福岡城は関ヶ原の合戦の翌年の慶長6年(1601)から7年をかけて黒田長政によって築かれました。九州でも屈指の巨城だと思います。
熊本城を築いた加藤清正の子・忠広は幕府によって改易になりますが、黒田家は婿養子を迎えながらも血統を繋ぎ、明治維新まで続いています。
下之橋御門は築城時と同じ位置にある唯一の現存門とされています。昭和初期に元々二層だった門を単層の門に改築してありましたが、平成12年に焼失し、残った部材を使用して平成20年に本来の姿で復元されました。城内の潮見櫓は大正の初めに黒田侯別邸に移された物を昭和31年に、ここに移築したものとされていましたが、実際は崇福寺に移築されていたことが判明したようです。
現在、城内にある櫓は太鼓櫓だった可能性もあると考えられています。
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