しみずやまじょう

清水山城

長崎県対馬市


旧国名 : 対馬

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①	厳原港から見上げた清水山城
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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「出兵の 胃袋支えた 清水山」
(しゅっぺいの いぶくろささえた しみずやま)

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「竪石垣 尾根筋のびる 清水山城(たていしがき おねすじのびる しみずやまじょう)」

大雨警報発令中のため攻城しておりませんが,登城口までは行っております。一の丸~二の丸~三の丸が尾根筋に配され,東西約500mの竪石垣によってつながっております。厳原港を監視でき,晴れれば壱岐まで見えるそうです…👀

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

朝鮮へ 兵站基地の 清水山城
(ちょうせんへ へいたんきちの しみずやまじょう)

対馬も未訪です。
秀吉の朝鮮出兵の際に経由地として築かれた城です。
石垣が素晴らしいようですね。
金田城や金石城とともに行ってみたい城です。

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トク

【赤色立体地図かるた】 (2025/03/22 訪問)

「日本への 別れを告げた 清水山」
(にほんへの わかれをつげた しみずやま)

「太閤が 睨み効かせる 清水山」
(たいこうが にらみきかせる しみずやま)

清水山城は、太閤秀吉が毛利高政に命じて、朝鮮出兵の兵站基地として対馬に築いた城です。しかし、厳原港から見える急斜面の地には、物資を蓄えられる平地もなく天守もありません。写真①では木に覆われて見えませんが、三ノ丸から一ノ丸へと続く斜面の両側は、二つの登り石垣のような石塁でつながっています。もしかしたら、山頂の一ノ丸には豊臣の旗印(桐紋)と金の馬印(ひょうたん)があったのではないかと、私は想像しました。当時は木などなかったので、下から見上げると、これらがとてもよく見えたでしょう。まるで睨みつけられているように、まるで威厳を見せつけられているように、兵士たちからはそう思えたのではないでしょうか? もう朝鮮へ渡れば生きて帰れないかもしれないと不安がる兵士たちを鼓舞し、最後の決意をさせるための城だったのではないかと、私には思えてなりませんでした。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 毛利高政
築城年 天正19年(1591)
主な城主 毛利高政
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 国史跡(清水山城跡)
再建造物 説明板
住所 長崎県対馬市厳原町西里
問い合わせ先 対馬市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0920-54-2341