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栃木西方城

にしかた子ども夏まつり2025に栃木市文化課文化財係西方城グループも参加します!! (2025/08/04 訪問)

栃木県にある西方町の地域と文化を楽しみ、ふれあえる交流の機会として、にしかた子ども夏まつり2025が今年も開催いたします。
栃木市文化課文化財係西方城グループも“西方城”にちなんだ企画をたくさんご用意して参加いたします🎐
また、その他わくわくするイベントが盛りだくさん!!城びとの皆さま、城びとの情報を見てくださった方々、夏まつりを一緒に楽しみましょう‼ぜひお越しください。

イベント名  にしかた子ども夏まつり2025
開催日時 令和7年8月23日(土)15:00~
開催場所 関東ホーチキにしかた体育館(栃木市西方総合文化体育館) 栃木県栃木市西方町本郷1705-1/
TEL0282-92-0866
主催   にしかた子ども夏まつり実行委員会
共催   お問い合わせ:西方地域づくり推進課
            公民館係(公民館担当)
            栃木市西方町本城1 
     TEL0282-92-0316/FAX0282-92-2879
URL https://www.city.tochigi.lg.jp/site/tourism/81258.html

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ぴょん

残念ながら富士山は見えず (2025/08/03 訪問)

唐沢山城へ行ってきました。
本丸(神社)への道中、猫と風鈴に癒されながら景色も良かったですが富士山見えなかったのでまた行きたいです。

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トク

【赤色立体地図かるた】 (2022/07/13 訪問)

西郷も 落とせぬ縄張り 熊本城
(さいごうも おとせぬなわばり くまもとじょう)

1877年(明治10年)、士族の不満を訴えるべく薩摩で挙兵した「西郷隆盛」は、まず九州鎮台「谷千城」が守る熊本城を攻めます。西南の役の始まりです。最初は城全体を包囲し一斉に突破しようと試みます。しかし、連続桝形・49の櫓・18の櫓門とそれらを囲む白川・坪井川があり、城へは容易に近づく事すらできません。ならば今度は、弱点とにらんだ西側に攻撃を集中し攻めようと試みます。しかし加藤清正は270年前の築城時に、西側が弱点である事にすでに気づいていました。それゆえそこに宇土櫓を築き、20mの大堀と60もの鉄砲狭間を持つ長塀を築き、さらに西出丸をも築きました。清正が「ここを落とすには100日はかかるであろう」と豪語したほどの、完璧な縄張りです。

西郷は攻めあぐね、確かに52日たっても落とす事ができません。その時、官軍の援軍が南下し迫ってきたとの知らせを受け、全軍を「田原坂」に移動させ、そこで迎え撃つ事にしました。しかし、輸入したばかりの最新鋭の銃や大砲で装備された援軍に、旧式の銃や大砲と刀では太刀打ちできず、ここで致命的な大敗を喫してしまいます。薩軍はもはや薩摩へ撤退せざるをえませんでした。この時西郷は、こう言い残したそうです。

 おいどんは
 官軍に負けたとじゃなか
 清正公に負けたとでごわす

もし西郷が熊本城を落とし、逆にここで100日間籠城していたら、全国の不平不満士族たちがその間に立ち上がり、状況は変わったかもしれません(ネバたらですが)。宇土櫓は、2032年に復旧する予定です。私はぜひその時に西側にある二の丸からもう一度、西郷が眺めた景色と同じ景色を、眺めてみたいと思っています。
 

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2018/12/02 訪問)

街道を 見渡す要衝 国吉城
(かいどうを みわたすようしょう くによしじょう)

本丸から見渡すと、国吉城が若狭国を東西に走る街道を掌握する要衝に築かれていることがよくわかります。

尾根沿いに 五段の曲輪 国吉城
(おねぞいに ごだんのくるわ くによしじょう)

国吉城の赤色立体地図かるたでは、北西尾根の五段の連郭曲輪群がひとつの目印になりそうだな、ということで。
 

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

雲海に 浮かぶ備中 松山城
(うんかいに うかぶびっちゅう まつやまじょう)

かるたに竹田城も越前大野城もないのでオーソドックスに。
まだ雲海は見てないのですが見てみたいです。
ここは猫城主や現存天守、石垣が有名ですがその先、大松山方面にも行っておきたい城です。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2023/10/09 訪問)

