今年最後の城館探訪は岩沼要害跡となった。要害の中心部はJR岩沼駅になり、市街化で跡形もないとの情報だったのでこれまで訪問したことがなかった。この城館の歴史は古く天正年間(1573~1591)まで遡ること(詳細はカズサンの投稿を御覧ください)ができ、そのなかで気になるのは数ある仙台藩の要害のなか、寛文1年(1661)に田村宗良(政宗孫で祖母愛姫の実家田村家を再興した)が内分分地で岩沼藩三万石の大名となり岩沼城として正規の城であったこと。また、要害の中心地だった場所から北西に外れる鵜ヶ崎城跡(現在鵜ヶ崎公園となっている場所)は、丘陵の高さもあり最頂部から三段の曲輪が配置され、それ自体が単独の城館と云ってよい姿を呈していることだ。
要害絵図を見ると中心地には本舘・北ノ舘・二ノ舘の三つの曲輪が描かれ周りを水掘と下中屋敷(家中屋敷 仙台藩の城館絵図では下中と記載)で囲んだ縄張である。戦国期に主要な曲輪群として利用していた現鵜ヶ崎公園の東方を、近世初期になって高い土塁と堀を廻し三万石の大名の城にふさわしい姿に改築したものであろうか。
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