれ、累々と続く石垣群には何度見ても圧倒されてしまいます。今回、宮崎遠征を決めた理由の一つ、神々が宿る”高千穂峡”に行ってみたく(勿論、城巡りがメイン)高千穂峡より、別府温泉に抜けていくルート上に岡城があり、立ち寄った次第です。今回のルートは、時間の都合上、本丸コースで家老屋敷などはスルーしましたが、絶壁の上に累々と続く石垣群は勿論の事、絶景のスポットがいくつもある、絶対にお勧めの城です。

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にのまる

【かるた】岡城の読み札

大パノラマ 巡る石垣 岡城址

かまぼこ石 大手へいざなう 岡城址

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概要

標高325mの天神山の断崖絶壁を生かし、12世紀初めに築かれた古城。文禄3年(1595)に入城した中川秀成が本丸を中心に二の丸・三の丸・西の丸を置き、高石垣を多用した総石垣の山城へと改修した。建物はすべて解体されたが、岩盤から天に向かって直接そそり立つ三の丸北側の高石垣などが往時の威容を今に伝える。

城郭情報

城地種類 梯郭式山城
築城年代 文治元年(1185)
築城者 緒方惟義
主要城主 志賀氏、中川氏
文化財史跡区分 国史跡(岡城跡)
近年の主な復元・整備 志賀貞朝、中川秀成
天守の現況・形態 御三階櫓[階層不明/1596年築/倒壊(地震)]、複合連結式層塔型御三階櫓[3重4階/1774年再/破却(廃城令)]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀、門跡
住所 大分県竹田市大字竹田
問い合わせ先 竹田市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0974-63-1111