二宮城は大石氏の祖・大石信重によって築かれたとされます。二宮神社が城址とされ、周囲より高地になっています。信重は南北朝時代には北朝方に属し1351年の笛吹峠の合戦では先陣を務め、新田義貞の三男・義宗の軍と戦ったそうです。その時の戦功で武蔵国入間・多摩に13郷を与えられ、二宮に館を構えたとされています。
特に遺構は残っていませんが、神社の階段の上から周囲を見渡すと城址としての雰囲気を感じ取ることは出来ました。
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2024/07/05 07:21
大石信重 (2024/01/28 訪問)
二宮城は大石氏の祖・大石信重によって築かれたとされます。二宮神社が城址とされ、周囲より高地になっています。信重は南北朝時代には北朝方に属し1351年の笛吹峠の合戦では先陣を務め、新田義貞の三男・義宗の軍と戦ったそうです。その時の戦功で武蔵国入間・多摩に13郷を与えられ、二宮に館を構えたとされています。
特に遺構は残っていませんが、神社の階段の上から周囲を見渡すと城址としての雰囲気を感じ取ることは出来ました。
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2023/06/26 08:49
2023/02/20 23:31
2022/04/29 15:07
網代城 東京都あきる野市 (2022/04/17 訪問)
武蔵五日市駅から徒歩で30分、武蔵増戸駅から徒歩で20分。
(この日は戸倉城から徒歩で転戦しました)
貴志鴨神社参道が登城路となります。
少し登ると貴志鴨神社方面と弁天山方面の分岐があり、弁天山方面に進みます。
弁天山山頂には寄らず右の道を行くと城山山頂方面となります。
ここからの坂が大変!
段はついているもののかなりの急坂、心折れそうになります。
登り切ると尾根道となり、主郭の城山山頂へ。
主郭には説明板が立っていますがそんなに広くはありません。
南側を降りると帯曲輪、さらに下には小さな堀切がありました。
帰りは西側の高尾神社方面に向かい、尾根道を進みます。
途中堀切があり、この辺りまでが城域だったのでしようか。
こちら側の道、東側以上にアップダウンが大きい。
結構大変でした。
ですがハイキングコースにはなっているので体力さえあれば歩きやすいかと思います。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 大石信重 |
築城年 | 文明年間(1469〜1487) |
主な城主 | 二宮氏 |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 都旧跡(二宮神社並びに城跡) |
再建造物 | 説明板(二宮神社並びに城跡) |
住所 | 東京都あきる野市二宮2252(推定地) |
問い合わせ先 | あきる野市役所教育部生涯学習推進課文化財係 |
問い合わせ先電話番号 | 042-558-1111 |