「カキツバタ 堀で植栽 安田城(かきつばた ほりでしょくさい やすだじょう)」

安田城の特徴のひとつに水堀があります。しかし,スイレンの繁茂により腐植土や地下茎が問題となっていました。令和4年度より本格改修を開始し,令和5年度からはカキツバタの植栽試験も開始しました。試験は数年かけて行うそうです。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/10/12 訪問)

「朝霧に 萌ゆる跳ね出し 人吉城(あさぎりに もゆるはねだし ひとよしじょう)」

この日は朝霧に包まれていましたが,時間とともに消えていきました。帰宅していろいろ調べてみたら,人吉盆地と球磨川が関係しているとのこと。しかも,年間100日以上も朝霧が発生するそうです。たまたまではなかったということと,当たり前に向き合ってきた情景だったんだな…と,知識を深めることができました。

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【赤色立体地図かるた】 (2024/11/30 訪問)

「光秀の 技の冴えみる 周山城」 (みつひでの わざのさえみる しゅうざんじょう)

明智光秀が築城した総石垣の山城。残存状態がよく光秀の築城技術をみることができる城です。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2015/10/22 訪問)

「本丸は 数えてニノ丸 増山城(ほんまるは かぞえてにのまる ますやまじょう)」
城下町から近い順で「一ノ丸」「二ノ丸」「三ノ丸」と呼ばれるようになったという説があるようです。だから一番守りの堅い「ニノ丸」が実際の「本丸」に当たるようです。自由だな・・
城域はメチャ広いですが、内まわり道(林道増山城跡線)より外側の亀山城、孫次郎砦は佐々成政時代に拡張されたようです。
上杉謙信が「如何ニも手堅相抱候間」と書状に書いた増山城は道の内側になりますが、これだけでも十分バリカタです。

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しんちゃん

京都防御の城だったのだけど (2013/09/07 訪問)

淀城は宇治川・桂川の合流点に近い川中島に築かれ、伏見城の廃城に伴い、それに代わる京都防御の役割を担わされたものとされています。元和9年、松平定綱は徳川秀忠の命により淀入部を命じられ、城郭は寛永2年(1625)にほぼ完成したとされます。
本丸の北に二の丸を配し、その周囲を内堀で巡らし、西丸と三丸の周囲を外堀で護っていました。多くの櫓を備え、北と西側には揚水用の水軍が設けられていたようです。
寛永10年に永井尚政が10万石で入って以来、多くの大名が6万石で入りましたが、鳥羽伏見の戦いで敗走する幕府軍を城内に入れず、官軍の勝利に貢献してしまったようです。
訪問時、天守台が立ち入り禁止だったために天守台の穴蔵を見ていません。

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にのまる

『香川元太郎 日本の城イラスト原画展』

昨日、日比谷図書文化館で開催中の『香川元太郎 日本の城イラスト原画展』に行ってきました。

行ったことのあるお城も多く、
「ここからここまで歩いたなぁ」(鳥取城)
「この石垣を見に行ったんだ」(芥川山城)
「ここに石垣があるんだよね」(岡山城)
「こんなにすごいお城なんだもん。きつかったはずだよ」(飯盛城)
「るの門はここ」(姫路城)
「駅はこっち」(上田城)
「東横インはこのあたり」(松本城)
「ここの石垣工事してた」(名古屋城)
「行ったばっかり!うれしい」(首里城)
などなど、訪問当時のことを思い出しながら一枚一枚夢中で鑑賞しました。

古地図、城絵図のほか、香川氏が中学生時代に撮影された写真アルバムや製作過程の解説、使用道具などの展示もあり、気づけば2時間近く会場にいました。

これまでも、そしてこれからもずっと、お城めぐりに欠かせない、そしてお城めぐりを何倍も楽しいものにさせていただける作品の数々。
もう新しい作品に出会えないのが残念でなりませんが、日本各地のお城でまたお目にかかれること、大きな夢が見られることを楽しみに城旅を続けたいと思います。

最後にガチャガチャで高知城と名古屋城をゲットしました🏯

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

西国の 御仏見守る 観音寺城
(さいごくの みほとけみまもる かんのんじじょう)

