(続き)
本丸御殿が将軍上洛時の御成御殿に改修されたことにより、藩主の住居と尾張藩政庁の機能は二之丸御殿に移り、二之丸が藩政の中心地になりました。二之丸御殿の建物は残っていませんが、北東部の御殿の庭園が二之丸庭園として整備されています。
大手馬出から二之丸に入ったところに、天守台石垣を築いた加藤清正の「清正公石曳きの像」が立てられています。御殿跡の二之丸広場には青松葉事件之遺跡碑や藩訓秘伝の碑が立ち、東南隅櫓と樹々の上に天守が覗いているのが見えます。搦手馬出には工事中で入れず、馬出外周の空堀沿いに進んだ先に、藩主の緊急時の脱出路として設けられた埋門がある…にはあるんですが、草木が茂っていてよくわかりませんでした。埋門の先は立入禁止だったので、その先の南蛮練塀は遠目に見ることができたのみです。北東隅には二之丸東北隅櫓の櫓台が遺っていました。
二之丸の庭園は当初の中国風から、江戸後期に栄螺山や権現山などの築山、南池、6つの茶屋などを配した回遊式の大名庭園に改修されています。明治には陸軍の練兵場や兵舎に改変されましたが、発掘調査により確認された南池や暗渠が公開され、御茶屋「霜傑」は平面復元、「余芳」は保管されていた部材を用いて元の位置に再建されています(2026年公開予定とのこと)。
二之丸の南半分には御殿のほか馬場や弓道場が設けられていたようですが、現在は愛知県体育館が建っていて遺構はなさそうなので、東門を出るとそのまま二之丸東門に向かいました(続く)。
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