黒田六端城を行く、5城目は「松尾城」です。秋月氏の支城があった東峰村の小石原に、黒田長政は「中間六郎右衛門統胤」に2,500石で与えます。中間氏は黒田氏が豊前入国時に反旗を翻した城井氏(宇都宮鎮房)の家臣でしたが、黒田に寝返り朝鮮出兵や関ケ原にも付き従ったと伝えられています。
杷木(はき)バスターミナルから小石原行のバスに乗り70分、「東峰村役場前」で下車しました。正面に見える国道211号と500号の交差点そばに松尾山(比高50m)が見えます。バス停から城跡までは徒歩15分です。車の方は交差点から入ったすぐの所に駐車場があり、そこから徒歩5分で登れます。
登城路(写真①)から城跡は草や倒木もあり、あまり整備されていませんでした。畝状竪堀もあるらしいですが、草でどこかよくわかりません(写真④)。一国一城令で破却されましたが、桝形虎口や石垣が少しだけ残っていました(写真②③)。本丸は杉の木に囲まれていましたが、わずかに眺望がありました(写真⑤⑥)。当時は杉の木は無かったと思うので、眼下の街道を通る者たちをよく監視できたのではないかと思います。
バスは1日3本しかなく、登城後まだ帰りのバスまで2時間もあったので、バス停の前にある道の駅で食事をし、小石原焼を見学したりして時間をつぶしました。しかし、私がこんな山奥までわざわざバスで来たのには、もう一つの理由がありました。その最終3本目14:38に乗り、そして何と途中のさらに山深い福岡県と大分県の県境「宝珠山」で降ります。ここにはかつてJR日田彦山線の宝珠山駅がありました(写真⑧)。
その理由とは、2017年の九州北部豪雨災害で廃線となったJR日田彦山線の代替えとして、現在は廃線跡をBRT(=Bus Rail Train)が走っていて、それに乗ってみたかったからです。ここから狭い廃線跡の長い彦山トンネルの中をぎりぎりの幅で走ります!(写真⑨)。そして終点「添田駅」で下車すると、BRTと接続する列車が同じホームに止まる(バスと列車が同じホームで乗り継ぐリレー方式)という、何とも珍しい光景に出会いました(写真⑩)。そしてJRで田川後藤寺線・篠栗線を乗継いで博多へ帰りました。地方のJRは赤字や災害で存続危機の路線が多いので、このような方式は大変いい試みだと思いました。
+ 続きを読む