あねかわじょう

姉川城

佐賀県神埼市


旧国名 : 肥前

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20180728姉川城(佐賀県神埼市) (2018/07/28 訪問)

きれいに整備された横武城と同じくクリークに広がる城だが、民家や畑が広がる風景が逆に新鮮に感じる。どこまでが私有地なのか不明確なため、ズカズカ入って行けない

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T-Shionoya

姉川城で初めてのクリークの城訪問 (2025/10/25 訪問)

昨年10月の佐賀県観光最終日は佐賀県特有のクリークの城巡り。まずは神埼市の姉川城へ。

九州最大の平野である筑紫平野の北エリア、中地江川東岸のクリーク地帯に築かれた城。

南北朝時代の1360年頃に菊池武安が築いた城の1つで、後にそこを居城とした武安の子孫が姉川を名乗ったと伝わる。
姉川氏が書物に登場するのは1500年代中期からで、1570年代には武功を挙げて姉川から出た模様。
発掘調査でも1300年代から1600年頃までの建物跡が確認されており、東から西への城域拡張も行われているという。

現在は農地や民家も建つが、国指定の史跡となり所々に説明板が立つ。

実際に訪れると、中小の島々と土橋から成る景観が独特で、特に構口から主郭と考えられる"館"までの付近では、城郭中心部へ進む雰囲気を実感。"館"には"泉水"と呼ばれる舟着場もあり、舟による移動も行われていたのでしょうか。また"館"は昭和初期まで土塁に囲まれていたとのこと。

朝の降雨により、濡れた夏草が茂る"館"の中心部や"奥館"へ入ることは断念したが、城域一帯を歩いての滞在時間は1時間少々。
クリークの城の初訪問が、私の城郭巡りの214城目となりました。

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にのまる

クリーク (2025/03/02 訪問)

午前7時に佐賀駅を出発。
おとなりの伊賀屋駅で下車して徒歩で向かいました。

水田の緑鮮やかな道をひとり歩く時間はこの上なく贅沢で穏やかな気持ちになります。静寂の中で時折長崎本線の列車が音を立てて走り去る様子を見ていると、この移動時間も含めてお城めぐりが好きなんだなぁと改めて思います。

最初に見つけたのは水路をふたつ超えたところにあった「姉川城跡 下馬口跡」の案内。
その先の「姉川農村公園」に姉川城の案内板がありました。

〈クリーク〉を知ったのもお城めぐりを始めてからで、初めは何のことやら全くわからなかったのですが、みなさまの投稿や書籍、Googleマップ等で理解を深め、また、環濠集落にいくつか赴いているうちに少しずつイメージを捉えられるようになってきました。

姉川城の入口、構口と小路に行き当たりました。左手の島には天満神社。
[屋根のない博物館]のコピーが示すとおりのいにしえの空気を感じる大小の「島々」。600年以上の時を役割を変えつつ在り続け、今この姿を見せてくれていることに深く感じ入るともにそこには数多の人々の様々な関わりがあったことを思います。
歴史を受け止め伝えていくことが城びとのひとりとして出来ることなのかなと思いました。

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ぴーかる

姉川城 (2024/02/11 訪問)

【姉川城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡前<33.292969, 130.349604>の道路脇に停めれます。
<交通手段>車

<見所>水濠
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅7城目。国史跡である姉川城は1360年に菊池武安によって築城されたようです。後に菊池氏の後裔の姉川氏が入り、戦国時代には少弐氏⇒龍造寺氏に属します。姉川氏は龍造寺氏から加増転封を受けて、その後の姉川城の詳細は不明となります。
 城びとポイントが城跡の主要部主郭になっていて周囲を堀で囲んでいます。中心地が現在でも少し盛り上がっていて、土壇のようにも見えます。国史跡ではありますが、先に行った直鳥城より島内部に住宅が多く建っていて、道路以外には自由に散策できない感じになっています。ここも直鳥城と同じように水鳥たちの楽園になっていました。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 菊池武安
築城年 正平15年〔南朝〕/延文5年〔北朝〕(1360)
主な城主 姉川氏
廃城年 天正15年(1587)?
遺構 曲輪、横堀(水堀)
指定文化財 国史跡(姉川城跡)
再建造物 説明板
住所 佐賀県神埼市神埼町大字姉川字二本杉
問い合わせ先 佐賀県教育庁文化財課
問い合わせ先電話番号 0952-25-7232