武蔵国二宮の二宮神社は清冽な水が湧き出るいかにも聖地に鎮座している。武蔵七党の流れをくむ二宮氏と、大石氏とが前後してこのあたりの二宮城に居住したという。付近で14世紀頃の館跡が出たそうだがさてどちらのだったのやら。
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2025/08/25 21:33
2025/02/24 17:56
城びと未登録のお城攻め「菅生氏館」近くの「兄弟塚」 (2025/02/23 訪問)
本日も、お城のお話から、かなり脱線しますのでご注意下さい。
「菅生氏館」が、西多摩霊園の奥にある事を知り向ってみました。こちらの霊園はかなり広く、区画整理されていて お墓近くまで車で行けます。マイクロバスが霊園の中を巡回する位、広いんです。
お墓参りの方、納骨の方、法事の方とたくさんの方々が駐車場待ちをしているので、移動しました。
「菅生氏館」近くに「兄弟塚」があります。
こちらの兄弟のお話が、とても切なかったので紹介しようと思います。
東京都あきる野市菅生
「二宮城」から車で、10分位です。
国道411号、滝山街道沿いにある西多摩霊園を入るとすぐ左手に道があります。左折すると山側に「兄弟塚」がありました。もう一つ「すってくりょう」という石碑もあります。
鎌倉時代、菅生氏の弟が兄の留守中に、福泉寺(滝山街道を渡った所にあります。)近くの農民が田掻きに使うので馬を貸して欲しいと頼まれます。
弟は、仕方なく兄の馬を貸したそうです。
戻った兄は、馬の異変に気付き弟に問うと、貸したと言いました。兄は激怒。もみ合い切りつけてしまいました。
殺すつもりはなかったと、兄は自害しました。(兄弟逆の伝承もあります)
これを知った方々が、慌てて埋葬しました。
頭の毛を剃らずに埋葬されてしまったので、成仏できずに、『すってくりょう、すってくりょう』(剃ってくれ)と呼びかけるんだとか。
歴史に興味がない人に伝えたら、肝だめしとかに使われそうです。
それは、絶対に嫌です。
私は、先人達が何を思って暮していたのか、想像する事が好きです。
歴史に埋もれた、この兄弟のお話を、覚えておこうと思った「兄弟塚」参りでした。
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2024/07/05 07:21
大石信重 (2024/01/28 訪問)
二宮城は大石氏の祖・大石信重によって築かれたとされます。二宮神社が城址とされ、周囲より高地になっています。信重は南北朝時代には北朝方に属し1351年の笛吹峠の合戦では先陣を務め、新田義貞の三男・義宗の軍と戦ったそうです。その時の戦功で武蔵国入間・多摩に13郷を与えられ、二宮に館を構えたとされています。
特に遺構は残っていませんが、神社の階段の上から周囲を見渡すと城址としての雰囲気を感じ取ることは出来ました。
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分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 大石信重 |
築城年 | 文明年間(1469〜1487) |
主な城主 | 二宮氏 |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 都旧跡(二宮神社並びに城跡) |
再建造物 | 説明板(二宮神社並びに城跡) |
住所 | 東京都あきる野市二宮2252(推定地) |
問い合わせ先 | あきる野市役所教育部生涯学習推進課文化財係 |
問い合わせ先電話番号 | 042-558-1111 |