石垣や1階の平面が不等辺五角形をしている天守閣といのはユニークで興味があります。いろいろな角度で観てみました。自分としては旭川付近から観る天守閣が好きです。
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2025/02/08 17:00
2025/02/06 22:20
2025/02/06 22:08
宇喜多直家 (2025/02/06 訪問)
久しぶりの岡山城です。2022年11月3日に天守閣がリニューアルオープンしてからは初めての登城となります。天守閣内は岡山市出身の磯田道史先生が監修された展示となっていていました。最近登城したと思っていたのですが、記録を見ると前回の登城は平成の頃でした。
旭川の西の丘陵地にあり、南北朝時代には石山城と呼ばれていた砦が存在していました。戦国時代には金光宗高の居城となっていましたが、1570年(元亀1)これを宇喜多直家が滅ぼし居城としています。息子の秀家が豊臣秀吉の全面的協力のもと新城の築城と城下町を整備しました。天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形をしているという興味深い設計となっていますが、土台になった岡山の丘の地盤にあわせたためといわれています。戦災で焼失したのは残念ですが、外観は戦前のとおりに復元されています。梟雄として有名な宇喜多直家ですが、没落した身からのし上がった器量は尋常ではなく経済の重要性も理解した人物であったと思っています。宇喜多直家、秀家父子を大河ドラマにしようという運動もあるようです。
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2025/01/26 12:14
下世話で申し訳 (2013/12/14 訪問)
またちょっと古い写真で申し訳ない。天守がリニューアルしたというので是非再訪したいと思っていますが、今年はまとまった休みが取れそうもないので訪問は正月以降になりそうです。天守以外にも見所が多い城なので楽しみにしています。
城主が宇喜多秀家→小早川秀秋→池田氏と変わっているのも非常に興味深いですね。そういえば小早川秀秋と言えば男色家の側面があって、けっこうエグいエピソードが残っているようですが、美丈夫で有名な秀家にことをどう見ていたのかな? 小早川家と言えばもとは大老格なので顔を合わせる機会も多かっただろうし。じつは真面目に興味があります(ポカッ!)。ちなみに私にそっちの趣味はありませんぞ。
慶長4年(1599)に家康追及の動きが有った際に諸大名の動向は割れ、伏見の家康邸と大阪の前田邸に諸大名が集結しましたが、秀秋の動向は分かりません。「関ヶ原軍記大成」には小早川秀包が前田邸に終結したとありますが秀秋の名前はどちらにも無いですね。
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宇喜多直家から城を引き継いだ嫡子・秀家が高石垣を築き、不等辺五角形の天守台に金箔瓦を葺いた六階の天守を建てた。外壁の下見板張が黒漆塗だったことから「烏城」または「金烏城」とも呼ばれた。秀家の後に入城した小早川氏・池田氏も拡張整備し、本丸内では3期の石垣を観察できる。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 正平年間(1346〜1370) |
築城者 | 上神高直? |
主要城主 | 上神氏?、宇喜多氏、小早川氏、池田氏 |
文化財史跡区分 | 国重要文化財(月見櫓、西の丸西手櫓)、国史跡(岡山城跡) |
近年の主な復元・整備 | 宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄 |
天守の現況・形態 | 複合式望楼型[4重6階/1597年築/焼失(空襲)]、複合式望楼型[4重6階/1966年築/RC造外観復元] |
主な関連施設 | 天守、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)、虎口 |
住所 | 岡山県岡山市北区丸の内 |
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問い合わせ先 | 岡山城事務所 |
問い合わせ先電話番号 | 086-225-2096 |