わたりじょう

亘理城

宮城県亘理郡

別名 : 亘理要害、臥牛城
旧国名 : 陸奥

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亘理神社 (2025/05/23 訪問)

 本丸跡に亘理神社が建立され、遺構としては、本丸南側に内堀跡が残り、旧舘公園になっています。皆さん尾投稿を見ていると内堀跡に水がありましたが、自分が訪れたときは水はありませんでした。

 JR亘理駅から歩いて15分くらいで行くことができます。

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しんちゃん

亘理要害 (2025/01/01 訪問)

亘理城は亘理氏によって築かれたとされ、天正19年(1591)亘理氏が涌谷に移封になった後は、片倉小十郎景綱が入りました。慶長7年(1602)に片倉氏が白石城に移った後は伊達成実が入り、要害としての改修を行い城下町の整備も行っています。
亘理神社のある丘地に本丸が置かれ、西に馬場と称される郭が配され、土塁も残っています。かつては北西に大沼があったようで、堀の役割も担っていたようです。東の平地には二の丸が配され、周囲を濠(水堀)で守っていたようです。本丸の周囲も濠で守られていたので二重の堀があったことになります。

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刑部

城址は亘理神社 (2023/01/05 訪問)

主郭部に神社として残されて後は学校に変わっていました。

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ぎりょう

仙台藩21要害 「伊達の三傑」成実の居館 (2022/12/24 訪問)

年の暮れも押し迫った24日、今年最後の城館巡りと考え、昨年来続けている仙台藩21要害探訪に出かけた。まずは県南の亘理要害に。ここは慶長7年(1602)に、政宗を支えた「伊達の三傑」のひとり伊達成実が拝領し、藩政時代を通じて御一門亘理伊達氏2万3850石の居館として明治維新まで続いた。
要害絵図によれば丘陵上に本丸、東側に二之丸を配し、北西側の大沼と水掘りで囲み、本丸東方の南と北に虎口、二之丸も南側に内舛形、北側は外舛形の虎口を設けた縄張となっていた。
現在本丸跡は成実を祀る亘理神社が鎮座しており、本丸東側は南北虎口部分に道路が作られ分断されている。残念なことに、その他の遺構も都市化でほとんどが湮滅している。
要害跡から1.6kmほど南の大雄寺の亘理伊達氏歴代墓所には成実の霊廟があり、手を合わせることができた。中には甲冑姿の成実像が納められており1月と8月の16日に開帳されるという。
JR常磐線亘理駅の隣に白亜の天守閣風建築物の亘理町立郷土歴史館「悠里館」が周囲の街並みにそぐわない立派さで建っている。


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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 不明
築城主 亘理元宗
築城年 天正年間(1573〜1592)
主な城主 亘理元宗、片倉景綱、伊達氏
遺構 曲輪、横堀(水堀)、移築門
再建造物 碑、説明板
住所 宮城県亘理郡亘理町字旧館
問い合わせ先 山元町生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0223-37-5116