しみずやまじょう

清水山城

長崎県対馬市


旧国名 : 対馬

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①	二ノ丸虎口(下から見る)
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トク

【対馬4城を巡る】(1)清水山城(2/2) (2025/03/22 訪問)

(1城目)清水山城の続き(2/2)です。

三ノ丸からさらに20分程登ると二ノ丸に着きました。入口は、巨石で積み上げられた内桝形虎口になっていて、その上は櫓台になっていました(写真①②③)。大きさは東西50m南北30mで平たく削られています。この二ノ丸が一番大きいようです。という事は、ここには多くの兵が待機できる建物があったのかもしれません。

そしてさらに15分程登り、山頂の一ノ丸へ着きました。麓からは見学時間も含め約60分かかりました。登山道には岩のでこぼこが多いので、底の薄い靴でなく軽登山用の靴がオススメです。ここから見下ろした厳原の眺めはとても気持ちよく、やはりここまで登ってきた甲斐がありました(写真⑤)。

一ノ丸の虎口は二重になっていて、直進できないよう喰違い虎口になっていました(写真⑥⑦)。しかし全体的に自然の大きな岩盤が残っていて平坦な場所は無く、とても兵が待機できる場所だったとは思えません(写真⑨)。おそらく建物も無かったと思います。ならばなぜここをこのような厳重な虎口まで作って一ノ丸にしたのか? 意図がわからずちょっとモヤモヤです。これでは兵站基地としての役目は不可能です。兵站基地や御座所としての役割は、結局麓の金石城が担っていたのではないかと思いました。よって清水山城の築城は監視所としての役割もありますが、もしかして秀吉の威厳を示し渡海におびえる兵士たちを鼓舞する事が目的だったのでは?

現在の山は木に覆われ、登り石垣は下からは全く見えませんが(前回写真①②)、当時は木など無かったのでよく見えていたと思います。よってここ清水山城は、本当は兵站基地としてではなく、一ノ丸には豊臣の旗を立て、それを朝鮮へ渡る兵士たちに下から見上げさせ、さらに兵士たちはこの三ノ丸から一ノ丸までの二つの上から睨みつけるような500mにわたる長大な登り石垣を見た瞬間に、もう太閤様には逆らえない、我々は朝鮮へ渡り戦うしかない・・・そう思わせ最後の覚悟を決めさせるための城だったのではないか?・・・と思ってしまいました🤔。

次は(2城目)金石城へ続きます。
 

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トク

【対馬4城を巡る】(1)清水山城(1/2) (2025/03/22 訪問)

対馬にある4城を訪れてきました。まずは(1城目)清水山城から始めたいと思います。またよろしくお願いします。

博多港からジェットフォイルで135分、下対馬の厳原港に到着です。港からまず清水山城を見上げました。二ノ丸、三ノ丸の石垣がよく見えます(写真①②)。次に港から徒歩10分の「観光情報館ふれあい処つしま」に行き、清水山城と金田城の縄張り図などのパンフレットなどを頂きました(写真③⑩)。ここには金田城のスタンプもありました(金田城に行かなくても押せました)。でも明日ちゃんと登城しますのでお許しを!(笑)

観光情報館の目の前にあるショッピングセンター入口前に大きなコインロッカーがあるので荷物はそこに預けるか、東横インホテルもすぐ前にあるので、宿泊される方は先に預けてから登城されたらいいかと思います。コインロッカーは外(24H可)なので、昌官忠さんは10kgも背負って登らなくても、ここにあったのになあ・・・と思いました。

清水山城は、厳原町の標高208mの清水山の尾根沿いに、山上に一ノ丸・中腹に二ノ丸・下段に三ノ丸と段々と斜面を沿うように配置され、東西長さ500m高低差120mの二つの石垣(20m幅の曲輪を二つの登り石垣が囲む)で築かれていました。

