中間氏の居城と伝わっています。黒田氏が豊前の領主となると中間統胤は黒田官兵衛の傘下に加わりました。中間統胤は黒田氏の信任も厚く、そのまま城番として置かれました。関ケ原の戦いの後、黒田氏の筑前に移封により統胤もこれに従い一ツ戸城を去り、細川氏がこの地を治めます。城跡に残る石垣は細川氏の時代に整備されたものです。
登城口は北側と南側の2カ所ありますが、北側からの道を選択しました。林道を少し歩くと案内があり最初は比較的緩やかな整備された道を登って行きます。途中から急坂になり足元も悪くなりますが、山の形状から想定範囲内です。山頂には複数の曲輪があり、周囲には石垣が点在していました。予想していたより多くの石垣があり、苔むしていていい雰囲気を醸し出していました。少し下りると竪堀と思われる地形もありました。登城口近くにある神社も城の一部ですが、遺構はよくわかりません。
獣除けの柵を開けてすぐに猪と遭遇しましたが、幸いすぐに走り去って行きました。熊がいないということで九州へ来たのに、まさか猪に遭遇するとは肝を冷やしました。
JR中津駅よりバスに乗り一ツ戸バス停下車、徒歩2~3分くらいで登城口の獣除け柵まで行くことができす。説明板もあります。
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