日本100名城

いちじょうだにじょう

一乗谷城

福井県福井市

別名 : -

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一乗谷城
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ミッピのパパ

お城のほうも整備してください。 (2019/05/24 訪問)

ずっと気になっていた一乗谷を訪れることができた。たまたま今年、NHKブラタモリでも放映されたので、映像による予習ができた。永年の発掘と整備で一乗谷自体はしっかり整備されていてよかった。発掘された一乗谷だけでなく、やはりお城ファンとしては 一乗谷城も行かねばならないので登城したものの、時期的に草ボウボウは仕方ないものの、下界の一乗谷に比べたら、あまり整備がされていないので遺構がよくわからない。結構きつい登城の結果、城跡がよくわからないというのは、ちょっとガッカリ。

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ぴーかる

一乗谷城 (2013/10/14 訪問)

【百名城15城目】
<駐車場他>復元町入口前に無料駐車場あり。時期が良いと満車になります。
<交通手段>車

<感想>2013年スタンプ収集前に行った。その時は資料館に行き、館跡・復元町屋を見学した。スタンプ取得時2016年に、1泊2日でここのスタンプと丸岡城の為に来たが、どしゃぶりの雨だった為訪問者もいなく私もスタンプ押印のみとなった。館跡はまあまあの見応え。庭園跡がすごいがイメージと違ってあの越前1国以上を支配した朝倉氏の本拠地がこんな狭い谷間にあったのかと思った。スタンプ収集前は詰めの城の存在を知らず、結局城跡には行っていないので、目標に反する結果にあるので百名城達成前には詰めの城にも行く予定。資料館から館跡までにある福井そばのお店(すみません店名忘れました。)まあまあの美味しさです。

<満足度>★★☆☆☆(館のみ)

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夏の雪だるま

朝倉氏の居城 (2016/09/22 訪問)

日本百名城の一つ福井県福井市の一乗谷城がある一乗谷朝倉氏遺跡です。福井市東南部の越前山地から流れる一乗谷川の峡谷に15世紀頃造られたとされます。峡谷には朝倉氏館や家臣屋敷、商人・職人等の城下町が形成され、谷のもっとも狭まった部分に下城戸と呼ばれる土塁と堀、出入口を巨石で固め、上流1.7kmにも上城戸と呼ばれる同様のものが置かれ、右岸側山頂部に詰めの城一乗谷城が置かれています。朝倉氏が越前を平定すると応仁の乱で荒廃した京都から公家や名僧等文化人が下向し、領国支配が安定した孝景の時代になると一乗谷は北陸の小京都と呼ばれたとされます。しかし、1573年浅井氏の小谷城支援のため派兵された朝倉軍2万は刀根坂の合戦に惨敗し織田信長軍3万の追撃を受け、名の有る武将が多数打ち取られ、当主義景は手勢のみで一乗谷に帰還しています。しかし、一乗谷での抵抗をあきらめ、より山間地の大野の寺へ移動。一乗谷城では少数の朝倉兵が抵抗するも織田軍により一乗谷は炎上廃墟となっています。大野へ逃れた義景は一族の景鏡に裏切られ攻撃を受け近習らが奮戦する中、自刃しています。一乗谷城は朝倉館の背後の山頂に本丸、東南の尾根伝いにそれぞれに堀切が設けられた一の丸、二の丸、三の丸が続く連郭式城郭となっています。道路沿いの館郡だけを見るのも1時間程度かかり、当日は雨のうえ、山城は1時間半程度かかるため山城は断念しました。

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朝田 辰兵衛

唐門,復原町並,庭園群もいいですが… (2017/11/28 訪問)

上城戸跡,下城戸跡も一見の価値があります。詰城への登山はスケジュールの都合で見送りました。

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概要

朝倉氏の館だけでなく、城下町と周囲の山城を含む縄張までが一乗谷城と呼ばれている。織田信長の侵攻によって灰燼に帰したが、武家屋敷や町屋群が復元整備されている。また、平面表示された朝倉氏館跡でも、約80m四方の居館を土塁と堀で囲んだ当時の雰囲気が伺える。

城郭情報

城地種類 山城(麓に居館)
築城年代 15世紀後半
築城者 朝倉孝景
主要城主 朝倉氏
文化財史跡区分 国指定特別史跡、国指定特別名勝、重要文化財
近年の主な復元・整備 平成7年に中級武家屋敷・町屋などの町並みを発掘 遺構上に復原
天守の現況・形態 -
主な関連施設 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
主な遺構 [山城部分]一の丸、二の丸、三の丸、千畳敷、堀切、竪堀など [城下町部分]唐門、湯殿跡庭園、城戸跡など
住所 福井県福井市城戸ノ内町
問い合わせ先 福井市教育委員会事務局文化課
問い合わせ先電話番号 0776-20-5367