吉野ヶ里から鳥栖を経由して久留米に移動。
現在、本丸跡は篠山神社の境内となっており、全域が神域となっている。
かつて7つもの三重櫓が建っており、古写真を見ると非常に壮観。櫓は失われたものの、その土台となっていた高石垣は圧巻の迫力!
この石垣だけでも訪れる価値がある。
駅西側の日輪寺には、久留米城の唯一の現存遺構である二ノ丸乾門が山門として残っている。
また、櫛原口跡は道が昔のまま鉤の手になっていて、歴史を感じることができる。
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2026/03/24 01:57
佐賀・福岡の名城巡り③ (2026/03/17 訪問)
吉野ヶ里から鳥栖を経由して久留米に移動。
現在、本丸跡は篠山神社の境内となっており、全域が神域となっている。
かつて7つもの三重櫓が建っており、古写真を見ると非常に壮観。櫓は失われたものの、その土台となっていた高石垣は圧巻の迫力!
この石垣だけでも訪れる価値がある。
駅西側の日輪寺には、久留米城の唯一の現存遺構である二ノ丸乾門が山門として残っている。
また、櫛原口跡は道が昔のまま鉤の手になっていて、歴史を感じることができる。
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2025/12/29 22:11
20171220久留米城(福岡県久留米市) (2017/12/20 訪問)
何度も近くを通っていたが、こんな立派な石垣が残っているとは…
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2025/09/07 17:28
2025/08/31 11:23
小早川秀包 (2014/01/07 訪問)
これも古い写真になりますが久留米城の投稿です。本丸跡に篠山神社が建てられ周囲には高石垣が残っています。天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定後に小早川秀包が13万石で入り、近世城郭に改修されました。関ヶ原の合戦で秀包は西軍についたため改易となり、筑後32万5千石に封じられた田中吉政は柳川城に入り、久留米城は慶長20年の一国一城令により一旦、廃城になりました。
田中氏が無嗣子改易となった後、有馬豊氏が21万石で入り、久留米城に改修を施し居城としました。二度目の改修も大規模なものだったようで、秀包時代の久留米城も見てみたい気がします。
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| 城地種類 | 梯郭式平山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 永正年間(1504〜1521) |
| 築城者 | 不明 |
| 主要城主 | 毛利氏、田中氏、有馬氏 |
| 文化財史跡区分 | 県史跡(久留米城跡) |
| 近年の主な復元・整備 | 毛利秀包、有馬豊氏 |
| 天守の現況・形態 | 層塔型三階櫓(巽櫓)[3重3階/1620年頃築/破却(廃城令)] |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀) |
| 住所 | 福岡県久留米市篠山町 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 久留米市市民文化部文化財保護課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0942-30-9225 |