詳細は不明ながら、鎌倉末期に赤松円心が築いたと伝わり、中芳養八幡社の楠本氏と赤松城主の赤松氏との間で縁組が繰り返されていたとする史料もあるようです。
苗代川池ルートで登城しようとするも、小川沿いで脱輪しそうになり這う這うの体で逃げ帰ってから2年あまり。この間、しんちゃんさんがおたき瀧法寺から登城されましたが、過酷なルートのようなので、やはり苗代川池ルートで再挑戦しようと思っていたところに、あ さんから苗代川池ルートでの詳細な投稿があり、そのご案内に従って登城しました。
平須賀城での予想外の大勝利に気を良くして苗代川池への細道へ。この前にも途中までは行ってるんだから余裕 余裕と思っていましたが、路上には礫がごろごろしている上にやっぱり道幅が狭い…。脱輪の恐怖に襲われながらそろそろと車を走らせて、この前に転回した箇所(あ さんご案内の駐車スペース)から登城開始。少し戻って分岐を右に進み、苗代川池東岸の林道を北へ。林道は土砂や落葉が堆積してひどい状態ですが、歩いて行く分にはさほど支障ありません。そして壊れた砂防ダムからの分岐では「①谷を行く」を選択。国土地理院地図の道だけあって随所に案内表示があり迷うことはないものの、ご案内にあるとおり最後は壁のような急斜面を直登することになりました。尾根筋に出れば、あとは尾根沿いに北に進むだけ。だらだらと距離があるのと、ところどころにシダの藪はあるにせよ、分岐は全くないので道に迷う心配はありません。そして最後に少し登ったところで赤松城に到達。
東尾根の二つの腰曲輪を抜けて最高所の主郭へ。楕円形の主郭は意外に広さがあり、北寄りに謎の窪み、北端に土塁が見られます。土塁は西側に竪土塁状に落ち、竪土塁をたどって下りた先には腰曲輪が設けられていました。腰曲輪の下方では竪堀が西尾根からの侵入を阻んでいます。主郭の北下には北曲輪が広がり、主郭の切岸はなかなかの高さと角度があります。北曲輪の西下段には三つの大きな窪みがあり、城郭遺構とも後世の土取りによる改変とも云われます。北曲輪東端では竪堀が北尾根と東尾根を隔てていました。北曲輪から北へは幅広く平坦な北尾根が続いていますが、特に北への備えは見られません。最後に主郭南下の南曲輪に回って赤松城をひとめぐり。南曲輪は主郭や北曲輪よりも藪化していました。
…ということで、無事に赤松城を攻略。道幅が狭い上に歩く距離も長いとはいえ、おたき瀧法寺よりも苗代川池ルートのほうが無難かと思われます。もっとも、そこまでしてでも行くべき城なのかと問われると返答に窮してしまいますが(笑) ともあれ、これで平須賀城とあわせて連戦連勝、2年越しでのリベンジを果たすことができました。あ さん、本当にありがとうございました。
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