日本100名城

おかやまじょう

岡山城

岡山県岡山市

別名 : 烏城、金烏城、石山城
旧国名 : 備前

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岡山城
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にのまる

濃い。深い。新しい。楽しい! (2023/01/06 訪問)

年末年始8泊9日の帰省&城めぐり旅。
福岡3・山口6・島根1・高知3・徳島3・香川1とまわった最終日の帰京の途次、8年ぶりに岡山城を訪れました。新幹線への乗り換えのために都合がよかったというのがいちばんの理由ですが、新たな出会いや発見がいくつもあり、今回行くことができて本当によかったです。

岡山駅のコインロッカーにキャリーバッグを預けて徒歩で向かいました。
道中にも城下町の痕跡がいくつもあり、なかでも内堀跡の歩道のうねりは感動ものでした。
また、西の丸跡の古い石垣や空襲の焼け跡の残る石山門跡、池田光政公隠居所跡である内山下小学校、現存の西手櫓などいくつも見学ポイントがあり、この界隈だけでもかなり見ごたえがありました。西手櫓石垣の前は建物で隠れないように駐車場にしてくれているのではないかと思うととてもうれしく、ありがたかったです。

本丸へは二の丸桜門、目安橋を渡り内下馬門から入りました。
巨石の配された堂々とした構えの門は平和な時代の観光客の立場であっても威圧感を感じます。巨石のひとつに小さなプレートが嵌め込まれていたので近づいてみると、昭和9年の室戸台風による洪水被害の浸水線でした。観光名所として多くの人が訪れるお城ですが、いくつもの苦難を乗り越えてきた時代があったことに思いを致しました。

表書院跡や月見櫓、天守のある本段へ行く前に、石垣を眺めながら一周しました。
修復工事中の石垣に、形あるものを将来にわたって維持していくためにはコストもかかるし匠の技の継承も不可欠だと気づきました。
小早川秀秋が築き池田忠継が改修した石垣、池田忠雄が築いた石垣、宇喜多秀家が築き小早川秀秋が継ぎ足した石垣など、解説を読み見上げながら歩いていると、想像や書籍やドラマ映像の中の歴史上の人物が実在した人物として身近に感じられてきました。

2時間くらい費やし充分に満足したところでいよいよリニューアル天守へ。
ここまで楽しい世界に生まれ変わっているとは!!
よくぞここまで……、驚きでした。
博物館でありドラマ館。エンタメと学習機能が両立しています。それでいて天守の魅力が少しも削がれていません。

戦国の世と戦時の災禍を伝える現存石垣と2基の櫓。新しいかたちで歴史を刻み始めた天守。長旅の最後に素敵なお城に寄ることができて良い思い出ができました。

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トク

⑰【関ケ原の26人 】(9)宇喜多秀家 (岡山城の石垣) (2023/01/19 訪問)

岡山城の続きです。
関ケ原から話がちょっとそれてすいませんが、岡山城の石垣も大変よかったのでお伝えします。岡山城にはいろいろな石垣があるんですね~(私は前回訪問時は気づかず今回初めて知りました)。天守だけでなく石垣も十分楽しめるお城です。

1番目、まず入口にある「鏡石」です(写真①:わ!大きい😯)。 高さ4.1m幅3.4mあるそうです。これは犬島という所(離島)から運んできたそうです。威厳を示すには十分ですね。

2番目はこの部分「中の段南西部の石垣」です(写真②:ちょうど工事中だったのですいません)。右の緩い傾斜で自然な感じで積まれているのが小早川秀秋の石垣、左の傾斜がきつく切込接で造られているのが池田忠雄の石垣だそうです(対称的ですね~)。

3番目はこの部分(写真③)「大納戸櫓下の石垣」です。ここには天守に次ぐ三重四階の櫓があったそうです。小早川が築き池田氏が改修、上に行くほど傾斜が急になっています(技術の進歩にともなった改修というわけですね)。

4番目は「不明門(あかずのもん)下の石垣」です。右は宇喜多時代の石垣で、土台の岩盤の上に自然石をうま~く積み上げてます。何だか踏ん張っているように見えておもしろいです(写真④⑤:がんばれ~!😠)。左は池田時代に改修された石垣です。

5番目はここです(写真⑥)。表書院の発掘調査をしていたら、その地中から宇喜多秀家の石垣が出てきたそうです。江戸時代の池田氏はこの石垣を地中に埋めて、この上に表書院(藩士の仕事場所)を造っていたという事ですね。

6番目はここ(写真⑦)「月見櫓下の石垣」です。現存する月見櫓とともに池田忠雄時代に造られたものです。よく見ると矢穴や刻印があちこちに見られました。

7番目は「礎石」です(写真⑧)。天守をコンクリートで再建する時に、以前発掘で見つかった礎石を同じ間隔でここに並べて残しているそうです。

8番目は「本段東側の高石垣」です(写真⑨)。左が宇喜多秀家の石垣で、真ん中を境に右が小早川秀秋の石垣です(どこが境目でしょうか? わかりますか?)。宇喜多の石垣に小早川が継ぎ足したようです。宇喜多の石垣は大きめの石を丁寧に積み上げている感じがするのですが、小早川の石垣は時間がなかったのか、自然の小さめの石を加工せずそのまま短時間で積み上げた感じです。何か両者の性格の違いが表れたようでおもしろいです😊。

