ちりゅうじょう

知立城

愛知県知立市

別名 : 知立古城
旧国名 : 三河

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屏風絵の説明板
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赤い城

児童公園 (2025/08/09 訪問)

名鉄知立駅から徒歩7分。
西町児童遊園が古城跡です。
立派な石碑と江戸時代の様子を伝える屏風の絵を描いた案内板が立っています。
周囲より少し高くなっていますが遺構は無さそうです。
桶狭間の戦いで今川方の城として機能していました。

江戸時代には将軍が上洛する際の宿泊所となり、旧東海道が直ぐ側を通ります。
旧東海道は公園の北東でクランクしており城の匂いもします。
この道を少し北に曲がり進むと知立神社があります。
先述の説明板にも描かれていました。
ここには於万の方の石碑があります。
結城秀康の母、於万の方の実家でもあり、東海道三社の一つにも数えられる立派な神社でした。

出張の後延泊しての城めぐりはここまで。
猛暑でバテたのとスマホの充電も怪しくなったので名駅まで戻ります。
新幹線までの時間はビールでクールダウンしたことは言うまでもありません🍻

【見どころ】
 ・側を通る旧東海道のクランク
 ・知立神社

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todo94

佐久島からの帰路の攻城④ (2024/09/15 訪問)

この日、最後の攻城です。知立神社は21世紀の初年から国宝・重文の現存木造塔めぐりを精力的に進めていた際に訪れたことがありましたが、古城址は初めてです。旧東海道を散策しつつ本陣跡迄、脚を伸ばしてみました。

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ぴーかる

知立城 (2024/05/11 訪問)

【知立城】
<駐車場他>知立神社駐車場無料がいい。リパーク知立駅北60分220円に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅4城目。城びとの城郭情報によると知立城は平安時代に永見貞春によって築城されたとあります。永見氏は代々、知立神社の神主で神社の南側にあるわずかに高台になっている場所に城郭居館を構えたと思われます。戦国時代には永見氏は周辺豪族(特に水野氏)と血縁関係を深めます。桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、追ってきた織田軍によって知立城は落城します。この地は江戸時代には池鯉鮒宿の宿場町になっています。
 まず、池鯉鮒本陣跡の石碑を見に行き、知立古城址に行きました。現地は公園広場になっていて、遺構は残されていませんが、城址の場所は東西に少し長い高台になっていて立地の状態は分かります。次に知立神社に行きました。重要文化財である1509年再建の神宮寺多宝塔があり見応えありました。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

於万の方と将軍宿泊所と大あん巻き (2024/03/09 訪問)

知立城の城主・永見氏は知立神社の神主を兼ねていました。あれ?逆かな‥ま いいや。戦国時代、永見氏は水野氏に従い、婚姻関係により、繋がりを深めました。結城秀康の母の、お万の方は永野貞英の娘で、母は水野忠政の娘ということです。
桶狭間の合戦の際には一時、今川義元の本陣が置かれますが、義元が討たれると城は織田方によって落城したそうです。天正年間(1573~1592)に刈谷城主・水野忠重によって城址に御殿が築かれ、寛永年間(1624~44)に松平主殿守が増築を行い、将軍の宿泊所とされましたが、元禄12年の地震によって倒壊したそうです。
城址は小高い場所にあり児童公園となっています。知立神社には於万の方の像がありました。大河と同じくなかなかの美人です。神社から城址に向かう途中に元祖大あん巻き・松屋本家があったので私はアイスあん巻きを買いました。許可を得たので掲載させていただきます。この時分はアイスはまだちょっと早かったですが美味しかったです。この時分から一月ちょっとですっかり暑くなりました。

‥あん巻きをひらがなで入力すると差別用語としてNGがでます。営業妨害ですよ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 永見貞春
築城年 平安時代
主な城主 永見氏
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(知立古城跡)
再建造物 石碑(知立古城址)
住所 愛知県知立市西町西
問い合わせ先 知立市文化振興係
問い合わせ先電話番号 0566-83-1133