日本100名城

ふくおかじょう

福岡城

福岡県福岡市

別名 : 舞鶴城、石城
旧国名 : 筑前

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福岡城
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トク

九州はひとつ(福岡城の夕陽とファイト九州デー) (2026/08/11 訪問)

ドームから福岡城を通って市内中心部まで、1時間かけて歩いてみました。天守台は発掘調査が再度始まったようで、立ち入り禁止でしたが、しかし夕陽に映える下之橋御門・天守台石垣・多聞櫓・潮見櫓はきれいでした。

今日は、ペイペイドームで行われた、「つながりがチカラになる。がんばろう熊本! ファイト九州デー」の試合を見た帰りです。入口で選手により行われた募金活動に募金をし、入場者全員に配られたユニフォームを着て、九州はひとつ、みんなで熊本を応援しよう! というイベント試合でした。この九州の独特な雰囲気の一体感、私は好きです。4万6千人の超満員のドームに響き渡る声援もすごかったです。その中で、熊本出身の牧原選手のホームランで快勝! この声援は、きっと福岡から熊本に届いたと思います。
 

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コロスケコロコロ

福岡城! (2026/04/11 訪問)

桜がキレイで、櫓や石垣が立派で良かったです。

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小城小次郎

潮見櫓がふたつになった? (2025/05/06 訪問)

解体保存されていた櫓の古材を最大限活用し2025年に原位置に再移築された。それはめでたいがこちらが真の潮見櫓とわかったことでこれまで潮見櫓と呼ばれてきた櫓の立場がなくなり(伝)潮見櫓と改称された。あれまあ。

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トク

「福岡城天守台発掘調査」経過報告書を読んだ感想 (2026/03/20 訪問)

福岡城を訪れると、天守台の脇にあった枝垂れ桜(早咲き桜)が1本だけ咲いていました(写真①)。しかしソメイヨシノは3/20現在まだ一輪も咲いておらず(写真②)、満開予想は4/2頃となっていますので、花見をされる方は御注意下さい!(写真⑥)。では本題に入ります。

昨年7月~12月行われた、福岡城に天守は本当にあったのかを探る、天守台穴蔵(写真③)の発掘調査の経過報告書がついにまとめられ公開されたので読んでみました。

結論から言えば、天守床下を支える「束石(つかいし)」(床下を支える柱の基礎)と「桐紋の瓦」が、一つずつ見つかったそうです。

礎石だけでなく束石と瓦があったという事は、ここに何らかの建物が建っていたという可能性は高いという事になるのでしょうか? また桐紋と言えば、豊臣家ゆかりの者にしか使えない瓦のはずです。

しかしここでふと疑問が🤔? 福岡城の築城は関ケ原後の1602~1607年です。豊臣期の瓦が出るはずがありません。桐紋瓦は、豊臣秀長の大和郡山城や、秀吉が築いた名護屋城など、豊臣ゆかりの城によく見られる事はみなさんも御存知と思います。

しかしちょっと待てよ🤔? 前回に名島城を訪れた時、名島城の建物や石垣は、黒田長政によって福岡城に移築されたと書いてありました。確かに名島城の脇門であったとされる「名島門」は現存し、現在三の丸に移築保存されています(写真④⑤)。しかし名島城の天守に関しては、佐竹義宣の家臣の見聞録に立派な天守が建っていたとの記述が残されているようですが、どのような天守だったのか? 具体的な記録は未だ発見されていません。古図を見る限りでは天守の存在は何とも言えませんが(写真⑧)、でも余湖氏の絵図にはかっこよく天守が描かれています。

よく考えると、名島城は秀吉からとても信頼の厚かった小早川隆景が築城したもので、豊臣姓も賜った隆景なので、桐紋の瓦があったとしてもおかしくありません。という事は🤔・・・福岡城の天守台(写真②)の上には、実は移築された名島城の天守が建っていたという事になるのでしょうか?・・・😱!

しかし発見されたのはどちらもわずか1点のみであり、調査も十分になされたとは言えない段階なので、たったこれだけでここまで推測するのはちょっと早計かもしれませんが、これを受けて福岡市は、今年も調査を継続する事に決め、令和8年度予算案を議会に提出たそうです。今後はもう少し穴蔵を広範囲にそして少し深く掘って調査し、併せて外側の石垣の調査も開始したいそうです。

発掘調査経過報告書は以下に2ページで解かり易くまとめられていますので、興味のある方はアクセスされて下さい。福岡市の意地をかけた文化庁とのこの戦い、第2ラウンドはどんな展開が待っているのか? 予期せぬ方向に進んでいるので、ますます面白くなってきました😊!

https://www.city.fukuoka.lg.jp/gikaizimukyoku/giji/shisei/documents/04_20260218keizai-hokoku3.pdf
 

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概要

関ヶ原合戦の戦功で筑前に入国した黒田孝高・長政父子が築いた巨大城郭。丘陵の先端に築いた本丸を、東の二の丸・二の丸・南の二の丸、さらに三の丸が守りを固め、これらを囲む水堀は幅50m以上だったという。本丸と二の丸は高石垣の総石垣造で、三の丸は土塁造。現存する南の丸多聞櫓は国の重要文化財に指定されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 黒田長政
主要城主 黒田氏
文化財史跡区分 国重要文化財(南丸多聞櫓)、国史跡(福岡城跡)、県有形文化財(潮見櫓・大手門・祈念櫓)、市文化財(名島門)
近年の主な復元・整備 黒田長溥
天守の現況・形態 不明(天守台あり)
主な関連施設 二の丸北隅櫓、大手門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓4棟、門3棟、石垣、天守台、横堀(水堀)
住所 福岡県福岡市中央区城内
問い合わせ先 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課
問い合わせ先電話番号 092-711-4783