かがみやまじょう

鏡山城

鳥取県日野郡

別名 : 黒坂城
旧国名 : 伯耆

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陣屋跡全景
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ぴーかる

陣屋跡には簡単に行けますよ (2024/03/30 訪問)

【黒坂鏡山城】
<駐車場他>JR黒坂駅に駐車しました。
<案内>駅前の鏡山城への案内が日野高校と光明寺側の2ルートがあります。高校側は分かりませんが、光明寺側は案内板が少し間違っているので案内を。光明寺正面と線路の間に舗装道が伸びているので北に進みます。左手に聖神社、正面に池を見て道なり左に曲がって150m程進むと右手に小屋があります(10枚目)(ここに駐車しても問題なさそう)ので、小屋の横を通り山道(車1台分)に入ってすぐ陣屋跡の削平地に行けます。山城の方へは下記参照。
<交通手段>車

<見所>陣屋跡遺構・虎口跡・土塁
<感想>日帰り尼子十基制覇の旅3城目。現地説明板によると黒坂鏡山城は1610年に伊勢亀山城主の関一政が5万石で加増転封したとあります。当時の黒坂は竹木が生え茂り人の住む場所ではなかったそうで、関氏によって城と町割りが行われたそうです。関氏はわずか8年で世継ぎ争いを理由に改易されてしまい城は破却されてます。後に支配した鳥取藩の池田氏が居館跡に陣屋を設けます。
 陣屋跡には東屋・北東隅に石積みの枡形虎口跡・井戸跡があります。駅からも見える東面の石垣遺構は見事です。井戸跡がありそこから山頂部へは現在は整備されているのでピンクリボンをたどって行けば黒坂城跡に行けます。現地の説明板に50mとありますが、実際はジグザグに250m程登ります。山城跡は中世戦国時代の遺構のような形状・縄張りをしていますが、主郭から南にある連段の虎口遺構は1つ1つしっかりとした折れ虎口になっています。主郭は西側に土塁を付けたバナナ形状で櫓台もありません。主郭の北側にグンと下がってポツンと長方形の郭があります。片側土塁付の虎口跡ありのなかなかいい曲輪で印象に残ります。
 山城跡の方の城びと投稿は私が初めてのようで、簡単に行けるルートも見付け優越感あります。(`・∀・´)エッヘン!!自己満足。夏場陣屋井戸跡の上の谷部が雑草密林になるとルートがロストしてしまいそうなので、冬枯れの時にセットで見るのが良いかと。破却されたとはいえ、しっかりとした遺構が残る城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

季節を選んで行きましょう (2023/06/17 訪問)

広島ではなく鳥取の日野町にある鏡山城は伊勢から移った関一政によって新たに築かれた近世城郭。破城痕も生々しい石垣が迫力満点、魅力満載・・・のはずだが季節を間違えると城域に入る道すらもわからなくなるようだ。。

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カズサン

黒坂駅より鏡山城石垣が望めます (2017/04/21 訪問)

 一昨年4月下旬鳥取帰省中に米子市尾高城を終えて日野郡日野町黒崎駅へ、目の前に黒坂城の石塁がドント構えてます。
 車を駅に置き南の光明寺からの登城を図ったのですが途中竹藪の激しさで断念し、日野高校黒坂校舎へ車で向かい校内に駐車し居合わせた先生に駐車と見学の許可を頂きグランド山手側を歩きグランドに足跡を付けないよう登城しました。
 陣屋屋敷跡を探訪西側山頂部の城域は探訪せず遠望のみ、案内解説板で勉強させて貰いました。
 関ヶ原後伯耆米子城に入封した中村一忠が嗣子無く没して改易、伊勢亀岡から関一政が5万石で黒坂に入封し鏡山城(別名黒坂城)を築城、築城前4、5年は生山(伯備線生山駅目の前)の亀井山城に居城した。
 関一政は家中内紛で除封、以後鳥取藩領重臣福田氏が黒坂陣屋を構えて明治期まで続く。(情報とガイドは城郭放浪記さん)

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こるまろ

黒坂鏡山城 (2019/04/06 訪問)

城屋敷・陣屋の跡には石垣、枡形虎口、井戸跡が残ります。 山頂の主郭へは登山道が無くて登れませんでした。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42701481/

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 関一政
築城年 慶長14年(1609)
主な改修者 池田氏(陣屋)
主な城主 関氏、池田氏(陣屋)
廃城年 元和4年(1618)(山城)
遺構 曲輪、石垣、土塁、腰曲輪、竪堀
再建造物 説明板
住所 鳥取県日野郡日野町黒坂
問い合わせ先 日野町教育委員会
問い合わせ先電話番号 0859-72-2107