「岩盤を 活かした築り 獅子ヶ城」(がんばんを いかしたつくり ししがじょう)
7年前山城サミットin安来大会後九州北部4泊5日で廻りました、余湖図コレクションの岩盤を活かした造りの鳥瞰図と3の丸まで車で行けるとの情報にて是非訪ねたいと探訪城にピックアップ初登城しました。
駐車場から見上げるそそに獅子を感じ、岩盤そのままの2の丸、石垣も残って居り、感激興奮の探訪でした。
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2025/08/10 15:19
【赤色立体地図かるた】 (2018/09/27 訪問)
「岩盤を 活かした築り 獅子ヶ城」(がんばんを いかしたつくり ししがじょう)
7年前山城サミットin安来大会後九州北部4泊5日で廻りました、余湖図コレクションの岩盤を活かした造りの鳥瞰図と3の丸まで車で行けるとの情報にて是非訪ねたいと探訪城にピックアップ初登城しました。
駐車場から見上げるそそに獅子を感じ、岩盤そのままの2の丸、石垣も残って居り、感激興奮の探訪でした。
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2025/08/10 14:44
【赤色立体地図かるた】 (2013/12/15 訪問)
「謙信の 心を奪った 七尾城(けんしんの こころをうばった ななおじょう)」
「漂わす 守護の品格 七尾城(ただよわす しゅごのひんかく ななおじょう)」
とりあえず二発いきます。
朝田さん早いな~ 謙信公は譲れないってやつですか・・ちょっとかぶったかな。。
上杉謙信が9月13日に陣中で作った漢詩があります。
霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
このときの謙信の気分を一言で表すと「ひゃっはー」ではないでしょうか・・もしくは「ひゃっほー」超ハイテンションです!
三行目は「越中・越後に併せて能登の景色をも得たぞ」と読むのでしょか。
四行目の遮莫(さもあらばあれ)は「もはやどうでもよい」といった意味らしいです。あの謙信が春日山のことを「どうでもいい」と言っているんですね、一時的に気分が高まったからとはいえ、びっくりです。
確かに、七尾城からの日本海と能登半島を見渡す絶景も、気品高く積まれた石垣も(技術がまだ発達してなかったからだけど)春日山城には無い物です。
山城とはいえ、守護の城だけあって実用性に加え風格まで備えていたのではと思います。
「段だ壇 石垣重なる 七尾城(ダンダダン いしがきかさなる ななおじょう)」だんだだんだんだだんだんだだん・・・・
※一つ目の内容を 掴んだ→奪った に修正。ますますカブってしまう気がするけど、一時とはいえ謙信公の心をわし掴みにした絶景は破壊力ありますわ。
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2025/08/10 12:40
2025/08/10 10:56
三田氏がミタ (2015/12/29 訪問)
勝沼城は三田氏の居城でしたが、北条氏によって三田氏が滅ぼされてからは北条氏照の管轄となり、師岡将景が置かれました。豊臣秀吉の小田原攻めの後は廃城になったと考えられています。この小田原攻めですが、気分によって小田原征伐と使い分けています。
また本丸 / 主郭 / 本曲輪などの区別も、案内板や周囲にどのように呼称されているかによって使い分けています。
主郭だと二郭・三郭・郭ですが本丸 / 本曲輪だと二の丸・三の丸・曲輪と書くことが多いです。畝状竪堀などにしてもそうだけど、そこはガチガチに決まりを作るより、ある程度自由で良いのではないでしょうか?
