東京の端っこからアクアラインを使って「真武根陣屋」に着陣しました。
写真を写して退陣する予定だったので、目の前にある霊園の駐車場をお借りしました。
石碑と説明板がありました。
「真武根陣屋」は1850年、林 忠旭さんが築いたそうです。遺址には、もう少し古い林家の歴史が刻まれてます。
『真武根陣屋遺址』の裏手は写真③のような広場。ここに陣屋があったのでしょうか?
遺址の裏側にも、何やら刻まれてます。
発起人のお名前があり、室。家老、重臣、陣屋建築棟梁のお孫さんたちのお名前。
令和元年に倒壊し、令和5年4月に再建したようです。
ふ~ん。て、この前じゃん!(もう令和7年になっていた事に、この時は気付いてません)
俄然、林家に興味が湧いてきました。
林 忠旭さんの子、忠崇さんは『最後の大名』と言われたようです。
取り潰された大名は多いけど、自ら藩主を捨てた大名は、忠崇さんだけなんだとか。
戊辰戦争の時には新政府軍に抵抗し陣屋を焼き払い出陣します。大政奉還があり、蟄居。
その後いろいろあり、忠崇さんは豊島区のアパートで94歳でお亡くなりになりました。
江戸、明治、大正、昭和まで、大変なご苦労があった事でしょう。
『真武根陣屋遺址』を再建した発起人の方々のおかげで、4時代を駆け抜けた先人に出会う事ができました。
私は、昭和、平成、令和を颯爽と駆け抜けて来たであろうか?
ブレブレの人生を見つめ直し、恥ずかしくなった「真武根陣屋」攻めでした。
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