やまなかじょう

山中城

愛知県岡崎市


旧国名 : 三河

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主郭の山中城址石碑
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T-Shionoya

堀切が印象的な三河山中城 (2023/12/10 訪問)

県内最大級の山城とのフレーズに釣られて訪れた愛知県岡崎市の山中城。

東西三河の境界エリアで、平地から山地に入った比高約100mの山を城郭とした城。
山頂の主郭から、"山"の字形の各尾根に曲輪と堀切を配置した縄張。

北麓を東海道が通り、西尾へ向かう吉良道と、桑谷峠を越え蒲郡へ向かう西郡道の分岐点が存在する要衝。
築城時期は定かでないが、西郷(岡崎松平)信貞所有の1524年に安城の松平清康が奇策で奪取。
清康が殺害されると、今川そして徳川の支城となり、都度城が拡張されたと考えられている模様。

現在は遊歩道が整備された岡崎市の指定史跡。

訪問時は東端の舞木口から獣除けの門を開閉し入山。しばらく登ると土橋のような尾根が現れ、それを渡ると城内。
曲輪1段1段の高低差が大きく、下段側の付け根に設置された堀切が印象的で、特に東曲輪2と3の間の深い堀切は1つの見どころ。

帰りに東部市民センターに寄ると、模型と共に現在の遊歩道とは異なる推定城道が示された地図があり、事前にコレを入手して行けば更に深い見方ができたかも。
トータル滞在時間約3時間の三河山中城が、私の城郭巡りの166城目となりました。

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ヒロケン

三河最大級の山城 (2023/09/29 訪問)

山中城は、通称城山と呼ばれる標高約195mの山上一帯に築かれている、東西約400m、南北約250mで三河地方最大級の山城です。堀切・土塁・曲輪などが良好に残っています。
築城年代は不明とのことですが、築城者は三河守護仁木氏の守護代であった、西郷氏により15世紀頃に築城されたと云われています。その後、西郷氏は松平宗家と対立し松平氏に城を明け渡したとされています。今川氏、松平氏と変遷し、徳川家康公関東移封後に廃城になったとされています。

駐車場は羽栗病院と隣接している3台程停めれる駐車場があります。(登リ口の舞木口まで徒歩5分位です)トイレはありません。城に登る前に東部市民センターに立ち寄り、山中城址案内図を貰うと見逃しがなく城跡を散策できます。
今回の投稿は、10年前の6月16日の画像と織り交ぜて投稿させていただきます。

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しんしんちゃん

国道1号線からのアクセスも良好。登録100城目。 (2023/07/02 訪問)

山中城は戦国時代、西郷氏によって築かれたと伝わります。
この地域では最大級の山城で、東西400m、南北250mの広さがあり非常に見ごたえがあります。
国道一号線からのアクセスも良く、登城道からの道筋もわかりやすく
一部雑草が生い茂ってはいるものの、誰にでもお勧めできる山城です。
私は約10年ぶりに訪問しましたが、当時と今ではだいぶ印象が異なります。
10年の間で城に対する認識も変化し、スマホの地形図から地形を読みながら
山城を散策できるようになりました。
かつて山の中をウロウロしながら彷徨っていたころが懐かしいです。
今は左手の登城道は使えないようなので右手の舞木口から登ります。
いくつか曲輪を経て、馬出し、東曲輪、二の丸を通過して主郭にたどり着きます。
二の丸には土塁が残っており、小さな社と不思議な石積があります。
主郭からは街道を良く見渡すことが出来、そこから虎口を経て西端の堀切を見に行きます。
せっかくきたのだから腰曲輪を経由して物見曲輪を見に行きますが、その途中にも
堀切があります。
あとは東曲輪のあたりから北東尾根曲輪を見に行くのですが先端部は藪曲輪と化しています。
これで見るものは見たし帰るか‥。
ちなみにこの山中城で登録100城目になります。正直回っていくペースのほうが早いので
なかなか登録が追い付かないのですがコツコツ地味に載せていきたいです。


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うさ

山中城 (2023/04/10 訪問)

今年最初の城。
駐車場は福祉施設の前辺りにありました。少し分かりにくいです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 西郷氏(大草松平家)
築城年 戦国時代
主な城主 松平氏、今川氏、酒井氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(山中城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県岡崎市舞木町字城山
問い合わせ先 岡崎市教育委員会事務局社会教育課文化財班
問い合わせ先電話番号 0564-23-6177