勝沼城は 主郭の他にニ郭・三郭があり、他にも郭がありますが、堀切の写真が見当たりません。これは捲土重来したいところです。
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2025/08/10 10:34
フルネーム付城郭 (2015/08/30 訪問)
福島正則は元和5年(1619)広島55万石から高井野4万5千石に移封され、寛永元年(1624)7月13日、堀之内館で64歳で亡くなりました。
64歳と言うのは、おそらく「数え」で、死没は現在の暦だと8月26日になります。
豊臣家の滅亡後、すぐに家康公が亡くなり、少し自暴自棄になっていた気がします。場府から見ても危険な人物と思われていたのではないでしょうか。豊臣家と懇意だったり、いさかいを起こした徳川の旗本の首をしつこく要求したり・・はたから見てもヤバイよね。
館跡は通称「福島正則屋敷跡」で通っています。フルネームで登録されているのはここぐらいじゃ、ないかしら。
かつては103m×70mの郭の周囲に土塁や空堀を巡らせていたようですが、現在残されている石垣は高井寺の改修によるものらしいです。
他にも、小布施町の岩松院の「霊廟」と高山村の「荼毘所跡」も訪れています。ここでも幕府の検死を待たずに遺体を火葬したとして福島家は改易になってしまっています。まるで遺志の疎通が取れていませんが、幕府もかなり陰湿ですね。
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2025/08/09 22:05
【赤色立体地図かるた】 (2025/01/06 訪問)
「内枡形に 石垣が整列 烏山城(うちますがたに いしがきがせいれつ からすやまじょう)」
烏山城のシンボルと言えば、七曲りを登った先の吹貫門脇石垣ですが、その先の本丸を守る内枡形にも石垣が残っています。
烏山城は続百名城にも引けを取らない名城だと思います。近代まで使われた城で、大給城など同じく山城の行きついた形の一つだと思っています。
大砲が進化して行けば、平城の石垣も水堀も攻撃を防ぐ手段にはなりえず、城は無用の長物になってしまいます。山城であれば、大砲の運用は限られるので、江戸以降の城で、山城という選択肢は逆に「アリ」だと思います。
「車橋 コロで撤収 烏山城(くるまばし ころでてっしゅう からすやまじょう)」
「内枡形が 攻め手を阻む 烏山城」
「内枡形は R90(×2) 烏山城(うちますがたは あーるきゅうじゅう(かけに) からすやまじょう)」
最後のは自分でもなんだかな・・と思います。
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2025/08/09 21:54
浅野城 (2025/08/09 訪問)
愛知県一宮市にある浅野長勝、浅野長政父子の屋敷跡です。 城びとには未登録です。浅野長勝には子が無く、安井重継の子長吉と妻の兄である木下(杉原)定利の娘ねねとややを養女に迎えました。ねねは藤吉郎〔豊臣秀吉〕へ嫁ぎ、ややは長吉(長政)を婿養子し浅野家を継ぎました。
浅野公園として整備されています。水路は堀のあとでしょうか。土塁跡のような場所もありました。
浅野長勝の屋敷跡と伝わる場所は愛知県内に3カ所ありますが、そのひとつです。
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2025/08/09 21:25
【赤色立体地図かるた】
倭の国を 防人守る 金田城
(わのくにを さきもりまもる かねたのき)
ここも未訪です。
西日本各地には古代山城が多く築かれ、朝鮮半島への備えとなっていました。
白村江の戦い以降、九州各地に防人が置かれたそうです。
ほとんどが東国から派遣されたそうで今で言う単身赴任なのかな?
海は死にますか〜♪
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2025/08/09 20:32
【赤色立体地図かるた】
切支丹 大村の城 玖島城
(きりしたん おおむらのしろ くしまじょう)
ここも未訪です。
結構リアして来ましたがまだまだいい城たくさん残っています。
再訪したい城も多いしどうしましょう。
皆さんのレポートで行った気になるのも良いですがやっぱりいかなきゃ、と。
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2025/08/09 20:15
【赤色立体地図かるた】 (2017/05/03 訪問)
「城山は 桜の楽園 三戸城(しろやまは さくらのらくえん さんのへじょう)」
城山と言っても、実際はにのまるさんの投稿にもあるように、標高130m 比高90mの河岸段丘なので、平山城のイメージの方が強いですが、当地でも単に「城山」と呼ばれる場合も有ったようなので、城山で書かせていただきました。
桜の名所で、多くの人で賑わっていました。史実に即さないとして、模擬天守は文部省から将来的に撤去を求められていますが、桜だけではこれだけ多くの人は集まらないかもしれません。日本人・・というより 人は何か理由をつけて城に集まりたがるのかもしれません。
「人集う 天守と桜 三戸城」
周囲は切り立った天然の切岸で、石垣はあまり見当たりませんが、綱御門の周辺は異なります。城内で最も防御の堅い場所で武者溜も備えています。
「綱御門 守りの要 三戸城」
物見であった「ベコの鼻」でも一句行きたい所だけど、訪問してないし。
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2025/08/09 19:52
ありがとうございます。
にのまるさん、祝辞ありがとうございます🐤尊敬なんてとんでもない、お恥ずかしい限りです(ペコリ)。
関西人なので本当はもっと面白い、笑かす文章を書きたいのですが、あまりひねりのない文章になってしまいます。わたしは城びと入会前、鳥越城で城びとのチラシを取って、サイトを見てみたら皆様のレベルの高さに「凄すぎて俺にはついていけないな。」と思って入会までに半年ほど間がありました。今から思うと、知識なんか全然関係なく、お城好きっていう共通の気持ちだけでよかったのに、変な敷居の高さを感じていました。入った当初もすでに居られた諸先輩方の真似で必死についていく感じでしたね。好きこそものの上手なれで、何とか自分スタイルというものが出来つつあります。また奈良県佐味城のように行けなくて困った時に、城びとの同朋方が助けてくれるというありがたさ、嬉しい限りです。
