日本100名城

ふくおかじょう

福岡城

福岡県福岡市

別名 : 舞鶴城、石城
旧国名 : 筑前

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福岡城
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小城小次郎

潮見櫓がふたつになった? (2025/05/06 訪問)

解体保存されていた櫓の古材を最大限活用し2025年に原位置に再移築された。それはめでたいがこちらが真の潮見櫓とわかったことでこれまで潮見櫓と呼ばれてきた櫓の立場がなくなり(伝)潮見櫓と改称された。あれまあ。

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トク

「福岡城天守台発掘調査」経過報告書を読んだ感想 (2026/03/20 訪問)

福岡城を訪れると、天守台の脇にあった枝垂れ桜(早咲き桜)が1本だけ咲いていました(写真①)。しかしソメイヨシノは3/20現在まだ一輪も咲いておらず(写真②)、満開予想は4/2頃となっていますので、花見をされる方は御注意下さい!(写真⑥)。では本題に入ります。

昨年7月~12月行われた、福岡城に天守は本当にあったのかを探る、天守台穴蔵(写真③)の発掘調査の経過報告書がついにまとめられ公開されたので読んでみました。

結論から言えば、天守床下を支える「束石(つかいし)」(床下を支える柱の基礎)と「桐紋の瓦」が、一つずつ見つかったそうです。

礎石だけでなく束石と瓦があったという事は、ここに何らかの建物が建っていたという可能性は高いという事になるのでしょうか? また桐紋と言えば、豊臣家ゆかりの者にしか使えない瓦のはずです。

しかしここでふと疑問が🤔? 福岡城の築城は関ケ原後の1602~1607年です。豊臣期の瓦が出るはずがありません。桐紋瓦は、豊臣秀長の大和郡山城や、秀吉が築いた名護屋城など、豊臣ゆかりの城によく見られる事はみなさんも御存知と思います。

しかしちょっと待てよ🤔? 前回に名島城を訪れた時、名島城の建物や石垣は、黒田長政によって福岡城に移築されたと書いてありました。確かに名島城の脇門であったとされる「名島門」は現存し、現在三の丸に移築保存されています(写真④⑤)。しかし名島城の天守に関しては、佐竹義宣の家臣の見聞録に立派な天守が建っていたとの記述が残されているようですが、どのような天守だったのか? 具体的な記録は未だ発見されていません。古図を見る限りでは天守の存在は何とも言えませんが(写真⑧)、でも余湖氏の絵図にはかっこよく天守が描かれています。

よく考えると、名島城は秀吉からとても信頼の厚かった小早川隆景が築城したもので、豊臣姓も賜った隆景なので、桐紋の瓦があったとしてもおかしくありません。という事は🤔・・・福岡城の天守台(写真②)の上には、実は移築された名島城の天守が建っていたという事になるのでしょうか?・・・😱!

しかし発見されたのはどちらもわずか1点のみであり、調査も十分になされたとは言えない段階なので、たったこれだけでここまで推測するのはちょっと早計かもしれませんが、これを受けて福岡市は、今年も調査を継続する事に決め、令和8年度予算案を議会に提出たそうです。今後はもう少し穴蔵を広範囲にそして少し深く掘って調査し、併せて外側の石垣の調査も開始したいそうです。

発掘調査経過報告書は以下に2ページで解かり易くまとめられていますので、興味のある方はアクセスされて下さい。福岡市の意地をかけた文化庁とのこの戦い、第2ラウンドはどんな展開が待っているのか? 予期せぬ方向に進んでいるので、ますます面白くなってきました😊!

https://www.city.fukuoka.lg.jp/gikaizimukyoku/giji/shisei/documents/04_20260218keizai-hokoku3.pdf
 

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カズサン

小・中天守台と本丸編 (2025/10/26 訪問)

 大天守台編の続です。

 大天守台の南側武具櫓曲輪側より大天守台を眺めて東に続く中・小天守台へ、小天守台南東面水の手に落ち込む高石垣を下に覗き込むが高さで足がすくむ、小天守台上にそのまま進行し、小天守台内部、西に向いて中天守台の石垣を見学、北の石段を降りて本丸内部へ、太陽の逆光で小・中天守台の撮影はしずらい。
 福岡城の天守構造は西に大天守閣、中天守閣、小天守閣と東に連なる構えで日本城郭で唯一の形に成っています。福岡城の城郭建物は白壁に黒下見板張りで黒を基調にした建物だったのでしょう。甦った天守閣群を想像すると頭と胸がいっぱいに成ります。
 本丸内部は時期的に桜は紅葉前の葉桜で鬱蒼としており、天守台の発掘調査の関係か人のでは少な目、日曜日ですが閑散としていました、三の丸の陸上競技場側は何かイベントでもあるのか賑わっていました。
 この後は、前から訪ねたかった、幕末福岡藩築城の犬鳴別館へと移動しました。

 福岡城復元潮見櫓探訪撮影投稿し残した写真を4編に渡り長々との投稿をご覧頂きありがとうございます。
 スギ花粉飛散が酷く城探訪を控えて居り、皆さんの投稿を楽しみに見て居ります。
   

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カズサン

大天守台編 (2025/10/26 訪問)

 伝潮見櫓と復元潮見櫓編の続です。

 復元潮見櫓を三の丸側外濠越しと初見学探訪し下之橋御門周辺を終えて、大天守台の穴蔵発掘調査中では有ったのですが踏み込める範囲以内を見学しました。大天守台穴蔵の前にはフェンスが張られて進入禁止、期間は2025年6月30日~12月中頃(予定)と告知案内されていました。
 天守曲輪の鉄門虎口から入り、穴蔵フェンス前、穴門、天守台の南に抜けて、中天守台南から小天守台へ小天守台の南東角の高石垣を望み込みゾッとする高さ、小天守台北の石階段から本丸内部に戻るコースを廻りました。

 天守台穴蔵の礎石現場を発掘調査して慶長6年(1601年)築城時には大天守閣が建っていたとの調査結果が出て大天守閣の復元が叶うと良いのですが?調査結果が待たれます。

 小・中天守台と本丸編に続きます。
 

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概要

関ヶ原合戦の戦功で筑前に入国した黒田孝高・長政父子が築いた巨大城郭。丘陵の先端に築いた本丸を、東の二の丸・二の丸・南の二の丸、さらに三の丸が守りを固め、これらを囲む水堀は幅50m以上だったという。本丸と二の丸は高石垣の総石垣造で、三の丸は土塁造。現存する南の丸多聞櫓は国の重要文化財に指定されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 黒田長政
主要城主 黒田氏
文化財史跡区分 国重要文化財(南丸多聞櫓)、国史跡(福岡城跡)、県有形文化財(潮見櫓・大手門・祈念櫓)、市文化財(名島門)
近年の主な復元・整備 黒田長溥
天守の現況・形態 不明(天守台あり)
主な関連施設 二の丸北隅櫓、大手門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓4棟、門3棟、石垣、天守台、横堀(水堀)
住所 福岡県福岡市中央区城内
問い合わせ先 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課
問い合わせ先電話番号 092-711-4783