此隅山城に続いて訪問。
公園として整備されていますが、天守台跡は草が生い茂っていました(しかしちょうど草刈り作業真っ最中でした)。そこから笠の丸跡へ下りると、ベンチが円状に並んでいて綺麗にされていました。もうちょっと涼しくなったら市民の憩いの場なんでしょうか。
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2026/09/10 22:05
2026/06/01 09:52
3【秀長の但馬平定をたどる③】豊岡城(宮部継潤が北但馬を統治した城) (2026/05/14 訪問)
竹田城からの転戦です。竹田から播但線をさらに北上して和田山で乗り換え、山陰線の普通列車に乗ること計50分、豊岡駅に到着です。豊岡城は駅から徒歩20分の、神武山(標高49m)にありました。江戸時代には、山の麓(北側)に豊岡陣屋があったようです。
1580年、有子山城の戦いに勝利した秀長は、北但馬(豊岡・城崎)の統治を宮部継潤に任せます。継潤はここ神武山に三重の天守を建て居城としたようです(写真①の位置)。
遊歩道から登りました。本丸からは木立が生い茂り眺望がなく、豊岡市街を眺めたかったのですが望めずガックリでした。でもふと南側にわずかに木立の隙間があったので覗いて見ると、何と!・・・出石と有子山がきれいに見えました! 当時は木立など無いので、もっとよく見えたと思います。豊岡城に入った継潤はどんな思いで、ここから秀長の居る、あの有子山城を眺めていたのでしょうか? 「北但馬の統治は、この宮部継潤にお任せあれ~!」、そんな事をつぶやいていたのかもしれませんね(笑)。
夜は駅前の豊岡スカイホテルへ宿泊しました。ウェルカムサービスで冷たい缶ビールをもらい、ちょっぴりうれしかったです😊。明朝はここから、出石・有子山城へ向かいます。
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2026/05/04 17:53
| 分類・構造 | 平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 山名持豊 |
| 築城年 | 室町時代 |
| 主な改修者 | 宮部継潤 |
| 主な城主 | 山名氏、宮部氏、木下氏、尾藤氏、福原氏、杉原氏、京極氏 |
| 遺構 | 曲輪 |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 兵庫県豊岡市京町(神武山公園) |
| 問い合わせ先 | 兵庫県立考古博物館 |
| 問い合わせ先電話番号 | 079-437-5589 |