ひとつどじょう

一ツ戸城

大分県中津市

別名 : 一つ戸城、中間城
旧国名 : 豊前

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中間統胤 (2025/11/07 訪問)

 中間氏の居城と伝わっています。黒田氏が豊前の領主となると中間統胤は黒田官兵衛の傘下に加わりました。中間統胤は黒田氏の信任も厚く、そのまま城番として置かれました。関ケ原の戦いの後、黒田氏の筑前に移封により統胤もこれに従い一ツ戸城を去り、細川氏がこの地を治めます。城跡に残る石垣は細川氏の時代に整備されたものです。
 登城口は北側と南側の2カ所ありますが、北側からの道を選択しました。林道を少し歩くと案内があり最初は比較的緩やかな整備された道を登って行きます。途中から急坂になり足元も悪くなりますが、山の形状から想定範囲内です。山頂には複数の曲輪があり、周囲には石垣が点在していました。予想していたより多くの石垣があり、苔むしていていい雰囲気を醸し出していました。少し下りると竪堀と思われる地形もありました。登城口近くにある神社も城の一部ですが、遺構はよくわかりません。

 獣除けの柵を開けてすぐに猪と遭遇しましたが、幸いすぐに走り去って行きました。熊がいないということで九州へ来たのに、まさか猪に遭遇するとは肝を冷やしました。
 JR中津駅よりバスに乗り一ツ戸バス停下車、徒歩2~3分くらいで登城口の獣除け柵まで行くことができす。説明板もあります。

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HKISD

一ツ戸城散策 (2025/05/02 訪問)

とても登りやすい山城でした。
途中ロープの所でロープの杭が外れていたので怖かったですが
非常に迫力ある山城でした。

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小城小次郎

てっぺん近くだけ急峻なこの山に何で石垣を積もうと思ったのか (2024/03/03 訪問)

てっぺん近くだけ急峻なこんな山の上に総石垣で瓦葺きの城を作ろうと思った人々の気が知れないが、おかげでいい感じの廃城感が味わえる。途中までは楽々登れるが急に急坂に転じて泡を喰うのはそういう形の山だから仕方ない。

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織田晃司

廃城感 廃城感 昇竜拳 (2023/09/17 訪問)

ダートな車道を登り、さらに徒歩でつづら折れの山道を登ると廃城たっぷりの一ツ戸城に到着。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 中間氏?
築城年 建久6年(1195)
主な改修者 細川氏
主な城主 中間氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、堀切、堅堀
指定文化財 市史跡(一ツ戸城址)
再建造物 説明板
住所 大分県中津市耶馬溪町大字宮園字一ツ戸
問い合わせ先 中津市文化財課
問い合わせ先電話番号 0979-22-1111