うしきじょう

牛岐城

徳島県阿南市

別名 : 富岡城、浮亀城
旧国名 : 阿波

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石垣右隅部
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しんちゃん

戦国の習いとはいえ長宗我部氏もエグい。 (2023/08/14 訪問)

牛岐城は現在牛岐城址公園になっていますが、遺構の大半は
開発によって消滅しています。
石垣の一部が牛岐城址館の中に保存されていて、
公園の管理人に頼むと中を見学させてもらえます。
牛岐領には観応2年に足利義詮の家臣安宅氏が入りましたが
南朝方に与したが破れ、阿波守護細川頼之家臣、新開氏が
牛岐に入ったと伝わります。後に長宗我部氏の軍門に下りますが、
このころには牛岐城の記述がみられます。土佐物語にも牛岐城の
記述が見られるようです。長宗我部氏は自らの軍門に下り、従軍していた
武将にも信頼を置かなかったらしく、新開道善入道は丈六寺へおびき出され
謀殺され、今でも血天井が残っています。
一宮城主、一宮成助も翌11月7日に夷山城で弟、一宮主計頭・家臣星合六之進と
共に謀殺されています。道善嫡子式部少輔、道善甥の新開右近、桑野河内守、野田采女正、
河内駿河守も相次いで殺されています。
しかし天正13年、豊臣軍による四国侵攻で長宗我部氏の勢力は牛岐城を追われ土佐へ
退いていきました。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:牛岐城 (2022/07/21 訪問)

平島館からの転戦です。牛岐城址公園駐車場(33.920965、134.6573)に着きました。

築城年代は定かではない。至徳年間(1384年 - 1386年)に阿波守護細川氏の家臣新開実重が、阿波国に入った際に築城したと云われています。
1582年(天正10年)城主であった新開実綱(新開道善)が長宗我部元親に謀殺され、これにより新開氏は滅亡し、香宗我部親泰が入りました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の四国征伐に際し、蜂須賀家政が阿波国を領有とし、支城群阿波九城の一つとして家老である賀島主水政慶に10,000万石を与え城代としました。
政慶は入城後、牛岐の地を富岡と改名したため、牛岐城も富岡城と呼ばれるようになったそうです。
その後、1638年(寛永15年)に一国一城令により、徳島城以外の城は破却されました。


遅くなり公園管理事務所は閉まっていたので、石垣は確認できませんでした。阿波9城のひとつです。
しかし、階段を登って行くと階段横から石垣が見えますが、ガラスに反射して写真は撮れませんでした。
模擬城門は確認しました。
攻城時間は15分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かいました。

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小城小次郎

石垣の保存展示方法の一例を示している (2022/01/28 訪問)

前回改修中で閉鎖されていた山上の建物に初めて入り、ついに建物内保存の石垣とご対面。裏込めありの粗い石垣は天正期の蜂須賀氏阿波入国以降のもので間違いなかろう。石垣の保存展示方法の一例を示す点でも貴重だ。

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織田晃司

恋人の聖地 (2022/05/02 訪問)

城山の頂上にはキラキラドームがあり、青色発光ダイオード製造の町をPR。

そして同じく城山に建つ牛岐城趾館の中に発掘された牛岐城石垣が保管・展示されている。

牛岐城趾公館は鍵が掛かっている事が多く、見学するには牛岐城趾公園管理事務所に申請が必要。(10:00〜18:00 月曜休館)

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 新開氏
築城年 14世紀?
主な改修者 不明
主な城主 新開氏、香宗我部親泰、賀島政慶
廃城年 寛永15年(1638)
遺構 石垣
再建造物 模擬門、碑、説明板
住所 徳島県阿南市富岡町トノ町(牛岐城趾公園)
問い合わせ先 阿南市役所
問い合わせ先電話番号 0884-22-1111