かわむらじょう

河村城

神奈川県足柄上郡

別名 : 戸張城、猫山城
旧国名 : 相模

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河村城入口
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天守無しがアツい

小雨の河村城 (2025/10/19 訪問)

https://www.yamakita.net/sightseeing/detail.php?id=19

「逃げ上手の若君」の主人公、北条時行と共闘する新田義興が1352年に足利尊氏の軍と対決⚔️河村一族と共にここ河村城を拠点に奮戦

しかしその翌年(1353年)、この城を捨てて退却したと太平記には記されている。尊氏の大軍および尊氏の神力(?)に耐えられなくなったと思われる

さらには盟友の時行が尊氏軍に捕えられ…竜の口で処刑される…それでも義興は折れずに潜伏および抵抗を続け…尊氏の死後まで生き続けたのだった👦

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2017/06/04 訪問)

 「北条の 畝堀見所 河村城」(ほうじょうの うねぼりみどころ かわむらじょう)

 8年前頃城探訪の未踏城郭が山城に成って来始めて、河村城、足柄城の余湖図コレクションの情報、俯瞰図を眺めて認知はしていましたが中々足が運ばずでしたが、日帰りで高速を飛ばし大井松田IC経由して河村城と足柄城を初探訪。
 
 河村城はJR山北駅南側、登城路を登り詰めた所に駐車場とトイレ完備されて居り大変便利、急な登城路をつづらに登って行くと、茶臼郭へ着く、茶臼郭の南端より小郭間の畝堀が見下ろせる、小郭へは登れない、茶臼郭を降りて横道より畝堀を眺める、本城郭は虎口に冠木門柵が復元、本城郭へ入り、北端より本城郭と小郭間の畝堀を見下ろす、草刈がされて居て良く確認が出来ました、感激の畝堀対面でした、本城曲輪には神社が祀られて居り、立派な城名石碑が立っています、本城郭と蔵郭間にも堀切が有り堀底は畝が掘ってある、木橋が架かっています、その先は近藤郭、大庭郭と成っており整備したばかりの様でした、その先西側には駐車場が見えて、西側駐車場より河村城に比高さ無く登城できるようです。
 探訪しませんでしたが本城郭の南側に馬出郭が備わっています。
 
 河村城の歴史は古いようですが、北条氏の領有に成って対武田、対豊臣戦で北条流の山城に成り堀切に畝堀が多用されたようです。
   

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「そこここに 畝堀トラップ 河村城」
(そこここに うねぼりトラップ かわむらじょう)

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2014/01/28 訪問)

「弓一丁 本領復帰 河村城(ゆみいっちょう ほんりょうふっき かわむらじょう)」

河村城の城主・河村義秀は石田氏山合戦で平氏に味方したため、所領を没収されますが、鎌倉で源頼朝に流鏑馬を披露し、本領に復帰できたと伝わります。赤色立体地図で見ると周辺にやたらと腰郭が多いように見えるけど、これはいったい何なのだろう。

「名瀑と 鉄道公園 河村城(めいばくと てつどうこうえん かわむらじょう)」
山北駅付近に鉄道公園があり、展示されているD52は月に一回動く姿が見られるそうですが、コロナ前の話なので現在は不明。
ハイキングコースが整備され「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「河村城址と洒水の滝へのみち」が選ばれたそうですが、500ってけっこう多いですな。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 河村秀高
築城年 南北朝時代
主な城主 河村氏、大森氏、後北条氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、堀切、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 県史跡(河村城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 神奈川県足柄上郡山北町字山北他
問い合わせ先 山北町役場生涯学習課生涯学習スポーツ班
問い合わせ先電話番号 0465-75-3649