ちりゅうじょう

知立城

愛知県知立市

別名 : 知立古城
旧国名 : 三河

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知立古城址屏風絵案内板
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カズサン

明治天皇も御休息された知立古城 (2022/11/06 訪問)

 岡崎城清海堀の特別探索も体験し10年振りの東隅櫓復元以来岡崎城散策探訪と隣接のホテルで兄弟夫婦昼会食を終えて、城びと登録で未登城の知立城を目指しました、知立城は現在の西町児童遊園と成って居り、ナビをその出入口に合わせる、皆さんの案内の様に駐車場は無いとの事で幅寄せして路駐、駆け足探訪撮影。
 通りに(旧東海道)に面して知立御殿と知立神社が描かれてる屛風絵案内板の存在が大きい、公園内に知立古城址円柱石碑、御殿址石碑、江戸時代前半の池鯉鮒宿の町並み解説板、明治天皇御小休所址の石碑、明治天皇駅蹕址石碑?東海道案内図旧東海道道筋書き込みなどが建ち並んでいました。知立は古くは池鯉鮒だそうですが読めますか?
 
 歴史は氷見氏によって築かれ氷見氏は知立神社の神主、桶狭間の戦いの前に今川義元が陣を構えたが戦いで落城、のち刈谷城主水野氏が屋敷を建てた、江戸時代の初めは将軍の休宿用の御殿と成って居た、元禄期の地震で倒壊し役目を終えた。(案内板に由る)

 知立古城を終えて旧東海道の当面い在る了運寺門前を90°曲がって北に行くと国道155号線下を潜って対面に知立神社が在る約200~300m程。
 駐車場は国道155号線南角に知立神社駐車場(35°00'40"N 137°02'28"E)が有り知立古城から100~150m程で知立城と知立神社見学用として利用出来る。

 知立神社池鯉鮒大明神を祀って居り数柱をも祀って居る、由緒を見ると東征で日本武尊も寄られ祈願されて居る、知立(池鯉鮒宿)宿場町で大切にしてる神社の様です、神宮寺の多宝塔も残り明治以前の神仏習合の祈り方を表している、石橋、拝殿を参拝して次の重原陣屋へ向かいました。
 

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じっぱ

知立古城址と池鯉鮒宿 (2022/10/21 訪問)

短時間だが知立城址に立ち寄った。現在は住宅地で西町児童公園に城址碑と案内板のみが建っています。遺構らしきものは見当たらなかった。知立神社の神主を務めていた永見氐の居城で、今川義元に仕えていたが、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで織田信長によって落城となりました。天正年間に刈谷城主水野忠重によって御殿が建てられ、将軍上洛時の宿泊施設となっていましたが、元禄12年(1699年)の大地震により倒壊しました。案内板にある17世紀後半(江戸時代前半)の池鯉鮒宿(品川宿より39番目の宿駅)の宿並図にある、本陣、脇本陣、問屋場跡は時間の都合で確認出来なかったが、敷地三千坪の雰囲気を味わって来ました。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ15日目:知立城 (2022/08/03 訪問)

重原陣屋からの転戦です。知立駅より徒歩5分くらいで、西町児童公園前(35.009607、137.040604)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、永見氏によって築かれました。 永見氏は知立神社の神主で、その居館が知立城の始まりとされます。
戦国時代には刈谷城水野氏との関係を深め、台頭してきた松平清康、ついで今川義元に仕えますが、今川義元が桶狭間に倒れると敗走した今川軍を追った織田方によって落城しました。
天正年間(1573年~1592年)に刈谷城主水野忠重によって御殿が建てられ、将軍上洛時の宿泊施設となっていましたが、1699年(元禄12年)の大地震により倒壊しました。

西町児童公園に石碑と案内板が設置されています。電車の時間が近いので速攻で撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安祥城を目指す為、電車で知立駅から南安城駅に向かいます。

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小荷駄

知立城 (2022/05/30 訪問)

知立駅から徒歩10分ちょっとでした。駐車場はありませんでした。トイレは有りました。案内看板と石碑だけで児童公園になっていました。近くの知立神社には駐車場もあり徒歩10分位でした。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 永見貞春
築城年 平安時代
主な城主 永見氏
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(知立古城跡)
再建造物 石碑(知立古城址)
住所 愛知県知立市西町西
問い合わせ先 知立市文化振興係
問い合わせ先電話番号 0566-83-1133