日本100名城 現存12天守

まつやまじょう

松山城

愛媛県松山市

別名 : 金亀城、勝山城
旧国名 : 伊予

投稿する
松山城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トク

㉛【関ケ原の26人】(15)加藤嘉明 (松山城:城攻め) (2023/03/11 訪問)

(15人目)「加藤嘉明」(松山城)の続きです。

私が松山城でいちばんおもしろくて好きな所は、城攻めの気分を味わいながら登城できる所です。 さあ攻める気持ちになり大手門からいざスタートします! 門をくぐると真正面に天守が見えるので、(行け~!)と勢いよくそのまままっすぐ進むと行き止まり(あれ?)。振り返ると戸の無い門(戸無門)があり、なんだ~ここからなら簡単に入れるではないか(それ~!)と思って門をくぐると、次の筒井門が閉まっている。(あれ?どうしよう?)立ち止まって考えていると横に隠れた門があり(隠門)そこから敵兵がいきなり出てきて囲まれてしまいます(しまった!これは罠だ~!と気づいた時にはもう遅い😩)。応戦している間に筒井門の上の狭間から鉄砲を撃ちかけられ、半分はここで討死するでしょう。さらに運よく筒井門を突破し中に入っても(またもあれ?)次の入口(太鼓門)が見当たりません(実は右奥の見えない位置にあります)。(次の門はどこだろう?)立ち止まって探している内に、正面の筒井門続櫓と右側の隠門続櫓の狭間が一斉に開き鉄砲で撃たれて袋のねずみです。この時点でほぼ全滅でしょう(無念じゃ~)。私も天守までたどり着く前にここで討死してしまいました(笑)。嘉明様お見事です!😊(写真①~⑤)。

【余談】道後温泉と鯛めし
夜は「湯築城」のすぐ横にある「道後温泉」に宿泊してゆっくり夏目漱石や正岡子規の気分で疲れをいやし、風呂上りに名物の「鯛めし」を食べてみました(写真⑥)。新鮮な天然鯛の切身をごはんの上に乗せ、だしのきいた醤油に生たまごをといてかけ、のりと薬味をのせて食べると、うわ~最高!これめちゃ美味しかったです😋。

次は(16人目)に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

㉚【関ケ原の26人】(15)加藤嘉明 (加藤嘉明と松山城) (2023/03/11 訪問)

(15人目)は「加藤嘉明」です。
関ケ原当時の居城は「正木城」でしたが、関ケ原後の居城「松山城」を訪れてきました。

松山城へはJR松山駅前から伊予鉄路面電車で道後温泉行に乗って大街道で下車し徒歩5分、そこからロープウェイまたはリフトで登ります。乗り場の前では加藤嘉明の銅像が出迎えてくれます。さすが賤ケ岳七本槍! 凛々しい顔ですね~(写真①②③)

私の好きな景色はここです。天守最上階から本丸越しに松山市街を眺めた景色です(写真⑦)。しかし、この日は晴れていたのですがあいにく黄砂が多く、全体的にもやがかかったような感じで見通しが悪かったのでちょっと残念でした。

加藤嘉明の関ケ原での陣跡は残っていませんが、おそらく細川忠興と徳川家康の中間に位置し、石田三成を攻めていたのではないかと思われています。しかしなぜか?あまり積極的に前へ出て手柄を立てたような記録はありません(理由は不明です)。関ケ原の最中、毛利輝元の別動隊が伊予を攻め、正木城の家臣たちがよく食い止めていたようです。それらの功績で、伊予正木の6万石から伊予半国20万石に加増され、1602年に松山城の築城を開始します。嘉明の松山城は五重の天守を持つ城だったようです。しかし完成間近の1627年に会津40石へ加増転封。嘉明の時に完成を見る事はありませんでした。

1784年松平氏の時に天守は落雷火災で焼失。幕末(ペリー来航の頃)の1854年に三重の天守で再建され、その天守が今でも現存しています(よって現存12天守の中では最も新しい)。嘉明の築いた五重の天守の詳細な記録はありません。いったいどんな天守だったのでしょうか?(写真④スタンプはここ料金所前、記念撮影スポットです)。

【余談】本丸まで登りのどが渇いたら、そこにある水道の蛇口をひねってみて下さい。水ではなく、みかんジュースが出てきます(本当です!😲)。でも有料です(笑😊)(写真⑧)。

次は(松山城)を攻めてみます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Maho

松山城 (2022/11/16 訪問)

何回行っても飽きない☺️地元最高‼︎
紅葉の季節に行った際の写真です。

+ 続きを読む

城とマスク

桜満開松山城 (2022/03/29 訪問)

今年の3月に伊予松山城に行きました。行きはロープウェイで登り帰りは散歩しながら帰りました。お城を見学してから一休みに伊予柑ソフトクリームを食べました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

加藤嘉明が築城を開始し、松平氏の時代になって完成。勝山山上を削平し三重三階地下一階の層塔型天守を築き、小天守と隅櫓などと連立式天守を構成している。高石垣を何度も屈折させ、その上に敵を迎撃するための太鼓櫓を設けるなど、高い防御性を誇る。

イベント情報

  • 2023年03月24日(金)~2023年03月26日(日)

    松山城

    お堀で お花見 CAR de BAR!

    松山城の堀之内にキッチンカーが集まり、開放感たっぷりの屋外ビアガーデンイベントを開催。夜景百選に選ばれた松山城を眺めながら、お花見と音楽とグルメを満喫できます。3月25日(土)18:30からスカイランタンを打ち上げる「桜ランタン祭りin城山公園」も同時開催します。開催期間:3月24日(金)~26日(日)10:00~21:00(ラストオーダー20:30、月曜休館)入場料:無料(飲食費は有料)

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 加藤嘉明
主要城主 加藤氏、松平(久松)氏
文化財史跡区分 国重要文化財(大天守、野原櫓・乾櫓・隠門続櫓等櫓6棟、戸無門・隠門・紫竹門・一ノ門等門7棟、筋鉄門東塀等塀7棟)、国史跡(松山城跡)
近年の主な復元・整備 松平勝善
天守の現況・形態 型式不明[5重?/1602年頃築・1642年改/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階地下1階/1854年再/現存]
主な関連施設 小天守、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、太鼓櫓、筒井門、太鼓門、乾門、艮門東続櫓等、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、横堀
住所 愛媛県松山市丸の内
問い合わせ先 松山市観光産業振興課
問い合わせ先電話番号 089-948-6556