日本100名城

よしだこおりやまじょう

吉田郡山城

広島県安芸高田市

別名 : 郡山城
旧国名 : 安芸

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吉田郡山城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/11/04 訪問)

愛媛+α城廻:第四日(最終日)
※前日広島市内泊

中国城廻の際にすっかり組み込むことを忘れていたので今回の愛媛城廻と組み合わせました
まあまあの上りがある山城で、広大な広さ。ゆっくり全部見るには2,3時間必要かと
民俗博物館でスタンプ押印時に城跡マップをゲットして行程を確認してから行きましょう
毛利元就のお墓や遺構は堀切、土塁、切岸などが多いが、本丸には医師gは気に使われていたと思われる石が散在していた
帰りに麓の清神社で鹿さんに遭遇、逃げないので人馴れしている感じだった

【本日の行程は以下の通り】
8:45広島バスセンター(路線バス:8番乗場)、10:18安芸高田市役所前
 (徒歩8分)安芸高田市歴史民俗博物館(百名城スタンプ 9:00-17:00火休祝翌休)
 郡山城散策(3時間)
13:42安芸高田市役所(路線バス)、15:16広島バスセンター
 広島市内をうろうろ観光
18:08広島(新幹線)、21:59東京

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国人の城→大毛利の城 (2024/07/28 訪問)

 五龍城から江の川沿いを下り、郡山城へ。五龍城では誰にも会いませんでしたが、さすがに郡山城、炎天下でもちらほら登城者の姿が。
 麓の毛利元就像を超えたところを右に行き、毛利の勢力がまだ国人規模の時期の城:本城に向かいました。途中に展望台があり、麓から見える、毛利の家紋が掲げられている所です。尼子が攻めて来たときの陣地がそう遠くない距離に見えます(吉田盆地は広くない)。本城は、郡山からいったん鞍部を経て岬状に伸びた尾根を利用しています。尾根の両側は急斜面で、背後を堀切って守ります。けっこう大きいですが、厳しい地形を利用した、国人規模と言えましょう。
 拡張された郡山城は規模で圧倒する感じ。城内最大の郭である勢溜の壇は、これだけで、本城よりも大きいです。本丸に行く道は、勢溜の壇の下を100mほども進みます。突破するのは無理。一族郎党が皆、郡山城内に居住したと。それで、300ほどもの郭が要ったのですね。
 毛利元就、一族墓所を経て、下っていくと、谷筋に内堀跡の説明板が。山麓および西の谷に堀があったのを知りませんでした。
 大毛利になり、郡山城と吉田盆地は、さすがに手狭になって、江の川下流 太田川河口に広島城を作って移っていきます。私も次に広島城に向かいました。

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ごんぎつね

巨大な山城 (2022/11/26 訪問)

麓には静かで広大な敷地に立派な毛利家の墓所がありました。
踏み入れると明らかに雰囲気がガラッと変わり、神聖な空気が感じられます。

その先としばらく進むと郡山城の登山口へ!

多くの曲輪、堀切がしっかりと残っておりました。

特に急な坂はなく、平坦で歩きやすいのですが、
なぜかどんどん体力が消耗されていく。。
いくつか山城攻めはしていますが、今まで一番しんどかった記憶がある城です。

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刑部

毛利元就の居城 (2024/05/21 訪問)

元就・隆元のお墓参りと城址の探索ができる一石二鳥の山城、最初に元就及び親族のお墓参りそこから本丸を目指しました。石垣はほとんど崩れてましたが曲輪ひとつひとつがしっかり残されていて歩くたびに感動の連続です。下山は尾崎丸経由で戻りましたが途中獣臭が凄くヤバイ雰囲気で歩いているとゴソゴソと大きな音が・・・猪?熊? 城びとグッズの熊よけ鈴を大きく鳴らしながら下山。そんなこともあり毛利元就の銅像へ行くのを忘れて帰り。資料館は休みだったので御城印は買えませんでした残念。

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概要

毛利氏の先祖が築いた山城を、元就が戦国大名として勢力を伸ばすと共に整備拡大されていった。山頂の本丸を中心に大小の曲輪を築き、その数は270を超えたといわれている。今は建物がなく石垣もわずかに残るのみだが、登山道沿いに多くの曲輪跡が見られる。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
築城者 毛利時親
主要城主 毛利氏
文化財史跡区分 国史跡(毛利氏城跡)
近年の主な復元・整備 毛利元就、毛利輝元
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
住所 広島県安芸高田市吉田町吉田
問い合わせ先 安芸高田市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0826-42-0054