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不等辺五角形 (2025/02/06 訪問)

 石垣や1階の平面が不等辺五角形をしている天守閣といのはユニークで興味があります。いろいろな角度で観てみました。自分としては旭川付近から観る天守閣が好きです。

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亀ヶ頭

雪の会津若松城 (2025/02/03 訪問)

先日、会津に行って会津若松城を見て来ました。雪の会津若松城はなかなか見られません、近くには元祖煮込みカツ丼のお店「なかじま」があり結構美味しかったです。

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岸和田城

岸和田城冬の陣 (2025/02/24 訪問)

2月24日開催「岸和田城冬の陣」
情報がフルオープンになりました。

HPもこれに合わせて更新済みですので既にご確認いただきました方も再度ご覧下さい。
https://kishiwada-castle-70th.jimdosite.com/

お城好き、武将隊ファン、御城印コレクター・・・皆様のお越しをお待ちしております。

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【武者行列参加武将隊】
(ステージもあります)
○名古屋おもてなし武将隊 ○京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ
○甲援隊 ○勢州津高虎隊 ○信長隊安土衆 ○雑賀衆甲冑隊

【お城自慢ゾーン】
○大坂城/大阪城 ○国史跡 飯盛城 ○竹田城 ○津山城
○勝龍寺城 ○綾井城址 ○和歌山城 ○岡山城

【ファンゾーン】
○千糸繍院 ○戦国武将隊 ○戦国魂 ○IKUSAワークショップ ○城郭合体オシロボッツ

【グルメゾーン】
きしわだ・先週の美味しいもの、地元食材を取り入れた豊かなグルメをご用意。
現在実施中の「きしわだスイーツコンテスト」参加店舗も登場します。

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*岸和田城武者行列*

会場:蛸地蔵天性寺~紀州街道~岸和田城
時間:13:30~

【協力】
吉本興業株式会社
岸和田観光バス株式会社
公益財団法人大阪観光局

【後援】
NHK大阪放送局

*きしわだ天正楽市*
会場:岸和田市二の丸広場
時間:10:00~16:00

【協力】
株式会社岸和田グランドホール

*岸和田城冬の陣*
【協賛】
公益社団法人日本観光振興協会

【協力】
株式会社テレビ岸和田
株式会社アース
認定NPO法人ラヂオきしわだ
岸和田城下町サミット実行委員会

【後援】
大阪府
公益財団法人大阪観光局
公益社団法人日本観光振興協会

【主催】
岸和田市
(072-423-9486:魅力創造部観光課)
岸和田市観光振興協会
(072-436-0914:事務局・岸和田だんじり会館内)

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スミヤキ

蛇にまつわる都市・城と言えば… (2025/01/09 訪問)

2025年巳年がスタートしました。
「巳(み)」は、豊穣や金運を司る神様として祀られてきた蛇を意味し、古くから信仰の対象とされてきました。
縁起の良い蛇と言えば、国の天然記念物「岩国のシロヘビ」が、有名ですよね。新年早々、シロヘビのご利益にあずかりに、また百名城スタンプ98城目になる岩国城を登城してきました。

岩国城は、関ヶ原の戦いの後に吉川広家が、山陽道を眼下に見渡せる横山山頂に総石垣の城郭、桃山風南蛮造りという珍しい天守を1608年に完成させます。徳川幕府の一国一城令により、わずか7年で山上の城郭は、破城処理が施された歴史があります。
以後、1962年(昭和37年)に天守が再建、翌年には、山上の城跡と麓を結ぶロープウェイが開通し、現在は錦帯橋と並び岩国観光のシンボルになっています。
復元された旧天守台、現存している石垣や破城痕跡がわかる石垣群、大釣井、大空堀跡など高い築城技術を持つ毛利吉川家の見所満載のお城です。
山上天守からの瀬戸内海、城下を見下ろす絶景、ロープウェイ山麓駅隣の岩国シロヘビの館の「シロヘビ様」も忘れずに。

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イオ

つぶやきあれこれ

最強寒波

先週からこの冬最強の寒波が来ると言われていましたが、新潟や北陸をはじめ相当な大雪のようで、大変な思いをされている皆さまにお見舞い申し上げます。また、先月の弘前城二の丸未申櫓の破損のような被害が発生しませんことを…。それにしても、昨夏は大変な猛暑で温暖化が進んでるのかなぁ…と思っていましたが、冬は冬で観測史上最高の積雪とか、どーなってるんだ地球。

転送したら写真全滅だった件

リムル様…じゃない、ぴーかるさんのSDカードアクセス不可とは比べものにならないわずかな損害ですが、写真が全滅したために、一度行けば充分というような城に三度も行く羽目になったのが何とも…。とはいえ、消えたのは近場に加えて質量ともに大した写真ではなかったのでまだしもながら、これがそう滅多には行けない遠方の城だったり、撮りためている姫路城の写真だったらと考えると……恐ろしいことです。機器の不具合や人為的なミスはあるものと想定して備えないといけないな、と改めて。