にのまるさんは今、18きっぷで帰省中ですか。18きっぷも複数人で使えなくなったり、連続してしか使えなくなったりして、制約が増えて昔のように気ままに旅することができなくなっちゃいましたね。お気を付けて城巡り帰省楽しんで😊
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2025/08/09 19:22
【赤色立体地図かるた】
山の中 石垣圧倒 高取城
(やまのなか いしがきあっとう たかとりじょう)
訪問は城びと登録前なので「行った」にしていない城のひとつです。
もちろん再訪したい意思も強い城です。
あんなに山の中なのにしっかり積まれた石垣に圧倒された記憶が残っています。
そこそこ経験も重ねてきたので改めて見たいな、と思っています。
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2025/08/09 19:00
【赤色立体地図かるた】
山原の 石のウェーブ 今帰仁城
(やんばるの いしのうぇーぶ なきじんじょう)
何故か写真が消えてました💧
前回行ったのは夜のライトアップだったので明るい時に行きたい。
沖縄は讃岐からも直行便あるし・・・
いつになるかはわかりません。
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2025/08/09 18:40
【赤色立体地図かるた】
勝山館 あれは上ノ国 遥か蝦夷よ♪
(かつやまだて あれはかみのくに はるかえぞよ♪)
未訪です。
こちら原曲はサザンの神の島遥か国です。
讃岐からの北海道直行便はないので岡山空港からになるのかな。
金銭的にも遥か国ですが一度は行かないと、と思ってます。
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2025/08/09 17:46
聖徳寺跡(織田信長と斎藤道三の会見の場所) (2025/08/09 訪問)
織田信長と斎藤道三の会見が行われたと伝わる聖徳寺跡(愛知県一宮市)へ行って来ました。寺はなく石碑と説明板がありました。
うつけな姿でやってくる信長を小屋に隠れて見る道三。三間半の朱槍と多くの鉄砲に驚く道三。会見には正装で現れる信長。別れた後、「まことに無念なことである。この山城の子たちがあのたわけの門外に馬をつなぐことはまちがいないだろう」と嘆く道三。織田信長のドラマにはよく出てくる名場面のひとつです。
聖徳寺は跡形もないことは知っていましたが、一度は訪れてみたかったので行ってきました。
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2025/08/09 17:24
2025/08/09 14:34
にのまるさん、お返事ありがとうございます。
電車で帰られてるのですね。まさか地元が山口だとは。下関はいろいろ見る所が多いです。赤間神宮や長府毛利邸13日には海峡花火大会、海響館もリニューアルされましたなどなど。また、帰りの途中に行かれたお城の投稿楽しみにしてます。暑い日が続きますが、無理せず城たびを楽しみましょう。
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2025/08/09 13:35
お返事ありがとうございます
とても丁寧に、お返事を頂き感激しました、凄すぎて、鳥肌が。読みながら、参考になるところが沢山有りました。行きたい所以外も考えられてるのですね。時間があれば行ってみたい所も設定して行った方が良いですね。今までは、ここに行くと言う感じだけだったので。山城には行ってみたいのですが、今熊があちこちで目撃されてるので、どうしても、100名城とかが先になってしまいます。今までのノートは保管されてるのか、保管されてるのであれば、何冊あるのかとか気になってしまいました。長くなりましたが、まだまだ暑い日が続きますが、身体には気を付けて城たびを楽しみましょう。
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2025/08/09 12:06
【赤色立体地図かるた】 (2009/06/11 訪問)
① 「岡城の 見所一つ かまぼこ石塁」(おかじょうの みどころひとつ かまぼこるい)
② 「廉太郎 佇む岡城 青紅葉」(れんたろう たたずむおかじょう あおもみじ)
16年前に九州宮崎大分の城探訪の折り岡城を訪ねました、時期は6月で楓、桜は青々と茂り、桜と紅葉と違った趣を醸し堪能しました、二の丸には荒城の月の作曲家滝廉太郎の像が有り、曲を口ずさみながらの城郭探訪でした。
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2025/08/09 11:38
建勲神社 (2016/02/20 訪問)
枕草子に「岡は船岡。片岡。鞆岡は、笹の生ひたるが、をかしきなり。談の岡。人見の岡。」とあるそうな・・「生ひたる」は成長したを示すそうです。笹好きですか?
いとも雅な感じがしますが、舟岡山の伝承はいずれも血生臭いです。応仁の乱の頃から、陣所として使われたり、それ以前にも火葬場となったり処刑場だったりしたそうです。この山から見える景色が最後の光景になるわけね・・五山の送り火が良く見えるらしい。
舟岡山には織田信長を祭る「建勲神社」があります。織田信長は愛知県が誇る三英傑の中では、唯一本当の意味で「天下」を取っていない人物です。正直、畿内を制しただけで「天下」って、全然ピンと来ないんですよ。
そもそも本人が一番納得していないと思いますね・・光秀~~💢💢💢
イオさんの投稿にある横堀を見に行きたいですね。捲土重来・・したいなあ。
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