続日本100名城

ふくえじょう

福江城

長崎県五島市

別名 : 石田城、(石田陣屋)
旧国名 : 肥前

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福江城
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トク

【春の長崎7城を巡る⑳】(13)福江城(石田城) (2025/04/06 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、最後(13城目)は「福江城(石田城)」です。

10:10発のフェリーに乗りたいため、早朝7時にホテルをチェックアウトして出港までの3時間、福江城をぐるりと1周して散策しました。港の反対側にあたる城の西側には搦手門が残っていました(写真②③)。

石田陣屋は焼失した江川城に代わり、福江藩2代藩主「五島玄雅」により1638年に築かれました。唐津藩主「寺沢広高」が設計したそうです。

異国船が出没するようになったため、福江藩は1806年に異国船防衛を理由に幕府に築城の許可を願い出ましたが許可されず、1849年「五島盛成」の代になりようやく許可されました。しかしいざとなると財政難で築城には石田陣屋を改修するなどして節約しますが、それでも14年かかり1863年にようやく完成し、江戸幕府最後に築城された城となりました。しかし明治の廃城令で、わずか9年しか存在しなかったようです。

9時の開館になったところで歴史資料館に入り(写真④⑤)、スタンプを押して中を見学しました。福江城は三方を海に囲まれた海城だったようです。その模型がありました(写真⑥)。という事は🤔・・・今ある外堀は、当時は海だったという事ですね。

現在の福江城は五島高校の敷地になっています(写真⑦)。ここの生徒たちは堀と石垣に守られて勉強しているという事になります(何とうらやましい)。でも石垣を見てちょっと不思議に思いました。隅部は切込接ですが、それ以外は全て丸っこい石です。それもわざと丸く削っている感じです。しかも城全体全てがこのような石垣です。幕末に築かれた他の城は全てが切込接できっちり隙間もなく削られた石なのに、なぜ福江城は丸い石にしたのか疑問でした。海城だったので波に耐えられるよう(波の力が分散されるよう)わざとこのような丸く削った石を積んだのでしょうか🤔?(写真⑧)。

歴史資料館を見学し終えて、徒歩10分の福江港まで歩きました。港の入口には常灯鼻(常夜灯)がありました。当時の灯台です。ここも荒波にも耐えられるようにか、やはり丸い石の石垣で作られていました(写真⑨)。散りゆく桜と、咲いていた五島椿がとても綺麗でした(写真⑩)。

最後にフェリーからの帰路の景色をお伝えして終わろうと思います。
 

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トク

【春の長崎天草を巡る⑲】(12)江川城(福江城の前身) (2025/04/05 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(12城目)は「江川城」です。

五島の福江港に到着後、まず福江城の前身である江川城跡へ行きました。

江川城は1521年宇久盛定によって福江川の河口に築かれた城です。壱岐の勝本城築城をお伝えした時に名前が出た盛定の曾孫の宇久純玄は、姓を宇久→五島に改め「五島純玄」と名乗り、豊臣秀吉に従い朝鮮へ出兵しました。しかしそこで何と病死してしまいます。純玄に子が無かったため、小西行長の計らいで宇久島一族の宇久玄雅が養子となり「五島玄雅」と名乗り城主となったようです。

一方大村では、大村喜前は父の純忠がキリシタンだったため、領内に多くの信者を抱えていましたが、秀吉からキリシタン禁止令が出たため苦慮していました。その時に五島では農民不足が深刻化していたため、玄雅がこれらを受け入れたそうです。3千人もの信者が大村から五島へ移住したとか。それでどうやら五島には教会が多いのですね。

江戸時代に入り、その玄雅は福江藩を立藩し1万2千石の初代藩主となりました。しかし1614年江川城は火災で焼失。玄雅の後を継いだ2代藩主「五島盛利」は3年後の1617年から21年かけて石田陣屋を築き1638年居を移したようです。

そのため江川城の遺構は現在ほとんど残っていませんが、築城で財政が困窮を極めた折に通商を求め来た明人「王道」に対して、盛定が与えた居館跡で航海の安全を祈った「明人堂」(写真③④⑤)や、飲料水を得るために掘られた「六角井」(写真⑥⑦)などが残されていました。城跡には「石碑」があるはずと探しましたが見つからなかったので、今夜予約した「五島第一ホテル」に行くと、何と玄関の前ありました。どうやらこのホテルの建っている場所が、かつての江川城だったようです(写真①②)。

五島は猫の多い島でした。ベンチの上や漁師の網の間やなど、あらゆる場所で猫がのんびりとしている、何とも平和な雰囲気の島でした。写真を撮っている私の前に来て、なぜか変な格好をする奴もいました。撮ってほしいのかな? それとも遊んでほしいのかな?(写真⑧⑨⑩)。

次は翌朝「福江城(石田城)」を訪れます。
 

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じゅんじん

五島列島 福江島 (2025/01/25 訪問)

五島うどん 五島牛 うまい
五島芋焼酎 五島麦焼酎 うまい
福江城 よい
うみきれい!
バラモンタコ買いました!

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にのまる

長崎港に戻った翌朝、出島へ。 (2025/03/01 訪問)

福江城訪問を終え、九州の未スタンプは金田城のみになりました。(除:沖縄県)

連泊した〈東横イン長崎駅前〉が出島のすぐ近くだったので、翌朝チェックアウトしてから軽い気持ちで行ってみました。

すると、全く知らなかったのですが、この日、西側の水門からの入退場が再開。また行ったのがちょうど開門の時間(午前8時)。
「予定してもなかなかこうはいかないものだから……」と、次のお城に行く時間を繰り下げて出島見学をすることにしました。

そして気づけば2時間ちかく経過。
お城めぐりに出かけても観光やご当地グルメを味わうことはほとんどできていないのですが、はからずも【教科書で覚えたあの出島】で歴史を学ぶことができて、思い出に残る長崎旅行になりました。ちなみにご当地グルメは東横インの無料朝食で皿うどんをいただきました😀

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城郭情報

城地種類 海城
築城年代 文久3年(1863)
築城者 五島盛徳
主要城主 五島氏
文化財史跡区分 県史跡(石田城跡)、国名勝(石田城五島氏庭園)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塀、石橋、蹴出(けだし)門、横堀(水堀)
住所 長崎県五島市池田1-1
問い合わせ先 五島観光歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0959-74-2300