ここも城びと参加前の登城なので「行った」になっていません。
西国三十三観音のひとつ、観音寺があります。
石垣が素敵なのでまた行きたい城です。
ちなみに香川の観音寺はかんおんじと読みます。

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チェブ

【赤色立体地図かるた】

「石垣山 後で寄ってね 鎧塚」
(いしがきやま あとでよってね よろいづか)

赤い城さんの、奥様が求めるスイーツ店が『ヨロイヅカファーム』です。
まさかのスイーツかぶりとは、笑ってしまいました。

ぴーかるさん、尼子十旗、十砦コンプリートおめでとうございます。お疲れ様でした。
江戸満喫旅の投稿で、東京の端っこ編を期待していまし
たよ(^^)
涼しくなるまで投稿を待ってますね。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

脇本城 見下ろす荒波 日本海
(わきもとじょう みおろすあらなみ にほんかい)

訪問時は梅雨時季で波も穏やかでしたが(靄で見渡せず)近くの名所ゴジラ岩とか見ると冬の波の荒さが想像できます。
関東在住時に東北の城もっと行っておけば良かった、と後悔してます。
熊も怖いですが。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2018/11/23 訪問)

「中山道 木曽川監視す 苗木城(なかせんどう きそがわかんしす なえぎじょう)」

詳細は謎に包まれた苗木城。ただ,木曽路に続く中山道の陸路と,木曽川の水路を監視するには絶妙な立地。巨岩も謳いたかったのですが,五七五に仕上げるにはどちらかを選択するしかありませんでした。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

畝堀に 蛙飛び込む 河村城
(うねぼりに かわずとびこむ かわむらじょう)

訪問した時、畝堀に水が溜まり蛙のたまごを発見しました。
実際に蛙が飛び込む姿は見てませんがなんとなく。
久しく行ってないのでここもまた行きたい城です。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2018/11/24 訪問)

「圧巻の 石垣迷宮 高取城(あっかんの いしがきめいきゅう たかとりじょう)」

編集部の「アソビ心」にさらに「アソビ心」を付加します。高取城と鷹取城の上五の句が同一だったら,中七勝負となり,とても盛り上がるな…と。上五の句を詠み,今まで以上に間をおいて中七の句を詠み上げる。詠み手も楽しいだろうなぁ…と考えました。いかがでしょうか…?

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

石垣山城 我は城址に 妻スイーツに
(いしがきやまじょう われはじょうしに つますいーつに)

相方は城に興味無く、旅行で城行く際には大体どこかで待機してもらってます。
その点ここは目の前に・・・。
もちろん帰りにかまぼこ買います。

ぴーかるさん、尼子十旗に続き十砦もコンプリート、おめでとうございます。
地元なのになかなか行けないですが行く際にはレポート参考にいたします✨

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「圧巻の 畝状竪堀 鷹取城(あっかんの うねじょうたてぼり たかとりじょう)」

今回のかるたの「アソビ心」は,わずか50城の中に「たかとりじょう」が2つ。取り札は地形なので,しっかり地形の特徴を読み札に反映させないといけないな…と思いました。全くノーチェックの城でしたが,todo94さんをはじめとする先人の方たちの投稿を拝見し,「畝状竪堀」を謳わずして何を謳うと思い,この五七五となりました。未訪ながら僭越ですが…。

※ぴーかるさん,尼子十旗&尼子十砦コンプリート,大変におめでとうございます。山陰地方はうといので,その大変さがわかりませんが…。

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しんちゃん

明智光秀が最後に拠った城。 (2013/09/07 訪問)

永禄11年(1568)三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城が信長方の攻撃を受けました。さらに信長が大軍を率いて攻略に乗り出すと降伏・開城し、その後 勝龍寺城は細川藤孝に与えられました。天正6年(1578)8月に細川忠興と明智光秀の娘・お玉の結婚が行われ、ここでは二人の子宝に恵まれたようです。藤孝が丹後に移った後は矢部家定と猪子高就が城主になりますが本能寺の変の後に明智光秀に奪われました。光秀が山崎の戦いで敗走した後は、一次勝龍寺城に拠り、その後坂本城を目指して落ち延びている最中に落ち武者狩りに合い命を落としたとされています。

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