史跡公園ではなく都市公園として模擬天守ありきで整備されたが、このお城を特徴づける「三重三日月堀」だけは整備事業とは無関係に整備前の姿を保っている。整備前の姿を知っているのでこれだけは間違いない。
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2024/07/04 21:15
2024/05/28 21:49
馬場美濃守 (2024/05/25 訪問)
小山城は大井川の西側の東西に伸びる舌状台地の東端に築かれています。二郭跡に三日月堀と模擬天守が配され、東側が主郭跡とされています。主郭と二郭の間には堀切があり橋が架かっています。二郭の西側にも堀が配されその先には三重堀がネイティブな状態のまま残っています。前身となる城郭は今川氏によって築かれたとされ、今川氏が衰退した後には大井川を境界として西を徳川、東を武田で領有されることになりましたが、武田方が協定を破り遠海に侵攻し、小山城を手中に納めます。
元亀元年(1570)に徳川方が小山城を攻め落としますが、翌年には武田方に奪還され、馬場美濃守信春により縄張りが成されたとされています。小山城は、その立地条件から後に徳川家康によって改修を受けている可能性はありますが、その原型は馬場美濃守によるものだと思いたいもので、少なくとも三河から駿河に至って存在する城郭の意義は不変だと思います。
小山城から東に行って程なく、徳川家康が小山城を攻める際に陣を張った八幡神社があります。
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2024/03/24 21:10
三重堀の小山城訪問 (2006/03/26 訪問)
久々に過去の城郭巡りの振り返り。第23弾は静岡県榛原郡吉田町の小山城。
駿遠国境ラインの南端を抑えるポイントで、大井川西岸の河口部に近い牧之原台地の東端部、比高約20mの尖った台地の先端に築かれた、小規模ながら3つの曲輪から成る連郭式の城。
武田・徳川の今川領侵攻の際、争奪の地となるものの、1571年に武田家臣の馬場信春が砦を改修し小山城を築城。
大熊長秀などが城主となり、武田氏滅亡の1582年まで武田が支配。
現在は能満寺山公園として整備され、二の郭上段に三重の模擬天守がそびえ立つ城跡。
2006年訪問時の記憶はほぼなく、三重堀においては頭から完全に消失状態。
そこで前回投稿した諏訪原城のついでに寄ると、まずは崖上のいかにもな地形にあることを実感。
少々見にくいが台地を断ち切る円弧状の三重堀は一見の価値があり、他にもとにかく堀の数が充実。
模擬天守が目立つものの、中世からの舌状台地城郭が十分に存続・復元されている印象の小山城でした。
※写真1,2,8枚目は昨年末に撮影
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分類・構造 | 平山城 |
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天守構造 | 複合式望楼型[3重5階/1987年築/RC造模擬] |
築城主 | 馬場信春 |
築城年 | 元亀2年(1571) |
主な城主 | 馬場氏(武田氏家臣)、大熊氏(武田氏家臣) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀・三日月堀)、馬出、井戸 |
再建造物 | 模擬天守、大手門、石垣、説明板 |
住所 | 静岡県榛原郡吉田町片岡(能満寺山公園) |
問い合わせ先 | 吉田町産業課 |
問い合わせ先電話番号 | 0548-33-2122 |