日本100名城

ひらどじょう

平戸城

長崎県平戸市

別名 : 亀岡城、亀甲城、(日之嶽城、日の岳城)
旧国名 : 肥前

投稿する
平戸城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

じゅんじん

相棒が飛んでいきました😢 (2025/01/25 訪問)

強風でおにやんま君が飛んでいきました。
お城は素晴らしいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

平戸城 (2025/03/20 訪問)

【百名城76城目】
<駐車場他>平戸城無料駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>枡形虎口・石垣
<感想>2泊3日西九州旅1城目。先に昼食、重文の幸橋・英国商館碑・オランダ船錨⇒駐車場側から狸櫓・北虎口門⇒本丸門⇒天守見学⇒見奏櫓⇒懐柔櫓⇒亀岡神社⇒二の丸・二の丸御門跡⇒一ノ大手門跡⇒戻って、地蔵坂櫓の順に見学しました。北虎口門を通り狸櫓上方の土塀石垣に石積みの狭間が珍しかった。一ノ大手門や二の丸大手門のダイナミックな石垣遺構は迫力があり見応えがありました。現存建造物の北虎口櫓門と狸櫓に入れないのが残念ですが、それでも再建建造物が数棟建てられ、また石垣の枡形虎口がよく残っているいい城跡でした。1泊31万円以上する懐柔櫓にはさすがに泊まれませんわな。
 1日目は平戸城のみで終えました。平戸瀬戸市場に行って、夕刻、宿泊が伊万里だったので伊万里焼の大川内山に行き散策しました。2日目の観光・グルメとまとめて別投稿いたします。

<満足度>★★★☆☆
<グルメ>平戸城周辺のグルメで出てきたのがトルコライスだったので幸橋東側にあるレストランベイリーフに行きました。カツライスにデミグラスソースがかけてあるものでした。初めて食べたトルコライス、想像内の味でしたがとんかつ好きなので美味しかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

2025九州城めぐり第2弾 (2025/02/27 訪問)

年始の【九州の100名城・続100名城制覇を目指す旅】で未訪に終わってしまった平戸城、福江城、金田城。
リベンジを計画しましたが、金田城はほかのお城とセットで行けるところではなさそうなので見送り、平戸城と福江城、それから西九州のお城にいくつか行くことにしました。

1城目の平戸城。
天神バスターミナルから高速バスで伊万里。伊万里から松浦鉄道でたびら平戸口へ。使用したのは〈旅名人の九州満喫きっぷ〉の2回目です。
たびら平戸口は日本最西端の駅(除:ゆいモノレール)なので、お城に行くのと同じくらい楽しみでした。

駅構内の鉄道資料館を見学し、早々とお土産を購入して平戸城へ向かいます。
レンタサイクルも考えていたのですが平戸大橋は押し歩きをしなければならないことや、道が狭くカーブが多いことなどからバスに乗ることにしました。(駅前にもバス停がありますが駅員さんのおすすめにより田平港から乗りました。)

平戸大橋を渡り猶興館高校入口で下車。はじめに復元された白浜口御門や白壁、石垣を見学しました。
公園入口にまわって大手一の門、二の門とすすみます。
亀岡神社の参道は整備中だったので乾櫓、地蔵坂櫓とすすみ北虎口門へ。現存狸櫓そばの石狭間をチェックして本丸へ。
模擬天守ならではのさまざまな趣向を凝らした館内では「再築城時の北虎口門」にいちばん心を奪われました。
ぐるっとまわって懐柔櫓、見奏櫓へ。
初訪問で地図を見ても方角や行き方がわからなかったりもしましたが、“歩いて納得、迷って発見!”で、充実のお城時間が過ごせました。

残りの時間で、寺院と教会の見える坂道や平戸藩第三代藩主松浦隆信(宗陽公)の墓所などに行きました。

帰りもバスで田平港→たびら平戸口へ。松浦鉄道で佐世保→JRに乗り換えて宿泊地の長崎に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

【春の長崎天草を巡る④】(4)平戸城 (2025/03/27 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(4城目)は「平戸城」です。

前日は佐世保に宿泊し、翌朝の「松浦鉄道」(写真⑨)に乗りのんびり走る事1時間20分、日本最西端の駅「たびら平戸口」(写真⑩)に到着です。そして駅前からバスに乗り真赤な平戸大橋を渡って平戸島に入りました。平戸城は島にあるんですよ! 皆さん御存知でしたか?

