うがさきじょう

鵜ヶ崎城

宮城県岩沼市

別名 : 武隈館、岩沼城、岩沼要害
旧国名 : 陸奥

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チェブ

またの名を「岩沼要害」。 (2024/05/05 訪問)

「鵜ヶ崎城」は平安時代中期、歌人の源 重之さんが築城したのが始まりのようです。
戦国の世になると、伊達家 家臣の泉田 重光さんの居城になります。
江戸時代、一国一城令で21の要害の1つ「岩沼要害」として活躍しました。

「鵜ヶ崎城」は児童公園でした。車を公園入口近くに路駐しました。
住宅街の高台にある「鵜ヶ崎城」はグリーンのフェンスに囲まれた公園。小さい子が遊ぶのに安全です。
公園が郭になるのか、もう1段高い所があるようです。
親子連れで遊んでいて、1人ヅカヅカ入ってしまったら不審がられると思い退陣しました。

歌人の方が暮らした この場所で、どんな歌が歌われたのでしょう。
親子連れの笑い声で、戦よりも日常の生活を想像してしまう「鵜ヶ崎城」攻めでした。

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ぎりょう

仙台藩21要害 岩沼要害  (2022/12/25 訪問)

今年最後の城館探訪は岩沼要害跡となった。要害の中心部はJR岩沼駅になり、市街化で跡形もないとの情報だったのでこれまで訪問したことがなかった。この城館の歴史は古く天正年間(1573~1591)まで遡ること(詳細はカズサンの投稿を御覧ください)ができ、そのなかで気になるのは数ある仙台藩の要害のなか、寛文1年(1661)に田村宗良(政宗孫で祖母愛姫の実家田村家を再興した)が内分分地で岩沼藩三万石の大名となり岩沼城として正規の城であったこと。また、要害の中心地だった場所から北西に外れる鵜ヶ崎城跡(現在鵜ヶ崎公園となっている場所)は、丘陵の高さもあり最頂部から三段の曲輪が配置され、それ自体が単独の城館と云ってよい姿を呈していることだ。
要害絵図を見ると中心地には本舘・北ノ舘・二ノ舘の三つの曲輪が描かれ周りを水掘と下中屋敷(家中屋敷 仙台藩の城館絵図では下中と記載)で囲んだ縄張である。戦国期に主要な曲輪群として利用していた現鵜ヶ崎公園の東方を、近世初期になって高い土塁と堀を廻し三万石の大名の城にふさわしい姿に改築したものであろうか。

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カズサン

JR岩沼駅近の岩沼要害 (2021/11/15 訪問)

 大鳥城、桑折西山城を含む城廻りの2日目、宮城県亘理郡辺りから福島県相馬郡の浜通りに未踏の城が在り小堤城からと思って居りましたが北側の近くに未踏の鵜ヶ埼城が有りそこを目指す事に、白石のホテルを朝早く出発し国道4号線を北上。
 情報源:古城盛衰記さん、グーグルマップ拡大し航空写真と周辺地図に由る。
 車は鵜ヶ埼城の在る公園のドン詰りにナビをセットし岩沼駅西側から進行周りは住宅街狭い道、若干行き来はしましたが鵜ヶ埼公園のドン詰まり本曲輪下に路駐、(ここはUターン出来ませんのでバックしT時点でバックで曲がって帰路へ)、駐車場は有りません。
 
 鵜ヶ埼城は江戸期仙台藩21要害の一つ岩沼要害として機能して居ました、最上部が本丸か?下に二の丸、土塁が見られ、二の丸南、西下に帯曲輪らしき平地で更に西側は落ち込んでおり空堀、沼地跡なのか?しかし小公園鵜ヶ埼公園の周りは市街化、住宅地に成ってる、約150m東にはJR岩沼駅で旧岩沼要害はJR、市街化で埋没したようです。

 歴史:鵜ヶ埼城は古くは「武隈館」と呼ばれ、平安中期の歌人・源重之が奥州に下向した時築城したのが始まりと伝えられてる、戦国期は城として機能したが江戸期一国一城令後は仙台藩内に21箇所ある要害の一つと位置付けられ岩沼要害と呼称、寛文元年(1661年)岩沼藩3万石として仙台藩の内分大名田村宗良の居城となった、延宝9年(1681年)田村氏が一関へ転封となると、以降古内氏が拝領し居館としていた。
 明治維新後は廃館と成り明治20年東北本線が施設された際に要害の一部が駅と成るなど大きく姿をかえていった。(案内板/標柱による)

 路駐も気に成りサラッと巡って撮影し10分ほどで次の小堤城を目指しました。

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dougen

2019.3.30登城 (2019/03/30 訪問)

下野郷館から、西南方向にある岩沼駅方面へ。岩沼駅の東側の住宅地の中にある鵜ヶ崎公園が鵜ヶ崎城址となります。

公園として整備されていますが、郭跡や土塁が確認できます。

また城址の石碑や解説板も設置されています。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 源重之?
築城年 平安時代中期
主な城主 源氏、藤原氏、泉田氏、石田氏、大木氏、遠藤氏、屋代氏、齋藤氏、安久津氏、奥山氏、伊達宗勝、古内氏
遺構 消滅
再建造物
住所 宮城県岩沼市栄町1