ひらどおたち

平戸御館

長崎県平戸市

別名 : 御館
旧国名 : 肥前

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じゅんじん

松浦館 (2025/01/25 訪問)

港に駐車していきました。平戸城がよく見えます。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑤】(5)平戸御館 (2025/03/27 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(5城目)は「平戸御館」です。

平戸城天守から北虎口門を下って海沿いを歩き、平戸桟橋から階段を登ると平戸御館です。ここにはかつて藩主松浦氏の館がありました。明治時代に入り私邸として建て替えられたものが払い下げられ、現在は「松浦史料博物館」となって、松浦氏の今に残る貴重な史料が展示されています(写真①~⑤)。

平戸桟橋の横には「オランダ商館」が再建されています(写真⑥⑦)。平戸は江戸初期には長崎と並ぶ日本一の貿易港でした。1600年オランダ船リーフデ号に乗り豊後臼杵に漂着したイギリス人の三浦按針(ウイリアムアダムス)は、家康の外交顧問兼通訳として250石を与えられ旗本となり、伊豆の伊東にて造船技術を教えます。それから1605年には平戸にイギリスの東インド会社の支店を開設し、オランダ船やイギリス船が来航するようになり、オランダ商館やイギリス商館を開設して、平戸を長崎と並ぶ日本の貿易の拠点としました。しかし家康死後の1616年、幕府は貿易を長崎の出島のみとし、相手もオランダのみとする事に一本化したため、按針は秀忠や老中たちと意見が合わずに行き場を失い、晩年はここ平戸のオランダ商館で過ごし、1620年平戸で亡くなったそうです(写真⑧按針終焉の地)。

商館の前からは平戸城がよく見えました。晩年の按針はどんな思いで、ここから平戸城を見上げていたのでしょうか?(写真⑨)

御館の下に足湯があったので浸かって歩き疲れを癒し(写真⑩)、桟橋から佐世保行のバスに乗りました。夜は佐世保駅前に連泊し、翌日は佐世保を観光しようと思います。
 

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小城小次郎

平戸御館

建物は明治のものだが、よく考えたらここは平戸城が出来る前に平戸藩の藩庁だった場所だった。ちなみに離れの茶室で頂くお抹茶がおいしかった。

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前ちゃん

平戸城とセットで (2019/08/06 訪問)

8月26日嵐の中に飛び込んで行きました

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 松浦鎮信
築城年 慶長12年(1607)
主な城主 松浦氏
遺構 曲輪、石垣
住所 長崎県平戸市鏡川町
問い合わせ先 松浦史料博物館
問い合わせ先電話番号 0950-22-2236