日本100名城

いちじょうだにじょう

一乗谷城

福井県福井市


旧国名 : 越前

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一乗谷城
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atsufumi

素晴らしいミュージアムができました。 (2023/01/09 訪問)

川湊と推測される石敷遺構の上に露出展示すべく建設された「あさみゅー」一乗谷朝倉氏遺跡博物館!
いいですよ。
大・小・小・小・小と連なった三角屋根がカッコイイ!
内藤廣建築設計事務所さんとセンボー建築事務所さんJVの設計だそうです。

あいにくの天気(1月なのに雪ではなくすごい雨)でしたが、復元町並みも見てきました。
山の上の一乗谷城へは、とても無~理~。またいいお天気の時にチャレンジしてみます。

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スティクラ

一乗谷城朝倉氏遺跡と朝倉氏歴史資料館へ (2023/01/07 訪問)

青春18切符が余っていたので、長年行きたかった一乗谷へ向かう。
電車の時間の関係上、一乗谷城まで散策することはできず、朝倉氏遺跡と朝倉氏歴史資料館へ。

朝倉氏遺跡は、最寄の一乗谷駅から徒歩で30分程度。
朝倉氏遺跡に行く途中の踏切を過ぎてから少しすると遊歩道があり、当時の街並みの遺構をみながら向かうことができるので退屈はなし。
一乗谷復原町並を見た後に朝倉氏館跡へ。
高台からの景色は素晴らしかった。現代の建物が少なく、当時もこんな感じだったのかな~と思わせてくれる風景だった。
散策時間は40分程度。

朝倉氏館跡に行った後歴史資料館へ。
偶然に資料館の無料ガイドが始まる時間だったので、参加。
ガイドの人が言っていたが、資料館は県がかなり力を入れて作ったようで朝倉氏館の一部を原寸大で再現されているなど見る価値は十二分にあり。

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イオ

とことん一乗谷(東大味地区) (2022/11/19 訪問)

一乗谷に行く前に、一乗谷から西にひと山越えた東大味地区を訪れました。

美濃から越前に逃れた明智光秀は、まず称念寺門前で浪人時代を過ごし、朝倉氏に仕官した後は一乗谷の大手筋にあたる東大味に移り住んだとされます(そのため、称念寺も明智玉(後の細川ガラシャ)の生誕地とされますが、東大味地区でもガラシャ生誕地をうたっていました)。明智神社は光秀の屋敷跡と伝わる土居ノ内にある祠で、墨で塗りつぶされた小さな木彫りの光秀坐像が祀られており、「あけっつぁま」と呼ばれています。明智神社の向かいには東大味歴史文化資料館があり、無人ながら光秀や東大味地区、一乗谷についての様々なパネルが展示されていました。資料館の裏手にはハート苔なんてものもあり、明智神社は恋愛スポットなんだそうです(笑)

また、明智神社から西に徒歩3分の西蓮寺には柴田勝家の坐像が安置され、勝家・勝定の二通の安堵状が寺宝とされています。これは勝家らが越前入りして越前一向一揆と戦う際に、光秀が自らと家族が数年間を過ごした東大味の人々を戦火から守るべく勝家らに依頼して出させたものとされ、その恩からこの地では今なお光秀は慕われているんだとか。

明智神社と西蓮寺に行くには、県道沿いに設けられた明智神社臨時駐車場を利用するのが便利です。一乗谷朝倉氏遺跡広域周遊バスの乗降場所にもなっていますので、公共交通機関利用の場合にも起点となります。県道を東に進むと、車道から朝倉街道(大手道)が分岐して山を越えて一乗谷まで続いているようです。

…麒麟がくる紀行の一環として、東大味地区はぜひ来てみたかったので仕方ないんですけど、こんな風にあちこち寄り道してるから、肝心の一乗谷をめぐる時間が足りなくなってしまうんですよね。
 

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イオ

とことん一乗谷(連続曲輪群) (2022/11/19 訪問)

(続き)

切通道から尾根上を南に進むと一の丸跡に行きあたります。一の丸跡の北西麓には横堀がめぐり、高く切り立った切岸が聳えています。一の丸跡への道はなさそうなので直登しましたが、曲輪内は樹木が生い茂っていて、北東麓にあるはずの畝状空堀群もよくわかりませんでした。

一の丸跡から二条の堀切の脇を抜けて二の丸跡へ。道中の西側下にも畝状空堀群があるはずですが、藪に沈んでいました。二の丸跡には上る道があり、曲輪内も整備されています。二の丸跡で軽く昼食(菓子パン)を摂ると、堀切に設けられた土橋を渡って西尾根に向かいます。西尾根には伏兵穴と呼ばれる謎のくぼみが多数設けられていて、尾根の先端は堀切で断ち切っていました。

二の丸跡に戻り、二の丸跡南端の堀切を越えて三の丸跡へ。三の丸跡は堀切で二つの曲輪に区画され、東西両側斜面にびっしりと畝状空堀群が設けられている…んですが、現地で見れば一応それとわからないではないものの、私の拙い写真では撮った本人が見てもただの藪にしか見えません。三の丸跡南端の堀切に下りて、西に続く尾根の曲輪にも行ってみましたが、ほぼ未整備で、尾根の先の堀切を確認して引き返しました。

千畳敷跡に戻った時点ですでに登城開始から4時間が経過しており、下山途中に立ち寄ろうと思っていた小見放城はおろか、朝倉館跡や庭園跡、復原町並や一乗谷朝倉氏遺跡博物館を訪れる時間が満足に確保できないので、駆け足で中途半端にめぐるくらいなら日を改めて存分に…ということで、この日はここで一乗谷を後にしました。そもそも日帰りの一日だけで山城から一乗谷にあさみゅーまで全部めぐろうという想定に無理があったにしても、正直、消化不良感が半端ないですし、タイトルに反して全然とことんじゃありませんが……次回こそは!
 

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概要

朝倉氏の館だけでなく、城下町と周囲の山城を含む縄張までが一乗谷城と呼ばれている。織田信長の侵攻によって灰燼に帰したが、武家屋敷や町屋群が復元整備されている。また、平面表示された朝倉氏館跡でも、約80m四方の居館を土塁と堀で囲んだ当時の雰囲気が伺える。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 南北朝時代
築城者 朝倉氏
主要城主 朝倉氏、桂田氏
文化財史跡区分 特別史跡(一乗谷朝倉氏遺跡)、特別名勝(庭園)、重要文化財(遺跡出土品)
近年の主な復元・整備 桂田長俊
主な関連施設 侍屋敷、町家、庭園、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、虎口、門
住所 福井県福井市城戸ノ内町
問い合わせ先 福井市教育委員会事務局文化課
問い合わせ先電話番号 0776-20-5367