しみずやまじょう

清水山城

長崎県対馬市


旧国名 : 対馬

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①	厳原港から見上げた清水山城
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赤い城

【赤色立体地図かるた】

朝鮮へ 兵站基地の 清水山城
(ちょうせんへ へいたんきちの しみずやまじょう)

対馬も未訪です。
秀吉の朝鮮出兵の際に経由地として築かれた城です。
石垣が素晴らしいようですね。
金田城や金石城とともに行ってみたい城です。

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トク

【赤色立体地図かるた】 (2025/03/22 訪問)

「日本への 別れを告げた 清水山」
(にほんへの わかれをつげた しみずやま)

「太閤が 睨み効かせる 清水山」
(たいこうが にらみきかせる しみずやま)

清水山城は、太閤秀吉が毛利高政に命じて、朝鮮出兵の兵站基地として対馬に築いた城です。しかし、厳原港から見える急斜面の地には、物資を蓄えられる平地もなく天守もありません。写真①では木に覆われて見えませんが、三ノ丸から一ノ丸へと続く斜面の両側は、二つの登り石垣のような石塁でつながっています。もしかしたら、山頂の一ノ丸には豊臣の旗印(桐紋)と金の馬印(ひょうたん)があったのではないかと、私は想像しました。当時は木などなかったので、下から見上げると、これらがとてもよく見えたでしょう。まるで睨みつけられているように、まるで威厳を見せつけられているように、兵士たちからはそう思えたのではないでしょうか? もう朝鮮へ渡れば生きて帰れないかもしれないと不安がる兵士たちを鼓舞し、最後の決意をさせるための城だったのではないかと、私には思えてなりませんでした。
 

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トク

【対馬4城を巡る】(1)清水山城(2/2) (2025/03/22 訪問)

(1城目)清水山城の続き(2/2)です。

三ノ丸からさらに20分程登ると二ノ丸に着きました。入口は、巨石で積み上げられた内桝形虎口になっていて、その上は櫓台になっていました(写真①②③)。大きさは東西50m南北30mで平たく削られています。この二ノ丸が一番大きいようです。という事は、ここには多くの兵が待機できる建物があったのかもしれません。

そしてさらに15分程登り、山頂の一ノ丸へ着きました。麓からは見学時間も含め約60分かかりました。登山道には岩のでこぼこが多いので、底の薄い靴でなく軽登山用の靴がオススメです。ここから見下ろした厳原の眺めはとても気持ちよく、やはりここまで登ってきた甲斐がありました(写真⑤)。

一ノ丸の虎口は二重になっていて、直進できないよう喰違い虎口になっていました(写真⑥⑦)。しかし全体的に自然の大きな岩盤が残っていて平坦な場所は無く、とても兵が待機できる場所だったとは思えません(写真⑨)。おそらく建物も無かったと思います。ならばなぜここをこのような厳重な虎口まで作って一ノ丸にしたのか? 意図がわからずちょっとモヤモヤです。これでは兵站基地としての役目は不可能です。兵站基地や御座所としての役割は、結局麓の金石城が担っていたのではないかと思いました。よって清水山城の築城は監視所としての役割もありますが、もしかして秀吉の威厳を示し渡海におびえる兵士たちを鼓舞する事が目的だったのでは?

現在の山は木に覆われ、登り石垣は下からは全く見えませんが(前回写真①②)、当時は木など無かったのでよく見えていたと思います。よってここ清水山城は、本当は兵站基地としてではなく、一ノ丸には豊臣の旗を立て、それを朝鮮へ渡る兵士たちに下から見上げさせ、さらに兵士たちはこの三ノ丸から一ノ丸までの三つの上から睨みつけるような500mにわたる長大な登り石垣を見た瞬間に、もう太閤様には逆らえない、我々は朝鮮へ渡り戦うしかない・・・そう思わせ最後の覚悟を決めさせるための城だったのではないか?・・・と思ってしまいました🤔。

次は(2城目)金石城へ続きます。
 

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トク

【対馬4城を巡る】(1)清水山城(1/2) (2025/03/22 訪問)

対馬にある4城を訪れてきました。まずは(1城目)清水山城から始めたいと思います。またよろしくお願いします。

博多港からジェットフォイルで135分、下対馬の厳原港に到着です。港からまず清水山城を見上げました。二ノ丸、三ノ丸の石垣がよく見えます(写真①②)。次に港から徒歩10分の「観光情報館ふれあい処つしま」に行き、清水山城と金田城の縄張り図などのパンフレットなどを頂きました(写真③⑩)。ここには金田城のスタンプもありました(金田城に行かなくても押せました)。でも明日ちゃんと登城しますのでお許しを!(笑)

観光情報館の目の前にあるショッピングセンター入口前に大きなコインロッカーがあるので荷物はそこに預けるか、東横インホテルもすぐ前にあるので、宿泊される方は先に預けてから登城されたらいいかと思います。コインロッカーは外(24H可)なので、昌官忠さんは10kgも背負って登らなくても、ここにあったのになあ・・・と思いました。

清水山城は、厳原町の標高208mの清水山の尾根沿いに、山上に一ノ丸・中腹に二ノ丸・下段に三ノ丸と段々と斜面を沿うように配置され、東西長さ500m高低差120mの二つの石垣(20m幅の曲輪を二つの登り石垣が囲む)で築かれていました。

秀吉は軍監の毛利高政(角牟礼城主)に命じて築かせたとされています。しかし近年では、宗義智(対馬金石城主)を中心に、相良長毎(肥後人吉城主)・高橋直次(筑後三池城主で立花宗茂の実弟)・筑紫広門(八女福島城主)らが加勢して築いたのではないかという説が有力なようです。そして築城後は兵站基地として使用し、いずれ秀吉自身が朝鮮へ渡る時の御座所にしようと考えていたようですが、秀吉死後に朝鮮から撤退後、すぐに廃城となったようです。

観光情報館の斜め前にある対馬博物館の脇から登山道があるので、道標に従い登って行きました(写真④)。約15分で三ノ丸に着きました。石垣が平坦に削られた櫓台の跡があります(写真⑤)。石垣隅部は複数方向へ攻撃できるよう突出した石垣になっています(写真⑥)。ベンチがあったのでまず一息休憩すると、厳原の街並みと厳原港がすでにもうここからよく見えました(写真⑧)。この日は天気がよく心地いい潮風も吹いていたので、とても気持ちよかったです。

ここから二ノ丸・一ノ丸を目指して、さらに登って行こうと思います(写真⑨)。
(2/2)へ続きます。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 毛利高政
築城年 天正19年(1591)
主な城主 毛利高政
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 国史跡(清水山城跡)
再建造物 説明板
住所 長崎県対馬市厳原町西里
問い合わせ先 対馬市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0920-54-2341