タイトル通り今は大きな野崎病院となっている。
ただ裏側の公民館や民家あたりには遺構らしきものがある。
ここも伊東氏48城の一つ。
島津にやられたとはいえ大きな勢力として当時は力を持っていたのだろうと思った。
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2025/12/08 00:15
2025/05/17 08:32
伊東氏48城の一つ (2025/05/06 訪問)
曽井城は野崎病院のある丘陵上に築かれていて、東西約400m、南北約300mの城域を持っていました。南西部に主郭があったとされ、南側の一段高い場所は櫓台のような雰囲気です。北側の一段低い場所は二の丸とされ、それぞれの郭跡に病院の施設や駐車場などが築かれているようです。北側の道路から病院の駐車場まで到達でき、駐車場の脇に新しい案内板が設置されていました。
おかげで普請者扱いされずに済みますが、病院の敷地内なので、散策などはせずに戻りました。
見落としましたが、病院の北東に位置する曽井公民館の脇に登城路の一部が残っているようです。
曽井城は南北朝時代(1375~81)頃に伊東氏の一族(曽井氏か)によって築かれ、戦国期は伊東氏48城の一つとなり、伊東義祐没落後の島津氏による支配を経た天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定の後、伊東祐兵に与えられました。その際の改修工事では黒田官兵衛が総指揮を取ったと伊東家の家請に記されているそうです。その後、江戸幕府の一国一城令によって廃城になっています。
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2024/05/20 07:01
2024/05/13 06:24
大きな病院が建っている (2024/05/02 訪問)
別府から高千穂を経由し宮崎入り(この日は城なし)。
目的はチキン南蛮と地鶏の炭火焼です。
おぐらさんのチキン南蛮で満腹になった後の鶏でしたがやっぱり美味しい!が、もう動けない。
で、恒例の翌朝相方睡眠中の朝駆け城めぐりです。
近場を探し、曽井城に行ってみました。
todo94さんのレポートにあるように城趾には大きな病院が建っています。
早朝だったので駐車場まで登ってみました。
敷地内には縄張図のついた説明板が設置されていました。
南北朝時代からの城で伊東氏の居城です。
隣を流れる古城川に沿った丘陵上に築かれています。
大きな城だったようですが遺構はほとんど見ることは出来ません。
かろうじて曽井公民館の裏手にある登城路の一部が確認できたくらい。
発掘調査では堀跡も見つかったそうです。
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| 分類・構造 | 平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 曽井祐善 |
| 築城年 | 天授年間(1375〜1381) |
| 主な改修者 | 黒田孝高 |
| 主な城主 | 曽井氏、八代民部左衛門尉(伊東氏家臣)、比志島義知(島津氏家臣)、伊東氏 |
| 廃城年 | 元和元年(1615) |
| 遺構 | 曲輪 |
| 指定文化財 | 市参考文化財 |
| 住所 | 宮崎県宮崎市大字恒久字曽井 |
| 問い合わせ先 | 宮崎市教育委員会文化財課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0985-21-1836 |