鞠智城の続き(2/2)です。
八角形鼓楼の横には「米倉」も再現されていました。この米倉には九州から税で集められた米などの食料がいったんここに蓄えられ、大宰府・大野城・基肄城・金田城などに送られていたと思います。他の建物は掘立式(穴を掘って柱を建てる)ですが、米倉だけは重さに耐えられるよう礎石式(礎石の上に柱を建てる)でした。日本最初の礎石建物かも?しれません(間違っていたらすいません)。礎石式の建物は飛鳥・奈良・平安時代に寺院などでよく見られ、慶長期では天守にも採用されましたが、石垣と同じく大和時代から朝鮮には礎石式技術がすでにあった事には驚きです。湿気に耐えられるよう高床式でネズミ返しもあり、よく考えられた作りでした。でも本当にこれだけで、ネズミは防げたのでしょうか🤔?(写真①②③)。
また「兵舎」も再現されていました(写真④)。物資だけでなく、全国から集められた兵士たちがここでいったん訓練し、それから九州各地へ防人として送られたのではないかと思います。夜はこの兵舎の中で武器の手入れをしながら、自分はいったいこの先どこに派遣されるのだろうか? 不安な夜を過ごしていたのかもしれませんね。「板倉」は武器を保管する倉庫だったのではないかと推測されています(写真⑤)。
建物群からさらに北へ歩き、先端の灰塚展望台で雄大な景色を見ながら休憩しました(写真⑥)。西を眺めると有明海までかすかに見渡せました。
展望台から今度は坂を下ってまた上がり、「池の尾門→堀切門→深追門」と歩いて回りました。特に「堀切門」は当時の門の様子がよく分かる場所です。一挙に攻められないように狭い堀切にし、そこに長い礎石を置いて石に穴を掘って柱を立て、門を築いていたようです(写真⑦)。そして門の周りはわかりにくいですが、版築土塁で固められているそうです。攻め手の気分で下から見上げると、守り手の様子を想像する事ができました。
2月というのにこの日は気温22度、2時間歩き回ると汗をかいたので、最後に温故創生館の前にある「栗と空」というカフェで和栗のモンブランソフトを頂きました。これ甘くて冷たく、口の中で栗の味がジワ~ととろけ出して、めちゃくちゃおいしかったです。栗を使った和菓子やスイーツは他にもたくさんありました。ちなみに山鹿市は西日本一の栗の生産地だそうです(なるほど🤔)(写真⑧⑨⑩)。
帰りは、また一丁榎のバス停まで戻って、次の目的地である菊池温泉へ向かいました。滞在時間は全部で4時間、鞠智城をじっくりと堪能できました~😊!
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