続日本100名城

ぬまたじょう

沼田城

群馬県沼田市

別名 : 蔵内城、倉内城
旧国名 : 上野

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沼田城
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ふゆづき

関越を扼する堅城 (2021/08/18 訪問)

越後から関東平野に出るための要所である沼田城。
岩櫃城から転進すると、岩櫃という逼塞した城を本拠地にしていた眞田氏としては、関東平野に進出する手がかりとして、どうしてもこの地が欲しかったであろうということが理解できるように思います。
上越線沼田駅から城までは、徒歩約20分といったところですが、駅と城との高低差が50メートル程度あるので、足腰が弱い人は結構大変かもしれません(駅には注意書きが書いてありますが)。

城跡で残されている遺構は、堀、土塁と櫓の土台を形成した石垣の一部程度であり、眞田氏を巡る経緯で有名な城ですが、遺構は少ないと感じます。
城内は公園となっており、御城印を配布している観光協会(沼田城の全景の模型があります)は公園内にあります。
写真に掲載した櫓(時鐘)は、復元ですが、なかなか良い佇まいを持っています。

冒頭に述べたように、小高い丘の上に位置するので、眼下には上越線や国道を納め、名胡桃城を遠望できます。
北条側(城代の猪俣氏)の視点から見ると、この名胡桃城が本丸からの視野に収まるというのは確かに目障りであったろうと思われます。
城内を一回りして、30分程度というところだと思います。

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織田晃司

上州真田の城1 (2021/07/30 訪問)

真田信之・小松姫の城。
遺構は少なくなってます。

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やなぎぶそん

あまり遺構はない (2021/03/20 訪問)

当時の面影はあまり感じることができません。

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昌官忠

クラブツーリズム群馬県に残る真田氏ゆかりの城日帰りツアー② (2018/08/25 訪問)

「クラブツーリズム群馬県に残る真田氏ゆかりの城日帰りツアー」2城目は沼田城です。
続100名城スタンプは「沼田市観光案内所」で押しました。

沼田城は1544年沼田氏12代・沼田顕泰が築城したと言われています。戦国期に沼田氏は北条氏に追われ、北条氏が変わって入城。
1580年真田昌幸が北条方の武将を調略し、城を奪い取ることに成功。沼田城は真田昌幸の管理下に入りました。
武田氏滅亡後、滝川一益の管理下になるが滝川一益が神流川の合戦に敗れると、真田氏に明け渡す。
真田昌幸は北条氏の執拗な攻撃を6年間にわたって撃退し続けて、1587年に真田信幸が沼田城を任されます。
1589年の豊臣秀吉の裁定で沼田城は北条領になりますが、北条氏配下の重臣・猪俣邦憲の名胡桃城奪還事件により、1590年北条氏は滅亡。これで沼田城は真田昌幸に帰し、長男の信幸(関ケ原の戦いの後、信之に改名)が入城。
しかし、1681年真田氏5代の信澄が領地を没収された翌年、沼田城は破却されました。

城址は沼田公園となり、本丸には土塁、空堀、櫓台の石垣が現存します。1983年鐘楼が復元され、城址のシンボルになっています。二の丸には東側の土塁と石垣・堀の一部が現存しています。攻城時間は40分くらいでした。

沼田城見学後、ツアーは小松姫の墓がある正覚寺にも行きましたので、そちらの写真も投稿します。

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城郭情報

城地種類 丘城
築城年代 天文元年(1532)
築城者 沼田顕泰
主要城主 沼田氏、本庄氏、猪俣氏、真田氏
文化財史跡区分 県重要文化財(城鐘)、市史跡(沼田城跡)
近年の主な復元・整備 真田信幸
天守の現況・形態 型式不明[5重/1600年築/破却]
主な関連施設 鐘櫓、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀、石垣、移築門
住所 群馬県沼田市西倉内町594(沼田公園)
問い合わせ先 沼田市教育委員会社会教育課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 0278-23-7565