最終日の今日は本日中に自宅に戻る為、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。
草津駅バス停から帝産湖南交通バスを利用して、志津小学校前バス停へ向かいました。
志津小学校前バス停から、草津市立志津小学校の北側にある池の説明板付近(35.004061、135.977125)➡小槻神社(35.001334、135.976832)の順番で廻りました。
青地城の築城は古く、鎌倉時代まで遡り、もともと在地の土豪だった小槻氏を祖に持ち、後に近江守護職の佐々木氏一族・馬淵氏の養子となって青地氏を名乗った青地左衛門尉忠綱が築城・城主となったと考えられているそうです。
ただ築城の時期に関しては諸説あるようですが、青地氏は佐々木七騎の一人として強大な力を持っていたともいわれています。
織田信長によって主君の佐々木氏が滅ぼされた後、青地氏は信長側につき戦国の世を生き延びていったようですが、青地城は1573年(天正元年)頃には廃城になったと考えられているそうです。
信長亡き後は、豊臣秀吉方につき、前田利家、豊臣秀次の家臣に入りますが、この秀次が切腹させられた後は、歴史の表舞台からは身を引いたそうです。
志津小学校と小槻神社の間に土塁、堀などの遺構が残っています
志津小学校の北側の池も堀跡なんでしょうね。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=金ケ森城を目指す為、志津小学校前バス停から帝産湖南交通バス➡JRを乗り継ぎ、守山駅へ向かいました。
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