(続き)
翌朝、まだ暗いうちから起き出して朝食前に三之丸へ。この日の撮影はスマホだけが頼りです。三之丸は堀之内とも呼ばれるように四方を外堀(二之丸石垣の麓は内堀)で囲まれ、北御門と東御門が設けられていました。江戸中期には藩主御殿が二之丸から移され、藩政の中心となったほか、重臣の屋敷も建てられましたが、明治には陸軍の管轄となり、現在は城山公園(堀之内地区)として整備されています。
まず東御門を起点に外堀をたどってみましょう。東御門は失われているものの、櫓台と石垣は一部遺されています。外堀南東隅から振り返ると、外堀越しに天守群と本丸の櫓群が見えます。麓から天守を仰ぎ見ることができる城下町っていいなぁ。「松山や秋より高き天主閣」正岡子規の句が思い出されます(初夏ですが)。白鳥が泳ぐ外堀を眺めつつ南辺から南西隅で折れて西辺をたどり北西隅へ。北西隅には札の辻があったようで石碑が立てられていました。北辺の外堀は北御門跡までで、その先は埋め立てられています。
北御門跡から三之丸に入り、今度は土塁の上を歩きます。土塁上から見下ろすと外堀の水面までなかなかの高さ(約5m)があります。市民の格好の散歩道なのか、午前6時前後ながら土塁上で幾人もの人とすれ違いました。さすがは松山城。そして土塁上をたどって東御門に戻りました。
城山公園(堀之内地区)の北半分は令和9年完成予定で整備工事中でしたが、案内看板によれば、北御門の立体・平面表示や北御門東側の土塁の立体表示、武家屋敷の間取りの平面表示など、発掘調査の成果に基づきかつての姿を感じられるように整備されるようなので、完成後にぜひまた訪れたいものです。
…ということで、見事な高石垣といい、見応えある天守群といい、カメラ破損の傷心を癒してくれた登り石垣といい、さすが日本三大平山城に数えられるに相応しい素晴らしい名城でした。搦手側にも二之丸にも行けませんでしたし(ついでに100名城スタンプも押し忘れ)、整備後の三之丸も見てみたいので再訪はもちろんですが、次回は「?」の付かない「とことん松山城」でめぐってみたいものです。
> しんちゃんさん
カメラ破損のお見舞いありがとうございます。…といっても4か月遅れの投稿なので、いつぞやのカメラ派?スマホ派?の頃の話なんですけどね。保証期間はとうに過ぎていましたが、修理対応期間内だったためレンズ部分を交換して復活し、今も元気に活躍してくれています。それにしても、カメラを破損した時は城めぐりを続ける気力を失うほどに凹みましたが、登り石垣ひとつで気力を回復させるあたり、それ相応には城キチなんでしょうなぁ(笑)
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