主郭付近が鵜ヶ崎公園として整備され、標柱が立っています。JR岩沼駅から徒歩5分くらいで行くことができます。
岩沼要害説明板がJR岩沼駅西口にありました。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2025/05/25 14:34
2025/05/18 12:38
2024/07/12 18:43
またの名を「岩沼要害」。 (2024/05/05 訪問)
「鵜ヶ崎城」は平安時代中期、歌人の源 重之さんが築城したのが始まりのようです。
戦国の世になると、伊達家 家臣の泉田 重光さんの居城になります。
江戸時代、一国一城令で21の要害の1つ「岩沼要害」として活躍しました。
「鵜ヶ崎城」は児童公園でした。車を公園入口近くに路駐しました。
住宅街の高台にある「鵜ヶ崎城」はグリーンのフェンスに囲まれた公園。小さい子が遊ぶのに安全です。
公園が郭になるのか、もう1段高い所があるようです。
親子連れで遊んでいて、1人ヅカヅカ入ってしまったら不審がられると思い退陣しました。
歌人の方が暮らした この場所で、どんな歌が歌われたのでしょう。
親子連れの笑い声で、戦よりも日常の生活を想像してしまう「鵜ヶ崎城」攻めでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2023/01/03 23:21
仙台藩21要害 岩沼要害 (2022/12/25 訪問)
今年最後の城館探訪は岩沼要害跡となった。要害の中心部はJR岩沼駅になり、市街化で跡形もないとの情報だったのでこれまで訪問したことがなかった。この城館の歴史は古く天正年間(1573~1591)まで遡ること(詳細はカズサンの投稿を御覧ください)ができ、そのなかで気になるのは数ある仙台藩の要害のなか、寛文1年(1661)に田村宗良(政宗孫で祖母愛姫の実家田村家を再興した)が内分分地で岩沼藩三万石の大名となり岩沼城として正規の城であったこと。また、要害の中心地だった場所から北西に外れる鵜ヶ崎城跡(現在鵜ヶ崎公園となっている場所)は、丘陵の高さもあり最頂部から三段の曲輪が配置され、それ自体が単独の城館と云ってよい姿を呈していることだ。
要害絵図を見ると中心地には本舘・北ノ舘・二ノ舘の三つの曲輪が描かれ周りを水掘と下中屋敷(家中屋敷 仙台藩の城館絵図では下中と記載)で囲んだ縄張である。戦国期に主要な曲輪群として利用していた現鵜ヶ崎公園の東方を、近世初期になって高い土塁と堀を廻し三万石の大名の城にふさわしい姿に改築したものであろうか。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 源重之? |
築城年 | 平安時代中期 |
主な城主 | 源氏、藤原氏、泉田氏、石田氏、大木氏、遠藤氏、屋代氏、齋藤氏、安久津氏、奥山氏、伊達宗勝、古内氏 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 碑 |
住所 | 宮城県岩沼市栄町1 |