「無双の剛の者」へ

私も投稿の中で「ニッポン城めぐり」に触れることがよくありますが、しんちゃんさんも順調にハマっておられるようで何よりです。武将を登用するための石高を得ようと尾張や美濃や近江をポチ攻めしまくっていたら、獲得した石高の倍以上の石高を要する武将たちを発見、より一層石高貧乏になったというのは私も経験しています(笑) ところで、異名「無双の剛の者」を獲得されたとのことで、ここはぜひ「日本一の兵」を目指していただきたいものです(現在8位…ですよね?)。真田推しとして私もかつて獲得を目指しましたがあえなく敗れ去り、ある程度攻略が進んだ今となってはもう無理かな…と諦めていますので。
 

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しんちゃん

新田氏の庶流・里見氏 (2025/02/02 訪問)

新田義重の子、義俊が新田氏の所領である里見郷に築いたのが里見城の始まりとされています。城山稲荷の周辺は古城と呼ばれ、外曲輪とされていますが藪化しています。南側から回り込んでいくと本城にたどり着き、案内板もあります。
里見地区の伝承では新田義貞は幼少の頃、里見の地で育ち、幼名を里見小五郎と称していたと案内板に記載があります。

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しんちゃん

阿内城 (2025/02/02 訪問)

阿内城は宿阿内城とも呼ばれ、本丸の周辺は畑地になっているようです。道沿いの民家の北側にあった土塁のような土盛りの写真も載せさせていただきます。

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しんちゃん

北新波砦史跡公園 (2025/02/02 訪問)

北新波砦は北新波砦史跡公園として整備され、土塁が復元されています。周囲を巡っているのは堀跡でしょうか。こじんまりとした史跡ですが、雰囲気は十分味わえます。一辺75mほどの方形の居館跡の様な城郭ですが南側には突出部があります。箕輪城主長野氏に関係のある城郭とされ、支城のようなものだとされています。

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朝田 辰兵衛

城域の西側がエグられてる気がしたので… (2025/01/11 訪問)

2025年の攻城は,ハリポタ城からスタート。リバーゲートから石神井川を眺望し,ハリポタのモニュメント確認で戻ろうかな…と。
しかし,マップを眺めると,城域の西側に住宅地が造成されてエグられてる気がしました。
そこで,公園内を西へと移動し,石川橋へ。ここからあらためて石神井川を眺望。そして,向山公園へと。「意外に登るなぁ…」と思っていたら,向山公園自体がすり鉢状地形を改変したように思えました。「もしかして向山公園は登城口あるいは荷揚げ場か…❓」と想像を巡らせました。また,向山公園には,近くにあった道標の石碑が移されて設置されていました。人も物も行き交い,往時の賑わいを伝えているように思いました。
こういう想像をしながらの散策が結構スキです。

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dougen

2017.11.5登城 (2017/11/05 訪問)

城山公園として整備され、石垣や復元門などがあります。

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dougen

2017.11.5登城 (2017/11/05 訪問)

往時を偲ぶ、曲輪や土塁、水濠など残っています。

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石垣めぐり (2025/02/06 訪問)

 高石垣は迫力があり宇喜多氏、小早川氏、池田氏それぞれの石垣が残っていて楽しませてくれます。

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しんちゃん

土合館 (2024/09/16 訪問)

土合館は八丁目城と縁の深い城館で、八丁目城の支城とも見られ、本城である八丁目城が西館と呼ばれ、土合館は東館と呼ばれます。実際には八丁目城に劣らぬ規模と縄張りを持っており、八丁目城と合わせて奥州街道の守りを担っていたと思われます。
現在は土合館公園となっており、紫陽花の名所でもあり主郭には神社が祭られています。周囲に郭が残り、土塁も各所に残っています。北西の出丸らしき郭には観音様(?)が祭られ周囲を見渡すことが出来ます。八丁目城主の清野遠江守の父・備前守の隠居城ともされ、伊達家の内乱の末、敵対する伊達晴宗が勝利したため八丁目城と共に落城したと思われます。

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宇喜多直家 (2025/02/06 訪問)

 久しぶりの岡山城です。2022年11月3日に天守閣がリニューアルオープンしてからは初めての登城となります。天守閣内は岡山市出身の磯田道史先生が監修された展示となっていていました。最近登城したと思っていたのですが、記録を見ると前回の登城は平成の頃でした。
 旭川の西の丘陵地にあり、南北朝時代には石山城と呼ばれていた砦が存在していました。戦国時代には金光宗高の居城となっていましたが、1570年(元亀1)これを宇喜多直家が滅ぼし居城としています。息子の秀家が豊臣秀吉の全面的協力のもと新城の築城と城下町を整備しました。天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形をしているという興味深い設計となっていますが、土台になった岡山の丘の地盤にあわせたためといわれています。戦災で焼失したのは残念ですが、外観は戦前のとおりに復元されています。梟雄として有名な宇喜多直家ですが、没落した身からのし上がった器量は尋常ではなく経済の重要性も理解した人物であったと思っています。宇喜多直家、秀家父子を大河ドラマにしようという運動もあるようです。

