反町館は照明寺のあたりに築かれていました。周囲には土塁や堀が残っています。特に水堀の幅は10~12mもあり城郭の雰囲気が良く出ています。築城は鎌倉時代から南北朝の頃とされ、戦国時代に三重の堀を巡らす城郭に拡張されたようです。
かつては新田義貞がここに移住し、その後は大舘氏明、新田義興、矢内時英が住んだという伝承もあるようです。
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2025/07/28 20:34
2025/03/15 14:03
反町館 (2025/01/12 訪問)
【反町館】
<駐車場他>反町薬師駐車場数十台分あり。
<交通手段>車
<感想>1泊2日栃木・群馬旅4城目。現地説明板によると反町館の築造は鎌倉時代から南北朝時代と推定されます。戦国時代には3重の堀を巡らす城郭に拡張されたと考えられます。1590年豊臣秀吉の北条攻めにて廃城となったようです。館は新田義貞、大館氏明、新田義興、矢内時英が住んだという伝承があります。
現地は反町薬師になっていて、遺構は水堀と土塁の一部が残るのみです。新春で初詣の方が多くいらしていました。
<満足度>◆◇◇
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2025/02/23 12:09
太平記縁の地 (2025/01/10 訪問)
太田駅北口からシティーライナーおおた新田線で最寄りバス停の反町薬師入口まで20分、そこから徒歩で10分程。
城館跡には反町薬師(照明寺)あり、新田氏関連の史跡の案内図もあります。城館の殆どは水堀で囲われていますが、南側に土塁があり、僅かに城館跡の痕跡があります。また、そこから北へ歩いて30分程の所に新田義貞挙兵の地・生品神社⛩️があるので、時間に余裕があったり、太平記が好きな方に是非オススメです!!😆
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2023/07/10 20:51
周囲を水堀が廻る (2023/07/06 訪問)
説明板に、築城は鎌倉時代から南北朝時代と推定される。戦国時代になり三重の堀を廻らす城郭に拡張されたと考えられる。新田義貞が移り住み、その後、大館氏明・新田義興・矢内時英が住んだとの伝承がある。天正18年、小田原攻めで廃城となる。
館跡は照明寺(反町薬師)境内になっている。照明寺は館の西にあったが、江戸中期に現在地に移ったとも載る。館は凸字形をしており、東西に折れがあり、虎口は南東と西にあったらしい。周囲の堀はよく残っているが、説明板では東の堀は道路改修で拡張されたと記載がある。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 新田義貞 |
築城年 | 14世紀前期 |
主な城主 | 新田氏、市野井氏、大館氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、虎口、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
指定文化財 | 国史跡(新田荘遺跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 群馬県太田市新田反町町896-1 |