ひとつどじょう

一ツ戸城

大分県中津市

別名 : 一つ戸城、中間城
旧国名 : 豊前

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小城小次郎

てっぺん近くだけ急峻なこの山に何で石垣を積もうと思ったのか (2024/03/03 訪問)

てっぺん近くだけ急峻なこんな山の上に総石垣で瓦葺きの城を作ろうと思った人々の気が知れないが、おかげでいい感じの廃城感が味わえる。途中までは楽々登れるが急に急坂に転じて泡を喰うのはそういう形の山だから仕方ない。

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織田晃司

廃城感 廃城感 昇竜拳 (2023/09/17 訪問)

ダートな車道を登り、さらに徒歩でつづら折れの山道を登ると廃城たっぷりの一ツ戸城に到着。

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ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~一ツ戸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

一ツ戸の領主中間氏の居城跡で城主中間統胤は官兵衛の傘下に加わる。豊後・筑後との国境に近かった一ツ戸城は重要視され、中間氏はそのまま城番として置かれた。

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
この時は城址入り口のみの見学で登城はできなかった。

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ちっち

行きと帰りは違う登山道がオススメ! (2021/11/17 訪問)

登山道は山国町側と耶馬溪町側の2つがあります。私が行った際は耶馬溪町側に工事車両がいた為、山国町側から登りました。(日田側から見て、一ツ戸隧道手前の写真①左折、暫く行くと右手に登山道。写真②)
偶然にも地元の親切なお母さんに、車は登山道脇に停めても、近くの公民館に停めてもOKと言って頂き、少しでも楽したかったので登山道脇に停めました。
いざ登り始めると、家臣団屋敷屋敷の様な居館が建てられていたのではないか!と思う様な削平地と石垣が何段にも連なっており、いきなり感激しました。(写真③~⑤)また途中には色紙短冊積を彷彿とさせる様な見応えのある石垣(写真⑥)や、破却によって転がる石垣などもあり、本丸まで飽きません。
しかし、道は険しいです。落葉が多かったせいもあり、足元は不安定でトラロープに頼りきりになりますが、倒木で破損しているところもあり、十分に気を付ける必要があります。
山頂は写真では伝えきれませんが、曲輪群が綺麗な形で残っており、国道212側の曲輪は特に絶景で、とてつもないとこに城が建てられていたことを再認識しました。さらに縄張図などの解説看板があると、面白さが倍増しそうでした。
帰路は耶馬溪町側の登山道から下山。道が広くとても歩きやすかったですが、苔が凄く多いので、体を支える物があった方がいいです。また、最後は獣を防ぐ為のゲートがありますので、自分で開けて確実に閉めましょう!こちらから入る場合は、車で登山口下まで車で行けます。(写真⑨)
【駐車場】
山国町側:登山口付近の道路脇
耶馬溪側:登山口付近の道路脇
共通:国道212 一ツ戸隧道脇に大きめのスペースあり
【トイレ】
なし。道の駅 山国で済ませて来るのがお奨め
【装備】
トレッキングウェア&シューズ、帽子、手袋(必須)、あればトレッキングポール(耶馬溪側のみ、山国町側はむしろ邪魔かも)
【時間】
約2時間(往復耶馬溪側使えばこれより短縮)
【目印】
カーナビ:山紫水明(日本料理のお店)だと山国町側
登山道:山国町側:民家の横 小さな看板あり写真②
耶馬溪側:獣ゲート過ぎて暫く進むと左手に看板あり
【親子】
山国町側:小学校 高学年~
耶馬溪側:小学校 低学年~
【モデル】
山国町側登山道→石垣堪能→本丸→耶馬溪側登山道
【 + α 】
平田城攻略後、山国町の守実温泉『やすらぎの郷』(日帰り入浴)で汗を流し、非日常を満喫!さっぱりした所で、保育園のお迎えという現実の仕事に取りかかりました~。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 中間氏?
築城年 建久6年(1195)
主な改修者 細川氏
主な城主 中間氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、堀切、堅堀
指定文化財 市史跡(一ツ戸城址)
再建造物 説明板
住所 大分県中津市耶馬溪町大字宮園字一ツ戸
問い合わせ先 中津市文化財課
問い合わせ先電話番号 0979-22-1111