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しんちゃん

総社長尾氏 (2025/02/02 訪問)

蒼海城は上野国府跡の周辺に築かれていたとされます。現在は開発が進んで、雰囲気はだいぶ変わってしまったのではないでしょうか。長尾氏らしき武者のレリーフのある神社の近くに「御陵神社と長尾氏由緒」と表題のついた案内板があります。
永享元年(1429)上野国守護代・総社長尾氏の長尾忠房によって築かれたとされています。

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しんちゃん

松陰先生寓奇処 静岡県下田市 (2025/02/01 訪問)

唐人お吉が身を投げたお吉ヶ淵から南西に程なく行ったところに温泉情緒漂う街並みがあり、そこに松陰先生寓奇処があります。
嘉永7年(1854)3月18日、米国のペリー一行を負って吉田松陰・金子重輔は下田に到着し岡村屋に宿泊しました。当時皮膚病を患っていた松陰は温泉での治療のために蓮台寺を訪れ、地元の医師・村山行馬郎と知り合い、しばらく村山邸にごやっかいになったとのことです。
二階の松陰先生隠れの間も見学することが出来、ここで米艦にいかにして便乗してやろうか思案を巡らしている松陰さんの姿を想像しました。付近には松陰先生湯治場の看板がかかった家屋があります。

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しんちゃん

対面石八幡神社 (2025/02/01 訪問)

静岡県清水町の八幡神社には源頼朝と義経が対面を果たした際に腰かけたとされる対面石があります。治承4年(1180)10月、富士川の合戦の為に頼朝は出陣し、この地で奥州より駆けつけてきた義経と涙ながらに対面を果たしたとのことです。
近くの智方神社には後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王の御陵があります。なぜ鎌倉から離れたこの地に?とは思いますが神妙にお参りしてきました。

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しんちゃん

付加価値古戦場 (2024/09/16 訪問)

瀬戸川館跡は現状公園で案内板と「史跡伊達成実陣地瀬戸川館趾」の石碑が立っています。城址としては見るべきところは、ほとんどありませんが天正13年11月17日に伊達政宗と佐竹・蘆名らの連合軍が戦った人取橋合戦の際に伊達成実の陣地になっています。

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ぴーかる

転送したら写真全滅だった件

 イオさんの投稿を拝読して写真全滅になってしまった事、心中わたしもよく分かります。超へこみますよね。
 私は撮影したSDカードを原始的なのですがパソコンを通して大容量のUSBにコピーして編集しています。昨年和歌山の投稿の時からパソコンの調子が悪く、城廻りを終えて、帰宅後に写真を転送編集しようとSDカードを挿した瞬間、パソコン表示に「デバイスが・・・・」と出て、SDカードを害して中の写真がアクセス出来なくなってしまって、結局全滅の憂き目に。昨年夏に和歌山の時と、実は年末の将軍山城の2日目、先日鳥取県の市場城・会下城他に行った時の合計3回全滅してしまって、これはもう無理~となり、先週パソコンを買い換えました。
 近場だったらまだ再訪できますが、百・続百名城の残りが遠方ばかりとなったので、これで写真消えたらマジ泣く(>_<)ってなります。
予期せぬ不具合、操作ミス、気を付けたいです。

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チェブ

空堀散歩。 (2025/01/04 訪問)

「臼井城」の後、印旛沼を渡り「師戸城」へ。
「師戸城」は「臼井城」の支城です。
「臼井城」は近くのお寺を案内したナビ。「師戸城」は『千葉県立印旛沼公園』の入口で案内を終了しました。
公園入口から駐車場への坂道は、土塁横を登っているような雰囲気です。
1月4日、誰もいないかと思ったら駐車場の半分位、埋まってました。
駐車場から右方向に進みます。
途中、土塁だーと方向変換。もう、縄張り関係なく歩く通常進軍。
途中、橋から空堀を眺めると、堀底が散策路として整備されているのを見ました。では、堀底を歩こうと堀底入口(?)を探します。

印旛沼が見えます。グーグルで印旛沼を見たら不自然な形です。
眺めていても不自然な形は確認できません。
昔の人は空から見ていないのに『琵琶湖』が琵琶の形をしていると、なぜ分かったのだろう?
小さな印旛沼の形も分からないのに。
家族連れが遊んでいて、おばちゃん1人、仁王立ちで印旛沼を眺めていたら怖かろうと思い移動。

堀底入口(?)を見つけ、土塁上からの攻撃を想像しながら、右左に交わしながら進軍しました。

駐車場には自販機もあります。
真冬なのに、冷たい飲み物を選ぶほど、静かにはしゃいでしまった「師戸城」攻めでした。

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