まぶねじんや

真武根陣屋

千葉県木更津市

別名 : 請西陣屋
旧国名 : 上総

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

チェブ

新しい『真武根陣屋遺址』に、おめでとう。 (2025/05/01 訪問)

東京の端っこからアクアラインを使って「真武根陣屋」に着陣しました。
写真を写して退陣する予定だったので、目の前にある霊園の駐車場をお借りしました。
石碑と説明板がありました。

「真武根陣屋」は1850年、林 忠旭さんが築いたそうです。遺址には、もう少し古い林家の歴史が刻まれてます。
『真武根陣屋遺址』の裏手は写真③のような広場。ここに陣屋があったのでしょうか?

遺址の裏側にも、何やら刻まれてます。
発起人のお名前があり、室。家老、重臣、陣屋建築棟梁のお孫さんたちのお名前。
令和元年に倒壊し、令和5年4月に再建したようです。
ふ~ん。て、この前じゃん!(もう令和7年になっていた事に、この時は気付いてません)

俄然、林家に興味が湧いてきました。
林 忠旭さんの子、忠崇さんは『最後の大名』と言われたようです。
取り潰された大名は多いけど、自ら藩主を捨てた大名は、忠崇さんだけなんだとか。
戊辰戦争の時には新政府軍に抵抗し陣屋を焼き払い出陣します。大政奉還があり、蟄居。
その後いろいろあり、忠崇さんは豊島区のアパートで94歳でお亡くなりになりました。
江戸、明治、大正、昭和まで、大変なご苦労があった事でしょう。

『真武根陣屋遺址』を再建した発起人の方々のおかげで、4時代を駆け抜けた先人に出会う事ができました。
私は、昭和、平成、令和を颯爽と駆け抜けて来たであろうか?
ブレブレの人生を見つめ直し、恥ずかしくなった「真武根陣屋」攻めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

冬枯れで土塁が出現 (2023/02/12 訪問)

峰上城の七重堀切を諦めて帰陣途中に立ち寄りました。
請西(じょうざい)藩の陣屋跡です。
霊園の向かいに広い空き地があり、前に説明板が立っています。
投稿にあるように以前あった石碑はなくなったままでした。
空き地隣の藪に遺構が残るとのことだったので入って見ました。
陣屋を囲むように綺麗に残っていました。
周辺は住宅地でおそらくこの空き地も造成用なのでしょうが前回訪問時とそんなに様子は変わってませんでした。

クイズの答えは次のレポートとします。
出題の仕方も頭使いますね。
勉強になります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

住宅街の侵食が進んでるような気がします (2021/12/29 訪問)

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

年末の仕事納め前に10年ぶりに訪れました。
1828年に林氏により築かれた貝淵陣屋は住宅街となり
遺構は残されていませんが一角に説明板があります。
その後1850年東へ2〜3キロの高台へ引っ越し。
こちらも石碑と説明書、うっすらと土塁のようなものが
確認できます。
10年前より住宅が迫ってきているような気がします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

請西陣屋跡 (2021/12/03 訪問)

 木更津中央霊園の入口に案内板と石柱があります。大きな石碑が諸先輩の写真では写っていますが、なくなっていました。令和元年9月の台風15号により倒壊して撤去したということらしいです。南側の藪に少しだけ侵入しましたが土塁と思われる遺構がありました。
JR木更津駅から日東バスに乗り「陣屋下」バス停で降りると徒歩10分くらいで行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 林忠旭
築城年 嘉永3年(1850)
主な城主 林氏
廃城年 慶応4年(1868)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡(真武根陣屋遺址)
再建造物 石碑、説明板
住所 千葉県木更津市請西字堰ノ上1062-1他
問い合わせ先 木更津市教育委員会教育部文化課
問い合わせ先電話番号 0438-23-5294