入場料は300円。入口のところにしか自販機がないので、全て歩く(1時間以上かかります)つもりなら、飲み物をしっかりと持って行ってください。夏場に行くのはオススメしません。
滝廉太郎像が二の丸にあります。
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2024/09/08 20:29
2024/07/22 14:19
城への交通手段実践レポート (2024/07/13 訪問)
大分+α城廻2日目
※臼杵城跡と共に登城
※前日大分駅付近に宿泊
豊後竹田駅から土日はバスがなく、徒歩で20分強で行けそうだったが、雨が降ってきそうだったので、タクシーで移動しました。(おかげで城跡散策中は雨に見舞われず見ることができました)
券売所から少し歩くとかまぼこ石の塀のある登り口、登りやすいよう木製階段もできていました。大手門の石垣をはじめ、ここは石垣を端のできる城跡。廟所や西の丸などをじっくり見ると2時間以上は必要ですが、その価値ありです。西の丸はあまり人が来ないようだが、近戸門跡や埋見門跡、屋敷の板張り復元など見所があり時間がある方はぜひ行ってみてください
大手門や近戸門は、扉に車がついていたのか開閉のレールみたいのがあったのが何気に気になりました
また、ボランティアの方が草刈りをしていて城跡保存の努力に頭が下がります
【本日の行程は以下の通り】
7:01大分(JR)、8:34豊後竹田
(タクシー5,6分:800円) 岡城跡(9:00-17:00百名城スタンプ)
12:12(徒歩22分)豊後竹田(JR)、12:38(駅前でランチ),13:21三重町(路線バス)、14:13臼杵石仏
国宝臼杵石仏見学
15:48臼杵石仏(路線バス)、16:02辻口
(徒歩3分)臼杵市観光交流プラザ(9:00-18:00続百名城スタンプ)
(徒歩2分)臼杵城跡
(卯寅櫓から徒歩7分)17:09臼杵(JR) 、17:47佐伯
※泊:佐伯
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2023/12/04 15:46
晩秋の岡城 (2023/12/04 訪問)
そろそろ紅葉が見頃を迎えただろうと岡城に登城してきましたが、すでに散っていました(ガ~ン😱先週が見頃だったらしい)。
しかし天気もよく、月曜の午前中ということもあり誰もいなかったので、瀧廉太郎の荒城の月を口ずさみながら九重連山の眺めを一人占めできたのは爽快でした。
そして御三階櫓跡に立ち、20才の若き志賀親次(ちかよし)は目の前の片ケ瀬に陣を張っていた島津義弘軍15,000をどんな思いでここから見ていたのだろうか? また今度は麓の滑瀬橋に立ち、島津義弘はなかなか落ちぬ岡城をどんな思いでここから見上げたのだろうか? とまた思いをはせてきました。
(写真①)登城口
(写真②)階段にある「かまぼこ石」
(写真③)大手門
(写真④)中川秀成が築いた高石垣
(写真⑤)瀧廉太郎の銅像と九重連山
(写真⑥)月見櫓跡
(瀧廉太郎はここから見た月を思い出し作曲した)
(写真⑦)本丸から滑瀬(ぬめりせ)を見下ろす
(高い! 足が震える! 転落注意!)
(写真⑧)御三階櫓跡
(志賀親次はここから島津の大軍を見ていた)
(写真⑨)滑瀬橋より岡城を見上げる
(島津義弘はこの川を渡れず敗北する)
(写真⑩)おまけ写真
(朝焼けの久住高原から阿蘇山を眺める)
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標高325mの天神山の断崖絶壁を生かし、12世紀初めに築かれた古城。文禄3年(1595)に入城した中川秀成が本丸を中心に二の丸・三の丸・西の丸を置き、高石垣を多用した総石垣の山城へと改修した。建物はすべて解体されたが、岩盤から天に向かって直接そそり立つ三の丸北側の高石垣などが往時の威容を今に伝える。
城地種類 | 梯郭式山城 |
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築城年代 | 文治元年(1185) |
築城者 | 緒方惟義 |
主要城主 | 志賀氏、中川氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(岡城跡) |
近年の主な復元・整備 | 志賀貞朝、中川秀成 |
天守の現況・形態 | 御三階櫓[階層不明/1596年築/倒壊(地震)]、複合連結式層塔型御三階櫓[3重4階/1774年再/破却(廃城令)] |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀、門跡 |
住所 | 大分県竹田市大字竹田 |
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問い合わせ先 | 竹田市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0974-63-1111 |