白米をまったけとは普通読みません。
だから城にある幟は平田城となってます。
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2023/10/04 21:24
2022/10/22 11:19
2022/08/29 17:00
平田城 (2019/04/30 訪問)
戦国期は、在地領主野仲氏の居城。野仲氏は城番として平田氏を置く。黒田氏入部時に攻撃され落城。その後、平田城は黒田家の重臣栗山利安に与えられ、石垣作りの城へ造りかえられたと考えられる。
遺構の残存状況は城域は二つの丘陵に及ぶ。南側の忠霊塔のある丘陵斜面には、16世紀末の石垣がある。算木積みが未発達な点など中津城跡と共通する特徴がある。築石部は布目崩し積みになっている。
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2020/12/03 17:48
景勝地に黒田時代の石垣が残る平山城 (2020/11/21 訪問)
ここも2年前に台風24号の襲来で登城を諦めた処、ここの城の認識は城郭放浪記さん毎月放浪履歴で紹介が2018年8月に有り黒田官兵衛改修石垣が残ってるの情報にて登城しなくてはと2年前の北九州未踏城廻りにリストアップした所以。
豊前松山城から東九州道で上毛SIC降り山国川沿いの国道212号線を日田方面へ耶馬渓の景勝地を走行し有名な青の洞門、奇岩絶景を見ながらの走行でした、石橋の馬溪橋辺りから城跡が見え沿道には平田城の幟旗が城跡まで連なってる。
車は東麓登城口の駐車場を利用、トイレ完備、10台は可能、ナビは駐車場(大分県中津市耶馬渓町大字平田948-2)に合わせるがGoogleMap航空写真で微調整して下さい。
平田城のパンフレットは本丸東屋の資料設置箱に有りました、本丸には忠霊塔が立ってます、本丸周囲に黒田氏時代の石垣が残ってます、本丸の在る南台と、谷を挟んで北台の曲輪群が南台より大規模、フェンスが張られてひれない様子、谷道を歩きながら北台の曲輪群の稜線が杉林間に見え一部石垣も目ます。一部しか公開されてませんが素晴らしい構造と遺跡が大切にされてます見応え充分です。
本丸の南東部に山国川を挟んで耶馬渓の奇岩「名勝耶馬渓、立留りの景」が眼前に迫って来ます、山国川には石橋の馬渓橋と名勝真っ只中と言う感有り。
歴史的には長岩城主野仲氏の領有で戦国期平田掃部介の居城、天正16年(1588年)黒田官兵衛豊前を拝領し豊前の諸城を抑え長岩城攻めに戦功の有った栗山備後利安に平田城を与えた、黒田騒動の栗山大善が生まれた城としても有名。(パンフレット抜粋)
平田城は最近の呼称で以前は白米城(マッタケジョウ)と呼ばれていたそうです。
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分類・構造 | 丘城 |
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築城主 | 野中重房 |
築城年 | 建久年間(1190〜1199) |
主な改修者 | 栗山利安 |
主な城主 | 野中氏、平田氏、栗山氏(黒田氏家臣) |
遺構 | 曲輪、石垣 |
指定文化財 | 県史跡(平田城跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 大分県中津市耶馬溪町大字平田 |
問い合わせ先 | 中津市文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0979-22-1111 |