ほんしょうじ

本證寺

愛知県安城市

別名 : 本証寺、本證寺城、野寺御本坊
旧国名 : 三河

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鼓楼太鼓櫓外より
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カズサン

本堂郭編ー2/2 (2025/03/01 訪問)

 平成24年10月24日以来の二度目の探訪参拝です。西日が傾き始めた時刻でしたので、本堂はじめ各建物が逆光に成ってしまいました、本堂を参拝して鼓楼(太鼓櫓)内から外から北側からと撮影し、大門と特徴ある本證寺石碑を太陽を陰にして撮影、東側の内堀は水が抜かれてる冬の為か、北側の鼓楼横の内堀は何か掘り起こされている?、本堂郭と庫裏郭の間の内堀も確認。
 鼓楼太鼓櫓が見所です、本願寺派寺院に多く見られる太鼓櫓が現存して居て存在感を表しています。
 現在本證寺は真宗大谷派(東本願寺)の寺院です。
 

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カズサン

北辺の堀と土塁編ー1/2 (2025/03/01 訪問)

 本証寺は平成24年10月以来の2度目、前回には情報不足事前調査不足で外堀、土塁を探訪して居ませんでしたので、今回の三河未踏の城達成廻りで安城古城を終えて、南に5km程進行して再登城参拝しました。

 駐車場:本證寺大門潜った参拝者駐車場
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 先ずは本堂に参拝して本堂境内をぐるっと探訪、観察、北東に在る鼓楼(太鼓櫓)が光ってる、大門を出て東の通りから北へ外堀橋交差点(外堀跡が少し残ってる)を西入る、この通りも北側の外堀跡に当たる、寺院敷地の北東辺りから北側、北西角、西側にフェンス越しですが外堀の土塁、空堀が良く見える、人の背丈以上の高さが窺える。
 昨年の大河ドラマどうする家康放映の影響でか?TVで本證寺の土塁・空堀が放映されて見て居ましたので、是非見たいとの思いで訪ねました、お寺に頼めば見学が出来たのでしょうか?良く分かりません、夕刻迫り庫裏の方から入る様なのですが厚かましく頼むのを遠慮しました。フェンス越しですが目的は達成しました、満足です。
 戻って、そとぼりばし傍の残存外堀観察、大門から東に90m程に在る外堀跡も確認探訪。本證寺の案内板によると外堀を含めた寺域は東西320m南北310mの広さです。外堀内堀で囲まれていた。
 

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宗春

年末年始に帰省先でちょいと城攻めしよう その①本證寺城 (2024/12/29 訪問)

年末年始は開いていない城も多かったのですが、何とか訪問出来るところを探して攻めてみました。
最初は本證寺城。大河ドラマ「どうする家康」で見てから、いつか訪問したいと思っていて、やっと来る事が出来ました。

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ぴーかる

本證寺 (2024/09/23 訪問)

【本證寺】
<駐車場他>駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>本殿・堀
<感想>日帰り少し涼しくなったので伊勢湾ぐるり平山城行けるかな旅4城目。現地説明板によると本證寺は鎌倉時代後期の創建とされ、室町時代には岡崎市の上宮寺・勝鬘寺とともに三河三か寺と呼ばれる浄土真宗本願寺派の有力寺院になっていました。1563年に松平家康の家臣が守護不入権を犯したことが発端となり三河一向一揆が起こりました。一揆は翌年に終結しお坊さん達は家康領から追放されます。1585年に本證寺は赦免され江戸時代に本證寺が再興されます。
 境内に残る多くの建造物が江戸時代の建立で境内が国史跡に指定されています。特に本堂の大きさと立派さは見応えがあり、本堂内の天女の欄間には見惚れます。当時は外堀と内堀があり位置は戦国時代のままだそうですが、形状は江戸時代に伽藍形式に合う幅広の形式に改変したようです。外堀は現在は埋めたてられています。
 戦国時代の城郭寺院としての遺構はあまり見られなかったが、江戸時代初期・中期に建立された建造物や水堀は史跡としての見応えがありました。本證寺城の御城印2種類が庫裏玄関にて販売されていますので購入しました。また安城市歴史博物館には本證寺の鬼瓦や出土品の展示物が多くあります。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 城郭寺院
天守構造 なし
築城主 慶円
築城年 建永元年(1206)頃
主な城主 一向宗
遺構 横堀(水堀)、鐘楼
指定文化財 国史跡(本證寺境内)、市文化財(鼓楼・鐘楼・経蔵・裏門)、県指定有形文化財(本堂、木造慶円上人坐像)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県安城市野寺町野寺26