秀吉は軍監の毛利高政(角牟礼城主)に命じて築かせたとされています。しかし近年では、宗義智(対馬金石城主)を中心に、相良長毎(肥後人吉城主)・高橋直次(筑後三池城主で立花宗茂の実弟)・筑紫広門(八女福島城主)らが加勢して築いたのではないかという説が有力なようです。そして築城後は兵站基地として使用し、いずれ秀吉自身が朝鮮へ渡る時の御座所にしようと考えていたようですが、秀吉死後に朝鮮から撤退後、すぐに廃城となったようです。

観光情報館の斜め前にある対馬博物館の脇から登山道があるので、道標に従い登って行きました(写真④)。約15分で三ノ丸に着きました。石垣が平坦に削られた櫓台の跡があります(写真⑤)。石垣隅部は複数方向へ攻撃できるよう突出した石垣になっています(写真⑥)。ベンチがあったのでまず一息休憩すると、厳原の街並みと厳原港がすでにもうここからよく見えました(写真⑧)。この日は天気がよく心地いい潮風も吹いていたので、とても気持ちよかったです。

ここから二ノ丸・一ノ丸を目指して、さらに登って行こうと思います(写真⑨)。
(2/2)へ続きます。
 

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とばつびしゃもん

石塁で囲われた城 (2024/03/09 訪問)

対馬博物館の横を通り、案内板に従い入城口へ。一の丸へは2つルートがあり、三の丸、二の丸を通るルートを選択して登城開始。
5分程登ると三の丸。三の丸、二の丸、一の丸が直線状に並ぶ連郭式の山城で、曲輪間も石塁で囲われている。文禄・慶長の役の際に築城されたそうだが、とにかく残された石垣・石塁のたたずまいに感動。所々に横矢桝形という設備や虎口が見られる。
入城口から50分ほどで一の丸到達。一の丸では二の丸側の食い違い虎口も見事だが、北西側の虎口もきれいな姿が見られました。
登るに連れ、曲輪からの眺望が変わるのも楽しく、ゆっくり攻城して2時間弱。
下城後、対馬藩お船江を見学。対馬バーガー(うまし)で小腹を満たし、桟原城へ向かう。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/02/15 訪問)

長崎県の城制覇2日目の行程
※前日、対馬の厳原にあるホテル泊
※金石城、金田城とともに登城

※対馬への交通手段は、長崎空港-対馬空港の往復航空機と対馬内ホテル宿泊がついて22,000円のフリープランツアー(長崎空港トラベルサービス)を利用、お得感がありました
※対馬内移動は、観光タクシー半額キャンペーンがあったので、7時間貸切ました

7:00頃から8:00 清水山城を登城
8:00頃から8:45 金石城を登城
        ※清水山登城口から徒歩5分程度
8:45頃から9:00  観光情報館ふれあい処つしま(8:45-17:39)にて金田城スタンプをゲット

※ここから観光タクシー利用
9:00-9:30 厳原から金田城登山口へ移動
      金田城(続百名城)散策
       ※登山口から山頂まで50分(健脚ではないです)
       ※山頂付近に明治以降の砲台跡などがあります
12:45-13:00 タクシー移動、昼食
14:00-15:00 姫神山砲台跡散策
       ※明治以降の戦争遺構。砲台跡や弾薬庫跡があります
15:00-15:30 タクシー移動
       万関展望台
        ※対馬を東西に通れるように掘削した海峡に架かる橋近くの展望台
15:45-16:00 タクシー移動、温泉施設へ(観光タクシー終了)

※観光タクシーは時間内なら行先や滞在時間は融通が利きます

20:00対馬空港発の航空機で長崎に戻り、諫早泊

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 毛利高政
築城年 天正19年(1591)
主な城主 毛利高政
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 国史跡(清水山城跡)
再建造物 説明板
住所 長崎県対馬市厳原町西里
問い合わせ先 対馬市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0920-54-2341