ちょっと古いのですが一乗谷朝倉氏遺跡の写真です。一乗谷城は山城と麓の朝倉氏居館を中心とした城下町から成り、城下町をこれだけ解りやすく再現した遺跡はなかなか無いと思います。ひょっとして唯一の物ではなかろうか。山上の城には行っていません。
南北に城戸があり、その間の1.7kmの間に商家や町屋、武家屋敷などが整然と並んでいます。織田信長との闘いでこの町全体が炎で包まれたと思うと世の無常を感じます。
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2025/08/31 10:02
2025/05/22 13:05
山上の一乗谷城に登ってきました (2025/05/05 訪問)
一乗谷川両岸に拡がる朝倉氏一乗谷遺跡を訪れること三度目にして、山上の一乗谷城にも登ってきました。英林塚からの登城口に山頂まで1.0kmとあり、0.5kmまでは順調に登って来た感があったのですが、0.3kmや0.2kmの標識以降では、とんとペースが落ちました。ほんとに表示距離は合ってるの?って感じ。移動距離でなくて、残りの比高を表示しているんではないのと思うくらい。
山上御殿群に到着。郭群の背後の尾根を土塁代わりに利用しています。尾根の切通しを超えたところに写真4の説明板があり、「背後から10mほど行くと畝状竪堀があります」と。「背後」って? 自分の背後だと気づくのにだいぶかかりました。山上御殿群背後の尾根の外側の切岸が終わって、なだらかになったところにわさわさと並んでました。全体では100以上の竪堀が作られているとありました。
防御施設の連続郭群に進みます。城びと先人のレポート通り、一の丸内部は藪化。切岸を登る道も直登に近いです。二の丸、三の丸は切り開かれてました。大身の朝倉氏だけあって規模は大きいです。登って来た甲斐がありました。
カメラvsスマホについて、つぶやき。私はスマホのみです。城びとに写真をアップする際に、たまに「この写真はアップロードできません」とでます。最初は、不適切な映り込みがあり撥ねられているのか、誰かがチェックしているのかと、不安な感じもしました(おばかさんでした)が、最近になって、スマホでも10MBを越すことがあるためと認識しました。JPEGで、変化が少ない部分が多い写真は強く圧縮できるが、藪のような細かい変化が多い写真は圧縮しにくいのですねえ。
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2025/05/04 09:57
朝倉氏の館だけでなく、城下町と周囲の山城を含む縄張までが一乗谷城と呼ばれている。織田信長の侵攻によって灰燼に帰したが、武家屋敷や町屋群が復元整備されている。また、平面表示された朝倉氏館跡でも、約80m四方の居館を土塁と堀で囲んだ当時の雰囲気が伺える。
城地種類 | 山城 |
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築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | 朝倉氏 |
主要城主 | 朝倉氏、桂田氏 |
文化財史跡区分 | 特別史跡(一乗谷朝倉氏遺跡)、特別名勝(庭園)、重要文化財(遺跡出土品) |
近年の主な復元・整備 | 桂田長俊 |
主な関連施設 | 侍屋敷、町家、庭園、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、虎口、門 |
住所 | 福井県福井市城戸ノ内町 |
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問い合わせ先 | 福井市教育委員会事務局文化課 |
問い合わせ先電話番号 | 0776-20-5367 |