はらだじょう

原田城

大阪府豊中市

別名 : 原田城北城
旧国名 : 摂津

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マダム卑弥呼 

意外なお城跡 (2021/11/21 訪問)

お勧めです。まさかあんなに感動するとは思っていませんでした。土日しか開いてないので気を付けて

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おっちゃん

16世紀後半の原田城北城推定復元図 (2017/07/30 訪問)

現地案内板より抜粋。

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旧羽室家住宅 (2021/10/16 訪問)

 阪急宝塚本線「曽根駅」から徒歩15分くらいのところにあります。案内板や標柱は確認しました。土塁があるようですが、朝早かったこともあり中へは入っていません。

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ぴーかる

原田城 (2020/08/23 訪問)

【原田城】
<駐車場他>原田しろあと館入口前に小型乗用車1台くらいなら駐車できる。
<交通手段>車

<感想>摂津国、バイクでちょこ城巡りのツーリング第2弾、4城目。築城者とされる原田氏は鎌倉時代に能勢一帯を支配した多田院の御家人の一人として「多田神社文書」に登場します。13世紀後半から14世紀初頭にまず北城が築かれた。15世紀中頃にはこの地域一帯を支配する土豪に成長し、室町時代には管領細川氏の家臣団に組み込まれます。1547年には細川氏の内紛により北城は落城、その後は南城に中心を移しました。原田氏はその後織田方に付いたようで、荒木村重の反乱の際には有岡城攻めの砦として古田織部・中川清秀が北城を改修し陣を構え使用しました。おそらく原田氏はこの時期前後に中川家に組み込まれたようで、その後中川家とともに豊後岡城へと移っている。(城跡パンフレットより抜粋・要約)

 原城跡(北城)の「原田しろあと館」は土日祝の12:00~15:00までしか開館しておらず、この時入館しなければ内側から土塁跡を見ることはできません。北城は堀と土塁囲みの方形居館で土塁跡は南西隅の一部が現存しています。主郭部は現在は旧羽室家住宅となっていて中を見学することができます。北城は高台の端に位置しており、すぐ南と西は大昔は海だった(大阪湾がこの辺りまで来ていた)海岸線になり急坂で下がっている。

 管理・運営されている「NPO法人とよなか・歴史と文化の会」の方に城跡の説明と城跡のパンフレットをいただきました。その方の説明では原田氏が土豪の時代、集落に猪名川から九名井(原田井)という灌漑用水を原田氏がひいたのだが、上流で奪われてよく争っていたという話をして下さいました。またその方の自説ですが、原田は最初「はらだ」ではなく、九州地方の呼び名「はるた」と呼んでいたのではないかとのこと。

 見応え的には◆ですが、大切に保存されている城跡で説明の熱意を感じて◆◆とします。是非開いている時間帯に来城を。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 原田氏?
築城年 鎌倉時代
主な改修者 織田氏
主な城主 原田氏、三好氏、中川氏
廃城年 慶長年間(1596〜1615)
遺構 土塁、横堀跡
指定文化財 市史跡
再建造物 碑、説明板
住所 大阪府豊中市曽根西町4
問い合わせ先 豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 06-6858-2581