なべくらじょう

鍋倉城

岩手県遠野市

別名 : 横田城、新横田城、遠野城
旧国名 : 陸奥

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城址碑
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ぎりょう

遠野市の二城を訪ねて (2025/09/28 訪問)

ここ数年続けている、歴史好き仲間との小旅行、この秋は岩手県遠野市に。ここは柳田國男の「遠野物語」で名高い町です。明治42年(1909)の今時分に柳田は、花巻で列車を降り、矢沢、土沢、宮守を経て、50kmを人力車に乗ってこの町を訪れています。山々に囲まれ、多くの民話が語り継がれた遠野、高清水高原展望台、荒神神社、南部曲がり屋を展示する遠野ふるさと村、カッパ淵など、見どころも多い町です。わたし的には、遠野市に残る遠野城(鍋倉城)、横田城にも大きな関心を寄せていました。
遠野城は遠野の街の南側、市立博物館の裏山となる鍋倉山全体が城域のようです。この城は鎌倉時代からの領主阿曽沼氏が天正期に築城し、寛永4年(1627)に八戸南部氏が、隣国仙台藩への抑えとして12,500石で遠野に配されると、江戸時代を通じて240年間続きます。
遠野城は山頂部に本丸を置き、その南に武者溜まりと二ノ丸、北側に三ノ丸を配置する構造は中世山城の姿といえます。所々に石垣が見られますが、これは南部氏の時代の構築でしょうか。
この日は午前中に遠野市に着き、まずは市街地北西の高清水高原展望台から遠野市の全景を観ることができました。前述の阿曽沼氏が遠野の鍋倉山に本拠地を移すまでは、高清水高原の山麓台地に築いた横田城を本城としていたそうです。城は比高50mほどの大規模な単郭構造で搦手方面の空堀や竪堀で守る縄張と言う事です。登城口の近くまで行き着けたのですが、道が狭く、駐車スペースも無く、草が伸び放題であったため、城攻めに縁のない仲間たちに遠慮し攻城を断念。ざっ、残念!

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南部直義 (2025/09/26 訪問)

 遠野市にある標高 344mの 鍋倉山に築城された県内屈指の大規模な山城です。鍋倉山は遠野盆地平野部に突出した半島状の地形で、東と北には来内川、西には猿ヶ石川が流れ天然の堀としていました。天正年間(1573~1592 年)に阿曽沼広郷により築かれたと伝わる城郭で、その後南部氏の支配となりました。盛岡藩二代藩主南部利直の命により南部(八戸)直義が、八戸の根城から遠野に移り1万2千余石を知行して治めますが曲輪の大規模な改変はなかったようです。現在、城址は整備され曲輪、土塁、空堀等を見ることができます。竪堀もあるようですが、草に覆われていてよくわかりません。空堀の北側に水溜堀があるようですが、見落としたようです。縄張り図を見ると今回は行っていませんが、尾根に堀切などがあるようです。考えていた以上に面白い遺構がありそうですが、もう少し葉が落ちた時期に来て尾根なども含めて散策してみたいですね。
もちろん整備された道を散策するだけも十分楽しめました。三の丸にある櫓風の展望台に入ると音声ガイドが流れます。
 登城口の南部神社へはJR遠野駅から歩いて10分くらいです。

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小城小次郎

明治まで続いた群郭式のお城!? (2023/05/03 訪問)

阿曽沼氏が築城し遠野南部氏(根城の八戸氏)が長く居住したお城だが、面白いのは根城の各曲輪を陣取っていた一門衆が鍋倉城でも同じように各曲輪を陣取っていたこと。明治まで現役だった群郭式のお城って、他にあるかなぁ。

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能登守利信

呟き (2018/07/21 訪問)

秋葉原から夜行バスで遠野駅に早朝到着。 このまま徒歩で登城します。 駅から基本的にまっすぐ歩けば麓の博物館前に到着します。 後は道なりに歩けば、二の丸、三の丸です。 櫓風展望台は三の丸に。 さて、そこまで到着したのはいいがスマホの扱いに苦慮して撮影は困難を極めました。 オマケに展望台の音声解説が始まっているのに、肝心の入り口が施鍵されていました。 一通り遺構もまわりましたし、ここは断念して下山しました。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 阿曽沼広郷
築城年 天正年間(1573〜1592)
主な城主 阿曽沼氏、遠野南部氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板、城郭風建築物(なべくら展望台)
住所 岩手県遠野市遠野町(鍋倉公園)
問い合わせ先 遠野市市民センター文化課
問い合わせ先電話番号 0198-62-4411