なかじょう

那珂城

宮崎県宮崎市

別名 : 那賀城
旧国名 : 日向

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この上が主郭
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しんちゃん

伊東氏の城とされるが、謎は多い (2025/05/06 訪問)

那珂城の入り口は畑地の東脇、進行方向から見ると左端に付いています。畑に鹿の足跡が有るので、山中に獣が通れるスペースが有るのは解ります。足跡は途絶えていますが、畑地から見える藪の向こうから城の気配がします。
九州に入って二日目くらいから、自分の城魂(しろだま)ゲージが上がって行くのが解ります。いわゆるZONEに入った状態で、城との一体感を感じます。非日常の連続の中でようやく味わえる感覚で、城址の声が聞こえるような気がします。カンが研ぎ澄まされているわけですね。今は地元に戻って、だらけた生活を送っているので、すっかり城魂は抜けて行ってしまっていますが、九州に入ってからの数日間は「普通」では無い状態だったと思います。えげつない城攻めを連続で続けることで、良い修練になりました。修行僧みたいですね。

入口付近はすごい藪で、地元のガイドさんが攻略を諦めたのも納得です。こんな激藪の城はヤヴラヴの”ヤヴラー”である「イオ」さんくらいにしかオススメは出来ませんが、例の施設との関連はないので誰が攻めてもいいんじゃない・・?
本丸に向かう途中にも土塁があり、主郭は堀で囲われています。主郭切岸はなかなか険しいですが、本来の入り口は倒竹で完全に塞がれているので使えません。攻め手から向かって左側の端部を木を使ってよじ登って行きます。かなり急ですが片手にストックを束ねて持っているので、まだ余裕があります。主郭の上もかなりの藪で、全部を見るのはしんどいので、ほどほどの所で登ってきた場所から戻って行きました。激藪を突破したら、畑を踏まないように気を付けて林道へ戻ります。




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しんちゃん

【藪注意】詳細不詳の城 (2025/05/06 訪問)

那珂城は伊東氏の城とされ、天文年間(1532~1555)に築かれたとされていますが、ネットで調べても殆ど詳細が出てきません。地元のガイドさんや、城びとさんも嘆いていましたが、宮崎県(教育委員会まど)はあまり城址の調査に熱心ではないようです。坪谷城の稿でも述べましたが、調査が困難だと放置しているケースが多いですね。これは熊本県や鹿児島県など南九州全般に言えることですが、危ない縄張りを持ったネイティブな城がそのまま残っている場合があるので、注意が必要だということです。
なんとなく予想はしていましたが、逆に私としては来た甲斐があるというものです。
那珂城は宮崎県総合農業試験場に隣接していて、東の郭と見られる部分は試験場の敷地に含まれるようです。各所にゲートが設置してあるので、東側や林道側からは入ることは出来ません。試験場であるので外来の植物の種なども持ち込みはNGだと思われるので、そこも考慮しなくてはいけません。九州はヘタをすると「不発弾」だらけになってしまいそうな案件が多いので、それも最小で済ませたい所です。
北側の林道を西手から歩いて城址に近づくと、畑地の脇から入れそうな感じがします。畑地に入らないように気を付けて近づいてみると劇藪の向こうから城址に取りつくことが出来そうです。ここから入れと「城址の声」が聞こえてくるようです。
朝から小雨が降っていますが、ちょっと藪の中に入って見ます。試験場の件は気になりますが、注意書きもフェンスも全くなく、完全放置の藪山状態です。地元ガイドさんも攻略して藪で撤退したと言っていたので、藪をくぐり潜り抜けながら先に進みます。
この日は試験場は休みだったので、連絡は取れませんでしたが、城址の状態から試験場の範疇外と判断しました。翌日、確認したところ城址の部分はフェンスの外になるので試験場とは関係ないとのことです。

先に進むと土塁が見えてきました。このあたりも主郭を守る郭になるのでしょうか。土塁に沿って進んでいくと周囲に堀を巡らした小高い郭が見えてきます。どうやら、ここが主郭のようですが切岸が急なのと、雨で足元が滑りやすくなっているので、比較的登りやすい箇所を探します。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 伊東氏
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 郡司氏、湯地出雲守、宇都宮左馬助、島津氏
遺構 曲輪[諏訪城(本丸)、中ノ城(二ノ丸)、端ノ城(三ノ丸)]、横堀(空堀)
住所 宮崎県宮崎市佐土原町下那珂