ながいわじょう

長岩城

大分県中津市


旧国名 : 豊前

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織田晃司

非常にきびしぃ〜 (2024/02/10 訪問)

山城愛好家憧れの城、長岩城。
石塁と石垣満載の城。

一之城戸〜本丸は安全なほう。
小川を渡る場所があり、長いアルミ梯子を登り、細い断崖尾根を進む石積櫓は上級コース。
下手すれば命の危険を伴う弓形砲座は最上級コース。

天候と体調と相談して無理のない登城を。

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小城小次郎

日本城郭界の突然変異 (2022/05/28 訪問)

長大な石塁線や銃眼風の石窓を持つ石積櫓など、ここでしか見ることのできない装備が満載で「日本城郭界の突然変異」とでも呼ぶべき存在。もしかして野仲鎮兼が黒田氏に屈するまで野仲氏23代を共に過ごしたお城なのかもしれない。

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ryu

長岩城探訪(2015年)(2) (2015/11/28 訪問)

長岩城探訪の続き。まだまだ見所が多く第2弾。

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ryu

長岩城探訪(2015年)(1) (2015/11/28 訪問)

全国的にも珍しい石積み櫓や石塁が残る長岩城を訪城。

長岩城は急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城。初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、南北朝、戦国時代に増改築された。天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となる。
一帯は険阻な断崖絶壁地帯で天然の要害を巧みに取り入れ、断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城。
石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、のぞき穴の設置としても、わが国最古のものであり、全国に類例を見ない貴重な遺構で、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。【中津耶馬渓観光協会】

今回、地元の長岩城址保存会の板迫さんたちがガイドしていただけるということで、愛好家たちが集まった。
中津市役所耶馬溪支所前に集合し、津民川を遡り登山口まで車で上がる。登山口の記帳所で名前を書き、鹿よけのネットを外して山中に入る。
二之城戸、三之城戸と登り石垣のような石塁が山の中に延びている。
長岩城は谷を挟んで右手に本丸、左手に陣屋跡や石積み櫓、弓形砲座などの遺構が残っている。
まずは、東之台を経由して本丸へ向かう。東之台から本丸にかけて続く石塁は見事である。
山頂(本丸)から西之台を経由して三之城戸に戻り、谷の反対側を登りかえし陣屋跡の石塁に至る。さらに少し登ると食糧の貯蔵や武士の休息に使われたという洞窟があり、この付近で軽く昼食をとる。

昼食後は、いよいよ石積み櫓を目指す。断崖に懸けられた6~7mほどのはしごを登って両側が切れ落ちた稜線に出て、やせ尾根を上り下りした先に石積み櫓がある。よくもこんなところまで石を運んで築きあげたものである。
石積み櫓から戻り、「危険につき立入禁止」とあるロープをくぐって三角岩といわれる大きな岩の手前まで進む。遠くに弓形砲座が見えているが、この先はやせ尾根が崩れて危険とのことで一度、谷を下って林道に出て、そこから登り返す。
林道からの登りも急斜面とやせた尾根でロープ沿いに登ると目指す弓形砲座にたどり着く。

今回のルートは、両側が切れ落ちた絶壁が続くもののルート上にはロープが張られ、単独でも迷うことはない。しかし、地元の方に案内していただいたおかげで長岩城の歴史や地元の保存へのあつい思い等を知ることができ、とても有意義な探訪となった。

探訪順路:一之城戸~二之城戸~三の城戸~東之台~石塁~本丸~西之台~陣屋跡、砲座跡~石積櫓~弓形砲座

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 野仲重兼
築城年 建久9年(1198)
主な城主 野仲氏
廃城年 天正16年(1588)
遺構 曲輪、石垣、砲塁、堀切、堅堀
指定文化財 県史跡(長岩城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 大分県中津市耶馬溪町大字川原口
問い合わせ先 中津市役所
問い合わせ先電話番号 0979-22-1111