さかもとじょう

坂元城

宮城県亘理郡

別名 : 坂本城、坂元要害、蓑首城
旧国名 : 陸奥

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坂元神社 (2022/09/23 訪問)

 坂元駅から徒歩約15分で、本丸跡の坂元神社に行くことできます。途中、移築された大手門等があります。神社の西側には見事な空堀がありました。土塁も少しですが残っています。

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ぎりょう

仙台藩二十一要害を訪ねて(その七)坂本要害 (2022/02/19 訪問)

谷地小屋要害、新地城を訪問後に国道6号線を北上して宮城県亘理郡山元町へ。道路右側JR坂元駅前に隣接する農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」を見つけて休憩する。この日も特産のいちごや地場産フルーツのスイーツを求める人たちで賑わっており、私もいちごとジャムを買い求め坂本要害にいざ出陣。ここは元亀3年(1572)に亘理氏家臣の坂本三河によって築城されたが、伊達政宗が元和2年(1616)に大條宗綱に知行地として与えると大條氏(御一家4,000石)の要害屋敷として明治維新まで続いた。
貞享4年の亘理郡坂本要害屋敷絵図(宮城県図書館蔵)を見ると、最高所(現在は坂元神社が鎮座)を 一居所(本丸)とし、北に一段低い二下中屋敷(二ノ丸 現小学校敷地)、さらに北に水掘で隔てた下中屋敷の曲輪(三ノ丸)が続く縄張。東側は広い沼地を天然の堀とし、西側は大規模な堀切で遮断している。三ノ丸を囲繞する下中屋敷とその東側の街道に沿って町屋敷が続く。
城址にある説明看板にはかつての要害屋敷絵図と現在の航空写真を並べて表示しているが往時の街並みがほとんどそのままに残されているのは驚きだ。もちろん今風の住宅建物や店舗ではあるのだが。また三ノ丸の虎口に有った大手門や板倉、茶室が現存していることも訪問者を楽しませてくれる。
JR坂元駅から徒歩15分(1.2km)、山元南スマートICから車で4分(2.4km)、三ノ丸跡と坂元神社に駐車場あり

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カズサン

サンドイッチマン伊達君もう一つの先祖の城 (2021/11/15 訪問)

 国道6号線沿いの中島舘を終えて国道6号線を南下約3km程宮城県県境に在る坂元城を目指す、国道6号線から西に約500m程の所に在る坂元小学校が二の丸跡、下段北が三の丸、小学校南の丘陵が本丸、車は三の丸砂利駐車場、本丸、坂元神社北下段駐車場を利用。

 本丸は坂元神社方形の丘陵に本曲輪、北下段に二の丸現在坂元小学校、本丸周囲は低い崖に成りそれなりの防御性あり、本丸西に大空堀、現在本丸北に車道と歩道が出来てますが、本来は北西の枡形虎口?が登城口か?、現地説明板の絵図に由ると回の字に空堀、濠が本丸、二の丸を囲んでおり、北下段に三の丸が方形出丸のように堀に囲まれた城域の様です。
 本丸、神社参拝し、本丸で東日本大震災に由る一部石碑の倒壊が見られる、西の大空堀を観察、二の丸は小学校なので本丸から眺める、三の丸には現存大手門、現存板倉、現存茶室が残り一部土塁と池も残ってる。
 二の丸が小学校に成ってますが城域の保存状態はよく散策探訪には問題有りません、城域の城名碑は別名の「みの首城跡」と成ってます。

 歴史:蓑首城(ミノクビジョウ)は亘理氏の家臣坂元三河が元亀3年(1572年)に築城、その後領主が入れ替わり元和2年(1616年)から伊達氏の家臣大條宗綱の居城となり明治維新まで大條氏の治政が続いた。(現地案内板抜粋)
 大條氏7代宗直が大枝城から伊具郡大蔵村に移り、8代宗綱が坂元城に転封と成る、明治維新後大條氏から元の伊達氏に改称され現在の漫才コンビサンドイッチマンの伊達君に繫がってる。
 

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todo94

蓑首城連続攻城 (2020/04/11 訪問)

この城の直前に訪れた新地城も蓑首城だったのでちょっと混乱してしまいました。坂元神社が本丸ですが、拝殿の後背の大空堀は非常に見応えがありました。三の丸には土塁や城の遺構と伝わる大手門、茶室、戊辰戦争時に武器庫として使用された板倉が残っており、見所の多い城だと思います。東日本大震災で当地に派遣され、それ以降、この城に携わっているという職員さんが池の浚渫、清掃作業をされており城のお話を伺うことができたのもラッキーでした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 坂本俊久
築城年 元亀3年(1572)
主な城主 坂本氏、大條氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、門
指定文化財 町史跡
住所 宮城県亘理郡山元町坂元字館下