日本100名城

ふくおかじょう

福岡城

福岡県福岡市

別名 : 舞鶴城、石城
旧国名 : 筑前

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福岡城
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天守無しがアツい

かつてここに球場もあった (2021/04/04 訪問)

日本各地に城跡はありますが、福岡市にもそれがあることを今回初めて知りました。豊臣秀吉の軍師を務めた黒田官兵衛およびその一族がこの辺りを治めた…そうです

城跡の圏内に入ると、早速だだっ広い原っぱがありました。ここはかつて平和台球場という球場が存在していた場所。西鉄ライオンズや福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)などが本拠地として使用していました

1993年に福岡ドーム(現ペイペイドーム)が新設され、それ以降も二軍の試合が開催されてはいたものの1997年に閉鎖。2005年の九州を襲った地震による球場壁の亀裂により、2007-08年にかけて解体。今は完全に何も無くなってる…

城の中にかつて球場があったなんて、そういう時代もあったのか…そしてそれも今は夢の跡…という感じに思えましたね。その近くに「福岡城むかし探訪館」があったので、そこに入りました

館内は無料入場可。黒田官兵衛が使用していたと言われる刀および、福岡城跡のジオラマ(画像)が展示されていました。城跡の歴史を紹介したビデオ上映も

この施設もwi-fiの環境が非常によく、ソシャゲ&ニュースチェックに時間を割いてしまった私…上映されたビデオによると、福岡城跡には現在天守閣は無く、「過去にも無かった説」が有力なのですが、資料によっては「江戸時代あたりにはあった説」を匂わすものもあるそう。つまり100%無かった…とは言えないらしい

探訪館で館内見物よりもソシャゲに勤しんだ後、せっかくなのでその天守に向かうことにしました。城跡はかなり広く、皇居(江戸城跡)よりも広いかもと思わせるくらい🚶‍♀️

少し小高い場所が天守跡。雨で抜かるんだ坂を登り、急な石階段を登り、さらに階段を上がった先にそこはありました

天守閣がここにあったのかは私にも分かりません。けれどここからは福岡市内を手に取るように一望することができます…現代のようにビルも無かった安土桃山および江戸期の頃はここだけしか周りを見渡せる場所は無かったでしょう…⛰️

この城跡には他にも鴻臚館とか和風庭園とかあるのですが、時間の都合でカット…またの機会があればその時に

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風に立つライオン

潮見櫓復元工事、多聞櫓内部公開 (2023/11/05 訪問)

潮見櫓の復元工事が始まりました。場所は大濠公園すぐ近く。令和7年春完成予定。また、多聞櫓内部も公開中。

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姫街道

江戸時代の縄張り (2023/10/27 訪問)

石垣積み直しも比較的新しいのか、はっきり・スッキリした縄張りだと感じた。特に天守台周り。
一面ツクシオオガヤツリに覆われている堀。個人的には好きだ。

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トク

黒田家の名宝展から福岡城へ(大天守の話題) (2023/10/07 訪問)

福岡市博物館で黒田家の名宝展を見た後、今度はその足で福岡城を訪れてきました。
実は最近また話題になっている事があり気になったので。

以前私は、小倉藩主の細川忠興が息子の忠利に宛てた手紙に、「長政公はせっかく建てた(福岡城の)天守を壊してしまった」と書いてあった文章が見つかり、福岡城には天守があったのでは?と論争を呼んだ事をお伝えしました。

正保の絵図には大中小の天守台は描かれていますが天守は描かれておらず、中小天守台には矢蔵跡の記述があり、大天守台には何も記述はありません。よって壊されたのは、おそらく中小天守(矢蔵)の事で、大天守は最初から建てられていないのではないかといった見方が大方の歴史家の意見でした。最近福岡では、そのありもしなかった大天守を再建させ観光の目玉にしようといった経済界のシンポジウムがあり、また新たな話題を呼んでいます。

過去にもそういったあいまいな中で建てられた模擬天守はいくつかあります。例えば九州では、取り壊した名護屋城の部材を使ったという記述だけで名護屋城の絵図に似た正保の絵図には無かったはずの天守が建てられた「唐津城」、同じく正保の絵図にもなかったのに奥平氏の子孫の呼びかけでなぜか萩城の写真に似せて建てられた「中津城」、幕末まで忠興の層塔型の天守が建っていたはずなのに地元商店街の要望で望楼型に変えて再建されてしまった「小倉城」、などなど。 しかしそれらはいずれも昭和の時代の話であり、平成以降では木造で忠実に再建されるのが主流で、そのためにはどのような天守だったかを示す明確な資料が必要です。しかし福岡城の場合はそれにも乏しく、これでは文化庁の基準にも合致していないので個人的には無理なような気がしますが・・・

数少ない資料から、想像をふくらませて議論し、夢を見るのはもちろんいい事だと思います。それは城マニアの楽しみでもあります。しかし経済利益のために、なかったものをあたかもあったように作り、歴史をゆがめようとするのはあまり賛成できません。歴史はやはり正しく後世に伝えていくべきではないかなと、私はこの名宝展で400年前の本物の正しい歴史の資料を見た後にこの話題を聞き、ついそう思ってしまいました。勝手な意見ですいませんでした。(長政公はどうお考えであろうか?・・・🤔)
 

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概要

関ヶ原合戦の戦功で筑前に入国した黒田孝高・長政父子が築いた巨大城郭。丘陵の先端に築いた本丸を、東の二の丸・二の丸・南の二の丸、さらに三の丸が守りを固め、これらを囲む水堀は幅50m以上だったという。本丸と二の丸は高石垣の総石垣造で、三の丸は土塁造。現存する南の丸多聞櫓は国の重要文化財に指定されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 黒田長政
主要城主 黒田氏
文化財史跡区分 国重要文化財(南丸多聞櫓)、国史跡(福岡城跡)、県有形文化財(潮見櫓・大手門・祈念櫓)、市文化財(名島門)
近年の主な復元・整備 黒田長溥
天守の現況・形態 不明(天守台あり)
主な関連施設 二の丸北隅櫓、大手門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓4棟、門3棟、石垣、天守台、横堀(水堀)
住所 福岡県福岡市中央区城内
問い合わせ先 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課
問い合わせ先電話番号 092-711-4783