まぶねじんや

真武根陣屋

千葉県木更津市

別名 : 請西陣屋
旧国名 : 上総

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空き地の前に説明板
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赤い城

冬枯れで土塁が出現 (2023/02/12 訪問)

峰上城の七重堀切を諦めて帰陣途中に立ち寄りました。
請西(じょうざい)藩の陣屋跡です。
霊園の向かいに広い空き地があり、前に説明板が立っています。
投稿にあるように以前あった石碑はなくなったままでした。
空き地隣の藪に遺構が残るとのことだったので入って見ました。
陣屋を囲むように綺麗に残っていました。
周辺は住宅地でおそらくこの空き地も造成用なのでしょうが前回訪問時とそんなに様子は変わってませんでした。

クイズの答えは次のレポートとします。
出題の仕方も頭使いますね。
勉強になります。

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肉球

住宅街の侵食が進んでるような気がします (2021/12/29 訪問)

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

年末の仕事納め前に10年ぶりに訪れました。
1828年に林氏により築かれた貝淵陣屋は住宅街となり
遺構は残されていませんが一角に説明板があります。
その後1850年東へ2〜3キロの高台へ引っ越し。
こちらも石碑と説明書、うっすらと土塁のようなものが
確認できます。
10年前より住宅が迫ってきているような気がします。

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請西陣屋跡 (2021/12/03 訪問)

 木更津中央霊園の入口に案内板と石柱があります。大きな石碑が諸先輩の写真では写っていますが、なくなっていました。令和元年9月の台風15号により倒壊して撤去したということらしいです。南側の藪に少しだけ侵入しましたが土塁と思われる遺構がありました。
JR木更津駅から日東バスに乗り「陣屋下」バス停で降りると徒歩10分くらいで行くことができます。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅳ②:真武根陣屋 (2019/06/26 訪問)

貝淵陣屋から転戦。車で10分くらいで着きました。
霊園駐車場(35.365368、139.936343)に駐車して攻城しました。

真武根陣屋は1850年(嘉永3年)、請西藩主・林播磨守忠旭によって築かれた陣屋です。
忠旭のあとは弟である忠交を養子として家督を譲りますが、1867年(慶応3年)、伏見奉行の忠交が急死すると、嫡男の忠弘が若年であることから忠旭の五男、林昌之助忠崇が藩主となります。
この忠崇は「最後の大名」や「脱藩大名」と呼ばれており、戊辰戦争において佐幕派に属すと1868年(慶応4年)陣屋を焼き払い、自ら脱藩して藩士70余人を率いて小田原・沼津・会津・米沢と各地を転戦しました。
藩主自らが脱藩したことで請西藩は戊辰戦争で改易された唯一の藩として知られています。
現在城址には石碑が建てられており、遺構としては土塁があるそうですが、見忘れました。

霊園の駐車場前で3種類の陣屋遺址碑と案内板を確認。攻城時間は5分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 林忠旭
築城年 嘉永3年(1850)
主な城主 林氏
廃城年 慶応4年(1868)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡(真武根陣屋遺址)
再建造物 石碑、説明板
住所 千葉県木更津市請西字堰ノ上1062-1他
問い合わせ先 木更津市教育委員会教育部文化課
問い合わせ先電話番号 0438-23-5294