(続き)
一乗谷の北端には正門にあたる下城戸が設けられ、下城戸北側に広がる安波賀地区には足羽川水運の川湊があり、一乗谷の物流の拠点となっていました。
下城戸
下城戸は一乗谷北端の谷幅が最も狭くなったところに設けられた城戸で、高さ4.5mの土塁と水堀で侵入を防ぎ、西端に巨石を組み合わせた通路が矩折状に通じています。立ち並ぶ巨石には圧倒されますが、巨石や土塁の上には建物の痕跡は検出されず、絶大な権力を誇示するためのものと考えられます。一乗谷川の対岸にも土塁や屋敷跡と思われる削平地があるようですが、今回は未確認です。
安波賀春日神社(福井市安波賀町)
一乗谷の鎮守社として崇敬された神社で、一乗谷が炎上した際に社殿を焼失しましたが、江戸中期に福井藩主・松平氏により再建されています。社殿からさらに山上の瀧殿社には五代・義景の分霊が祀られているようですが、見落としてしまいました…。
伝朝倉宗滴館跡(福井市安波賀町)
安波賀春日神社から西山光照寺に向かう道中に朝倉宗滴の館跡と伝わる地があるようなので行ってみましたが、石碑や説明板などそれらしいものは見付けられませんでした。ただ、すぐ近くのJR越美北線の踏切は「金吾谷」だったので、やっぱり…という感じでした。
西山光照寺(福井市安波賀中島町)
一乗谷最大級の寺院で、発掘調査により礎石建物や地下式倉庫、巨石を用いた石垣、石組溝などが確認され、40数体もの笏谷石による大きな石仏が立ち並んでいます。
そして西山光照寺から博物館に戻って、一乗谷をひとめぐり。さすがに一乗谷城の出城にあたる小見放城や小城までは無理でしたが、城下で予定していたところはひと通り見て回ることができました。出城に加えて取りこぼしもいくつかありますし、100名城スタンプも押し忘れてしまったので再訪必須ですが、大満足の一乗谷でした。
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