(1城目)清水山城の続き(2/2)です。
三ノ丸からさらに20分程登ると二ノ丸に着きました。入口は、巨石で積み上げられた内桝形虎口になっていて、その上は櫓台になっていました(写真①②③)。大きさは東西50m南北30mで平たく削られています。この二ノ丸が一番大きいようです。という事は、ここには多くの兵が待機できる建物があったのかもしれません。
そしてさらに15分程登り、山頂の一ノ丸へ着きました。麓からは見学時間も含め約60分かかりました。登山道には岩のでこぼこが多いので、底の薄い靴でなく軽登山用の靴がオススメです。ここから見下ろした厳原の眺めはとても気持ちよく、やはりここまで登ってきた甲斐がありました(写真⑤)。
一ノ丸の虎口は二重になっていて、直進できないよう喰違い虎口になっていました(写真⑥⑦)。しかし全体的に自然の大きな岩盤が残っていて平坦な場所は無く、とても兵が待機できる場所だったとは思えません(写真⑨)。おそらく建物も無かったと思います。ならばなぜここをこのような厳重な虎口まで作って一ノ丸にしたのか? 意図がわからずちょっとモヤモヤです。これでは兵站基地としての役目は不可能です。兵站基地や御座所としての役割は、結局麓の金石城が担っていたのではないかと思いました。よって清水山城の築城は監視所としての役割もありますが、もしかして秀吉の威厳を示し渡海におびえる兵士たちを鼓舞する事が目的だったのでは?
現在の山は木に覆われ、登り石垣は下からは全く見えませんが(前回写真①②)、当時は木など無かったのでよく見えていたと思います。よってここ清水山城は、本当は兵站基地としてではなく、一ノ丸には豊臣の旗を立て、それを朝鮮へ渡る兵士たちに下から見上げさせ、さらに兵士たちはこの三ノ丸から一ノ丸までの二つの上から睨みつけるような500mにわたる長大な登り石垣を見た瞬間に、もう太閤様には逆らえない、我々は朝鮮へ渡り戦うしかない・・・そう思わせ最後の覚悟を決めさせるための城だったのではないか?・・・と思ってしまいました🤔。
次は(2城目)金石城へ続きます。
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