続日本100名城

きくちじょう/くくちじょう

鞠智城

熊本県山鹿市

別名 : 菊地城
旧国名 : 肥後

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鞠智城
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やまじろう

ころうくんのお出向かえ (2020/11/29 訪問)

歴史検定の帰りに攻城しました。
7世紀の古代山城で補給場としての城でした。
堀迫、堀切、池の尾の城門跡などの防御施設もしっかりありました。

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刑部

朝一番で訪問 (2022/05/02 訪問)

朝早いせいか人が居ませんでしたが、巡っているうちに人がわいて出てきたように増えて撮影が難しくなりました。ここは広大な城でした!

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橋吉

とにかく広い (2022/03/29 訪問)

鞠智城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城です。
当時、日本は、友好国である百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
このため、今度は日本が攻め込まれるおそれがあると考え、金田城(長崎県),大野城(福岡県),基肄城(佐賀県)などを設営し防衛に務めました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。

現在は、国指定史跡になっており、無料の駐車場も用意されています。
温故創生館で、出土品の展示や解説ビデオ上映されています。
続日本100名城スタンプはここの入口で押すことができます。

九州の古代山城はいずれもかなり大規模ですが、この鞠智城もかなり大きなものだったようです。
八角形鼓櫓の他、米倉、兵舎復元建物、板倉復元建物が復元されています。
灰塚展望所まで往復しました。
とにかく広いので、展望台まで往復+施設観覧で、1時間20分かかりました。

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ryu

古代山城、鞠智城(2007年) (2007/04/29 訪問)

南阿蘇外輪の山を縦走した帰りに立ち寄った。
663年の「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷が日本列島への侵攻に備え西日本各地に築いた朝鮮式山城の一つで大宰府やそれを守る大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地だったらしい。
鼓楼、板倉、米倉、兵舎などが復元されている。

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城郭情報

城地種類 古代山城
築城年代 飛鳥時代
築城者 天智天皇
主要城主 不明
文化財史跡区分 国史跡(鞠智城跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 米倉、板倉、兵舎、鼓楼
主な遺構 建物跡
住所 熊本県山鹿市菊鹿町宇田原米原/菊池市木野
問い合わせ先 山鹿市教育委員会社会教育課文化係
問い合わせ先電話番号 0968-43-1651