豊岡陣屋(城びと未登録)は、江戸前期に丹後国・田辺から入封した京極高盛が豊岡城北麓の居館跡に築いた陣屋で、減封されつつも京極氏のもとで明治まで存続しましたが、廃藩置県により豊岡陣屋跡には豊岡県庁が置かれました。
豊岡城に続いては豊岡陣屋へ。陣屋跡は図書館になっていて、説明板が立てられているくらいで陣屋自体の遺構は見られませんが、図書館南側には藩主京極家の屋敷が遺っています。東側の豪壮な薬医門は旧豊岡県庁の正門(旧久美浜県庁から移築)であり、豊岡陣屋の遺構ではありません。豊岡陣屋の門は市内3か所に移築されていて、長松寺(豊岡市下鶴井)と慈等寺(豊岡市三宅)の山門は確認しましたが、福成寺(豊岡市出石町内町)の表門は未確認です。近いうちに出石城・有子山城とあわせて訪れたいものです。また、Google Mapによれば図書館北西のめぐみ公園にも旧豊岡藩庁門とされる門があります。
豊岡といえば大石内蔵助の妻・りくの出身地としても知られますが、図書館から東に約100mには大石陸女生誕之地の石碑と説明板が立てられています。りくの実家は豊岡藩筆頭家老の石束家であり、藩主の隣に屋敷を構えていることから考えても、やはり赤穂藩筆頭家老の大石家に釣り合う家柄の出身なんだなぁ、と妙に感心してしまいました。りくは内蔵助と離縁して豊岡に戻った後、三男・大三郎の浅野本家仕官に伴って広島に移り、広島の国泰寺に葬られていますが、豊岡の正福寺(豊岡市梶原)には豊岡で早逝した長女・くうと二男・吉千代の墓と並んでりくの遺髪塚が祀られています。6月に泉岳寺で内蔵助と主税のお墓にお参りしているので、こちらでも手を合わせてきました。正福寺の麓には大石りく像と顕彰碑も建てられています。
+ 続きを読む