ここ数年続けている、歴史好き仲間との小旅行、この秋は岩手県遠野市に。ここは柳田國男の「遠野物語」で名高い町です。明治42年(1909)の今時分に柳田は、花巻で列車を降り、矢沢、土沢、宮守を経て、50kmを人力車に乗ってこの町を訪れています。山々に囲まれ、多くの民話が語り継がれた遠野、高清水高原展望台、荒神神社、南部曲がり屋を展示する遠野ふるさと村、カッパ淵など、見どころも多い町です。わたし的には、遠野市に残る遠野城(鍋倉城)、横田城にも大きな関心を寄せていました。
遠野城は遠野の街の南側、市立博物館の裏山となる鍋倉山全体が城域のようです。この城は鎌倉時代からの領主阿曽沼氏が天正期に築城し、寛永4年(1627)に八戸南部氏が、隣国仙台藩への抑えとして12,500石で遠野に配されると、江戸時代を通じて240年間続きます。
遠野城は山頂部に本丸を置き、その南に武者溜まりと二ノ丸、北側に三ノ丸を配置する構造は中世山城の姿といえます。所々に石垣が見られますが、これは南部氏の時代の構築でしょうか。
この日は午前中に遠野市に着き、まずは市街地北西の高清水高原展望台から遠野市の全景を観ることができました。前述の阿曽沼氏が遠野の鍋倉山に本拠地を移すまでは、高清水高原の山麓台地に築いた横田城を本城としていたそうです。城は比高50mほどの大規模な単郭構造で搦手方面の空堀や竪堀で守る縄張と言う事です。登城口の近くまで行き着けたのですが、道が狭く、駐車スペースも無く、草が伸び放題であったため、城攻めに縁のない仲間たちに遠慮し攻城を断念。ざっ、残念!
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