三河伊奈城からの転戦です。ついに、しんちゃんさんのお宅に最寄りの城びと登録城にやってきてしまいました。家政高等専修学校の校門脇に標柱が建っています。専修学校に続く上り坂の道路は堀切跡のようにも見えました。脇の竹藪の中にも空堀遺構らしきものが見つかりましたが、果たして城の遺構なのでしょうか。
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2025/04/22 07:07
2023/06/11 20:16
三河戸田氏 東三河西部拠点の城 (2023/06/10 訪問)
東三河の武将 戸田氏が田原城に移る前に本拠としていた城です。
立地は少し高台になっていて、その分だけ守りには適しています。
本丸は豊橋市立家政高等学校になっていますが金曜午後6時近くということもあり
人影はありません。おかげで安心して近くを散策できます。
舗装された道路を通って学校の裏手に入ります。
学校裏の土地も大きな郭のようになっていて背後には土塁らしき土の壁がそびえます。
こっそり登ってみますが先日の大雨のせいで足元が危ういです。
すぐに下に降り城跡に敬意を払いつつ家に帰りました。
ちなみにここが我が家から一番近い城人3000城です。
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2022/03/18 23:05
2021/07/17 06:28
JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:高縄城 (2021/06/30 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の16城目は高縄城です。
宇津山城から転戦。太平寺入口前空スペース(34.688212、137.336493)に駐車しました。
豊橋市立家政高等専修学校の正門前(34.690063、137.336350)まで徒歩3分位です。
高縄城は戸田氏の最初の居城として知られています。
戸田氏中興の祖とされる戸田弾正左衛門宗光は今川義忠に従い渥美半島に進出すると、1475年(文明7年)この城を築きました。
その後、1479年(文明11年)に田原城を築いて居城を移しましたが、以降も田原城の支城として維持されたようです。
「桶狭間の合戦」後の1564年(永禄7年)には三河統一を進める徳川家康によって攻略され、家康は戸田忠次を城主に任じています。
しかし、1590年(天正18年)の家康の関東移封にともない、忠次も伊豆下田に移ったため廃城となりました。
現在城址は豊橋市立家政高等専修学校の敷地となっており、校内に入らずとも正門脇に城址標柱は確認できます。また学校の北側に堀跡を確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 戸田宗光 |
築城年 | 文明7年(1475) |
主な城主 | 戸田宗光 |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 曲輪、土塁 |
再建造物 | 碑 |
住所 | 愛知県豊橋市老津町字西高縄 |