日本100名城

たかとりじょう

高取城

奈良県高市郡

別名 : 芙蓉城、鷹取城、高取山城
旧国名 : 大和

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高取城
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本多俊政 (2023/01/21 訪問)

  久しぶりに高取城へ行ってきました。以前に行ったのが2011年4月新緑の季節に行ったので次は冬に行こうと思っていましたが、ずいぶん時間が経ってしまいました。
 八幡口から登城して壺阪口門から本丸周辺を散策した後、二ノ門方面から下りてきました。石垣パラダイスの山城で、主要な曲輪以外にも多くの石垣が残っています。何気なく振り向いたり、下を見たりすると木の間などから石垣を見つけることもあります。二ノ門まで行って引き返して、さらに散策するつもりでしたが、かなり歩き回ったこともあり心身ともにヘタっていてニノ門から登って戻る気力がなく、そのまま黒門方面へ下山しました。吉野口門方面へも行きたかったのですが、伐採作業をされていたので、今回は遠慮させていただきました。江戸時代、本多氏から植村氏と変わっていますが石高は25000石。維持するのは大変だったのではないかと思ってしまいます。
 弁当を持ってきて1日過ごしてもよかったかなと思いました。

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその2 高取城 (2022/11/21 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその2
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

ゴリゴリの山城ですが、石垣すごいです。本丸の石垣は高く、そこらへんの山城が謳う「高石垣」とはレベチ。写真を撮ろうとしても、画角に入りきりません。本丸から二の門跡まで歩きましたが、ずっと石垣。流石日本三大山城。
本丸の南東部には行けず堀切等を見られなかったので、再戦せねばなるまい。

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POYO58

本丸・天守台 第二編 (2022/08/30 訪問)

さて、天守台を見た後、早速天守の中へ入って行きました。(天守はありません。あくまで想像です。)入っていくと石垣がたくさんあり、区画が多くて天守に行くのも結構疲れます。やっと天守について、上から見てみると、なんととてつもない区画を通っていたことがわかりました。おそらくここが最大の罠だと思います。天守台の上にも石垣や礎石があり、ここに大きな天守や付櫓が建っていたことが予測されます。とはいえ、こんなに大規模で激しい罠を肉眼で見ることがほとんどなかったので、これには感動しました。中世の城であるのにこんな石垣の罠があるとは思いませんでした。さすが日本三大山城の世界最強の山城ですね!

評価
遺構:5
建物:-
行きやすさ:2
全体:4

攻城時間
2時間かかってしまうくらい広いです。めぐる範囲によって結構変わってきます。

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POYO58

天守台・本丸 第一編 (2022/08/30 訪問)

高取城の見るべきものはやっぱりちょーー高い天守台、せっかくここまで突破できても誰も行けない不可能な罠がもう仕掛けてあります。やっと天守に着いた〜と一休みしてしまえば新櫓から攻撃を受けます。そこから逃げようと天守の方へ急ぐと目の前にはデーーっかい天守が、もうここまで来たら落城寸前だろう、と思ったらあまい。なかなか向こうには行けません。こんな天守台はおそらく誰にも登れまい。

天守台は野面積みで中世を感じます。角の部分はきれいな算木積みになっています。この角から写真を撮るのがおすすめ。

ここまでと思ったら大間違い、タイトルにも第一編と書いてあるので第二編もあります。では早速天守の中へ入ってみよう!
続く

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概要

奈良飛鳥盆地の南にそびえる標高583mの山頂を中心に築城し、羽柴秀長配下の本多氏によって近世城郭へと仕上げられた。山城は郭内と城内に分けられ、郭内は釘抜門から内側、城内は二の門・壺坂口門・吉野口門より内側を指す。城下の黒門跡からの比高390mは「日本三山城」の名に恥じない眺望だ。天守台の高石垣も必見。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 元弘2年(1332)
築城者 越智邦澄
主要城主 越智氏、筒井氏、本多氏、植村氏
文化財史跡区分 国史跡(高取城跡)
近年の主な復元・整備 筒井順慶、本多利久
天守の現況・形態 連立式[3重3階地下1階/1589年築/破却]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀、水堀)、堀切、井戸
住所 奈良県高市郡高取町高取他/吉野郡大淀町比曽
問い合わせ先 高取町役場
問い合わせ先電話番号 0744-52-3334