日本100名城

ふくおかじょう

福岡城

福岡県福岡市

別名 : 舞鶴城、石城
旧国名 : 筑前

投稿する
福岡城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トク

天守台の測量調査開始 (2025/05/01 訪問)

天守台の発掘調査をするための前準備として、天守台の測量調査が開始されました(写真①)。ドローンを使って測量し、まず平面図や立体図を作り、レーザー探査で石垣の強度なども調べ、それを基に7月から本格的な発掘に入るそうです。いきなりドローンを使うとは思いませんでした。今後もどんな手法を使って行くのか、最先端技術を駆使するであろう発掘調査に、私は興味津々です(写真②③④)。

幻の天守も撤去され、発掘前までのつかの間ですが、現在は天守台へ登る事ができます(写真⑤)。また黒田如水の隠居所である御鷹屋敷跡にはボタンの花が(写真⑥)、潮見櫓周辺にはツツジの花が(写真⑦⑧)咲いていました。明日明後日はいよいよ「博多どんたく」が開催され、例年200万人の人出で博多の街はにぎわいます(写真⑧)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

「福岡城さくらまつり」と「潮見櫓一般公開」 (2025/03/29 訪問)

福岡城さくらまつりに行ってきました。桜は満開でとても綺麗でした。福岡はここ1週間好天が続き、桜も長く満開状態が続いているので、とても人出が多くにぎわっています。

さくらまつり終了後、いよいよこの天守台周辺では発掘調査が始まります。天守は本当にあったのでしょうか? 今後の行方が楽しみです。

三ノ丸北西隅では、再移築された潮見櫓の一般公開も始まっていました。外側の下見板張りや内側の床板などは新しくなっていましたが、天井の梁や瓦は再利用されていました。決め手となった木札も見る事ができました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

潮見櫓と下之橋御門 (2025/02/23 訪問)

福岡城は関ヶ原の合戦の翌年の慶長6年(1601)から7年をかけて黒田長政によって築かれました。九州でも屈指の巨城だと思います。
熊本城を築いた加藤清正の子・忠広は幕府によって改易になりますが、黒田家は婿養子を迎えながらも血統を繋ぎ、明治維新まで続いています。
下之橋御門は築城時と同じ位置にある唯一の現存門とされています。昭和初期に元々二層だった門を単層の門に改築してありましたが、平成12年に焼失し、残った部材を使用して平成20年に本来の姿で復元されました。城内の潮見櫓は大正の初めに黒田侯別邸に移された物を昭和31年に、ここに移築したものとされていましたが、実際は崇福寺に移築されていたことが判明したようです。
現在、城内にある櫓は太鼓櫓だった可能性もあると考えられています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

幻の天守閣イベント始まる

幻の天守閣ライトアップイベントが始まりました。桜まつりりの日程も決まったようです。ライトアップは昨年は5月末まで行われましたが、今年は発掘調査のため桜まつり終了後、昨年より早く撤去されるようなので、お早めにどうぞ! 潮見櫓の一般公開も3月17日から始まるそうです。

+ 続きを読む

概要

関ヶ原合戦の戦功で筑前に入国した黒田孝高・長政父子が築いた巨大城郭。丘陵の先端に築いた本丸を、東の二の丸・二の丸・南の二の丸、さらに三の丸が守りを固め、これらを囲む水堀は幅50m以上だったという。本丸と二の丸は高石垣の総石垣造で、三の丸は土塁造。現存する南の丸多聞櫓は国の重要文化財に指定されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長6年(1601)
築城者 黒田長政
主要城主 黒田氏
文化財史跡区分 国重要文化財(南丸多聞櫓)、国史跡(福岡城跡)、県有形文化財(潮見櫓・大手門・祈念櫓)、市文化財(名島門)
近年の主な復元・整備 黒田長溥
天守の現況・形態 不明(天守台あり)
主な関連施設 二の丸北隅櫓、大手門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓4棟、門3棟、石垣、天守台、横堀(水堀)
住所 福岡県福岡市中央区城内
問い合わせ先 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課
問い合わせ先電話番号 092-711-4783