最後9番目はこの石垣です(写真⑩)。天守北面下ちょうど不等辺五角形の私の好きなふくらみの部分です。石垣を全体的によく見て下さい。 何となく少しうっすらと赤く感じませんか? ならばそれはなぜだかわかりますか? これは昭和20年に岡山城は空襲で焼失し、天守もその時に焼け落ちました。その時の燃えた痕跡で今でも少し赤い色が残っているそうです。何か悲しい痕跡ですね😩。

次は(宇喜多秀家陣跡)を歩きます。
 

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トク

⑯【関ケ原の26人 】(9)宇喜多秀家 (宇喜多秀家と岡山城天守) (2023/01/19 訪問)

(9人目)は「宇喜多秀家」です。
関ケ原当時の居城、「岡山城」を訪れてきました。

岡山城は昨年リニューアルされました。4年ぶり2度目の訪問ですが、以前よりあざやかな黒に生まれ変わっていたのでビックリしました! 見事なまでに艶のある黒漆塗り、そして金箔瓦や金の鯱とのコントラストが・・・うわ~実にまぶしい😎! しばらくその美しさに見とれてしまいました。まさに烏城の名にふさわしい今が必見です!(写真①②)。

城内もリニューアルされていました。宇喜多→小早川→池田氏の歴史が実に分かりやすくまとめられています。地元岡山出身の磯田先生の声による解説などもあり(写真④)時を忘れるくらいにとても楽しく見学する事ができました。(結局館内を2周してしまいましました)。

私の一番好きな角度はここです(写真⑥)。この不等辺五角形の石垣のふくらみに合わせた天守のやわらかい形。そしてそのふくらみのちょうど上の部分に唐破風がありアクセントのとれたデザイン。さらにその上段(三重階)ではちゃんと安定した四角になる。まさに望楼型でないとできない技ですよね! 元々の天守台の固い地盤がこのような形だったため、工期短縮のため天守台を削るより上の天守を台の形に合わせた方が早いとして築城したのでこうなったとか?

備中高松城攻めの折、宇喜多直家は毛利を裏切り秀吉に付く証として、子の秀家を人質として秀吉に託します。そして秀家はねねの下で猶子として成長し、岡山(備前・備中・美作・播磨)57万石を与えられるまでになりました。築城当時は、西の毛利、さらにその西には九州・四国の豊臣に従わない(あるいは従ったふりをしているだけ)の諸大名が多くいたため、豊臣の象徴である黒塗りの城に許された者だけがつけられる金箔瓦を施し、それらの諸将ににらみをきかせ、豊臣は自分が守るという秀家の築城時の決意の表れがこの城に込められているのではないかと思いました。

私は岡山城の天守に立ち眺めて見ました。旭川が天然の堀となり、金の鯱と重ね合わせた後楽園や街との風景は、とても美しく感じました(写真③⑦)。秀家はこの景色を眺めながら、どんな思いで関ケ原へ出陣して行ったのでしょうか? 五大老の中で最も若い28才。色白な表情(写真⑧)とは裏腹に、西軍の中では最も血気盛んで、三成にとってはとても頼もしい存在に映っていたのではないでしょうか?

次は、(岡山城の石垣)へ続きます。

【余談】岡山名物「きびだんご」
おみやげに名物「きびだんご」買いました(写真⑩)とてもおいしかったです。これを食べた(きじ・さる・犬)がついて行った理由がよくわかりました(笑)。
 

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スティクラ

リニューアルした岡山城へ (2022/12/18 訪問)

昨年11月にリニューアルした岡山城へ。

天守閣の中は6Fまであり、各階に見どころあり。
体験コーナーや城主となった戦国武将の歴史がわかりやすく書かれていて、興味がなかった人や子供が見にいっても十分に楽しめるようになっていたと思う。ただ最上階からの眺めは見える面積が少なく少し残念。

天守閣以外にも築城当時の石垣を見ることができたり、不明門なども魅力。またどの方向から見ても天守の形が違うように見ることができるのも魅力のひとつ。時間があれば後楽園側に橋を渡って、川を挟んで城を楽しむのもあり。

1時間~1時間半あれば十分楽しめると思います。

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概要

宇喜多直家から城を引き継いだ嫡子・秀家が高石垣を築き、不等辺五角形の天守台に金箔瓦を葺いた六階の天守を建てた。外壁の下見板張が黒漆塗だったことから「烏城」または「金烏城」とも呼ばれた。秀家の後に入城した小早川氏・池田氏も拡張整備し、本丸内では3期の石垣を観察できる。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 正平年間(1346〜1370)
築城者 上神高直?
主要城主 上神氏?、宇喜多氏、小早川氏、池田氏
文化財史跡区分 国重要文化財(月見櫓、西の丸西手櫓)、国史跡(岡山城跡)
近年の主な復元・整備 宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄
天守の現況・形態 複合式望楼型[4重6階/1597年築/焼失(空襲)]、複合式望楼型[4重6階/1966年築/RC造外観復元]
主な関連施設 天守、門、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)、虎口
住所 岡山県岡山市北区丸の内
問い合わせ先 岡山城事務所
問い合わせ先電話番号 086-225-2096