いなじょう

伊奈城

愛知県豊川市

別名 : 上嶋城
旧国名 : 三河

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じゅんじん

土塁 (2022/02/07 訪問)

物見やぐらが建ってます。土塁上に城址碑があります。駐車場、トイレ完備。新幹線も見れますよ。

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suzuya

小さな広場 (2021/11/14 訪問)

ふるさと創生事業で整備された小さな城跡。
それでも立派な土塁があるし、発掘された礎石が見られるようになっていました。
城があった当時は土塁と反対側は沼地?田んぼ?だったようで、しっかり防御されていたようです。
桜が植えられていたからきっと春は綺麗だろうなぁ。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:伊奈城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目も18城目は伊奈城です。
田原城から転戦。伊奈城址公園入口付近(34.793907、137.334648)に路駐しました。

伊奈城は徳川家の家紋「三葉葵の紋」発祥の城という説がある城です。
室町時代に本多定忠・定助によって築かれてから約150年間、伊奈本多氏の居城でした。
1590年(天正18年)の徳川家康の関東移封にともない、8代城主・本多康俊も下総国小篠に移封となり廃城となりました。

現在は本丸の部分が「伊奈城趾公園」として整備されており、模擬櫓が建てられいます。
攻城時間は10分くらいでした。

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橋吉

伊奈城 (2016/01/15 訪問)

伊奈城は、室町時代に本多定忠・定助によって築かれました。
1994(平成6)年、「ふるさと創生事業」の一環として調査したところ、堀跡が見つかったそうです。
現在は伊奈城趾公園として整備されています。

1590(天正18)年、本多康俊が家康の関東移封に従って下総小篠で5千石を領して移り、伊奈城は廃城となりました。
なお、伊奈本多氏(徳川四天王の本多忠勝とは別系統)は、その後、近江膳所6万石の大名として明治まで続きました。

北側に土塁が残されています。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 本多定忠
築城年 享徳年間(1452〜1455)
主な城主 本多氏
遺構 曲輪、土塁、井戸跡
指定文化財 市史跡(伊奈城跡)
再建造物 石碑、模擬櫓
住所 愛知県豊川市伊奈町柳、深田、丸ノ内
問い合わせ先 豊川市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0533-88-8035