岡崎城清海堀の特別探索も体験し10年振りの東隅櫓復元以来岡崎城散策探訪と隣接のホテルで兄弟夫婦昼会食を終えて、城びと登録で未登城の知立城を目指しました、知立城は現在の西町児童遊園と成って居り、ナビをその出入口に合わせる、皆さんの案内の様に駐車場は無いとの事で幅寄せして路駐、駆け足探訪撮影。
通りに(旧東海道)に面して知立御殿と知立神社が描かれてる屛風絵案内板の存在が大きい、公園内に知立古城址円柱石碑、御殿址石碑、江戸時代前半の池鯉鮒宿の町並み解説板、明治天皇御小休所址の石碑、明治天皇駅蹕址石碑?東海道案内図旧東海道道筋書き込みなどが建ち並んでいました。知立は古くは池鯉鮒だそうですが読めますか?
歴史は氷見氏によって築かれ氷見氏は知立神社の神主、桶狭間の戦いの前に今川義元が陣を構えたが戦いで落城、のち刈谷城主水野氏が屋敷を建てた、江戸時代の初めは将軍の休宿用の御殿と成って居た、元禄期の地震で倒壊し役目を終えた。(案内板に由る)
知立古城を終えて旧東海道の当面い在る了運寺門前を90°曲がって北に行くと国道155号線下を潜って対面に知立神社が在る約200~300m程。
駐車場は国道155号線南角に知立神社駐車場(35°00'40"N 137°02'28"E)が有り知立古城から100~150m程で知立城と知立神社見学用として利用出来る。
知立神社池鯉鮒大明神を祀って居り数柱をも祀って居る、由緒を見ると東征で日本武尊も寄られ祈願されて居る、知立(池鯉鮒宿)宿場町で大切にしてる神社の様です、神宮寺の多宝塔も残り明治以前の神仏習合の祈り方を表している、石橋、拝殿を参拝して次の重原陣屋へ向かいました。
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