私は猶興館高校前で下車し、大手門から入りました。大手門前に駐車場はないので、車の方は標識に従って右折し、直接亀岡神社の駐車場に入って、天守だけを見て帰ると思います(ちょっともったいない)。大手門からは二ノ丸大手門との連続する立派な石垣が残る桝形虎口があり、これを突破すると広い二ノ丸に出て正面に亀岡神社が見えてきます。二ノ丸を突き進み、神社で健康と金運(🤔?)を祈願してから、その先の本丸にそびえる天守を攻める気持ちで進みます。すると右に懐柔櫓と見奏櫓、左に乾櫓と狸櫓と北虎口門が海からの攻撃に備えるようにして天守を守っているのが分かります。このように大手門から攻めると、山鹿流の縄張りが分かりますので、私はオススメです。

平戸城は二度建てられました。いずれも二人の松浦鎮信が建てています。天守に入るとシアターでその二人の鎮信が語ってくれます(写真④)。

一人目の鎮信は、ポルトガルとの交易をしていたせいか、1599年に(写真④)のような西洋風の天守を建てたようです。しかし勝本城築城や朝鮮出兵などで活躍し豊臣恩顧の大名だった鎮信は、関ケ原では自らは東軍に付くも嫡男は西軍に付くなどしたため、徳川家康からは疑われていたようです。1613年に天守は火災で焼失しますが、自ら天守に火を放ったという説があります。大坂の陣の1年前になり、家康から「我と秀頼どちらに付くのか?」と問い詰められ、忠節を示すため自ら火を放ってしまったのかもしれないと、私は想像してしまいました。

それから100年後の1707年、二人目の鎮信は老中になったのをきっかけに、異国船監視を理由に築城が許可されます。鎮信は山鹿素行と交流があり、それで山鹿流の縄張りで設計されたようです。しかし明治の廃城令で取り壊されたので、現在は模擬天守が立っています。

平戸城の魅力は、やはりこの天守からの絶景ですね! いや~とても爽快な眺めです。桜もとても綺麗でした(写真①⑧)。眼下には、東は見奏櫓や懐柔櫓や遠くは平戸大橋まで(写真⑤⑥)、西には平戸桟橋や、藩主が暮した平戸御館、三浦按針が晩年を過ごしたオランダ商館が見えました(写真⑦)。

次は、北虎口門から平戸桟橋の方へ下って行き、(5城目)その平戸御館とオランダ商館を見学しようと思います。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

平戸藩の4代藩主である松浦鎮信が幕府から築城許可を得て、5代藩主の棟によって完成。軍学者の山鹿素行の助言で行われた縄張は、山上部に小さな本丸と大きな二の丸、海岸に面した山麓部分に船着場を設けるなど、水軍松浦氏らしいもの。北虎口門とそこから延びる土塀の石狭間と狸櫓が貴重な遺構として今も残っている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長4年(1599)
築城者 松浦鎮信
主要城主 松浦氏
文化財史跡区分 県史跡(亀岡城跡)
近年の主な復元・整備 松浦棟
天守の現況・形態 乾櫓[3重3階/1707年築/破却(廃城令)]、複合式層塔型[3重5階/1962年築/RC造模擬]
主な関連施設 模擬天守、櫓、石碑、説明板
主な遺構 櫓、門、曲輪、石垣、曲輪、横堀(空堀)
住所 長崎県平戸市岩ノ上町1473
問い合わせ先 平戸城
問い合わせ先電話番号 0950-22-2201