日本100名城 現存12天守

まつやまじょう

松山城

愛媛県松山市

別名 : 金亀城、勝山城
旧国名 : 伊予

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松山城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/11/03 訪問)

愛媛+α城廻:第三日
※湯築城と共に登城、前日松山市内泊

何度目かの松山城、今回はリフトなど使わず大手門跡から黒門口道を登って登城。途中早速人懐っこい猫が出迎えてくれて挨拶したら「にゃ~ん!」と返事が。後ろ髪をひかれながら戸無門、筒井門(隠門)、太鼓門を経て本丸へ。開城の9時前だったが20人くらい並んでいた。開城時には後ろにさらに何十人も・・・、さすが人気のお城
連立式天守はぐるりと回ることができ、江戸時代のままの柱や床などは残存天守ならでは!野原櫓(中は入れませんでした)や乾門もチェックして、登り石垣のある県庁裏道から下城しました
見どころ満載なので、たっぷり時間を取っておくことをお勧めします

【本日の行程は以下の通り】
8:00黒門口~戸無門へ登城
 松山城(百名城スタンプは切符売り場横 9:00-17:00無休)
10:30(下城)県庁裏道(登石垣見学)
11:07県庁前(市電)、11:19道後公園駅
 (徒歩1分)湯築城資料館(百名城スタンプは館内 9:00-17:00無休、無料)
13:00道後公園(市電)、13:20,13:32大手町駅(伊予鉄)、13:51高浜
(徒歩10分)14:15松山観光(フェリー)、16:10呉中央桟橋ターミナル
 (徒歩7分)大和ミュージアム(9:00-18:00火休,祝翌休)
18:02呉(JR)、18:47広島
 泊:広島市内

※松山から広島のフェリーは豪華な内装、座り心地良い椅子でした
 直接広島港行けますが、大和ミュージアムに立ち寄りたかったので呉港で途中下船
 大和ミュージアムおすすめです、1/10サイズの模型やゼロ戦も見どころですが、海底に沈んだままの大和の映像もおもしろい。それに何といっても戦争への警鐘を改めて感じることができました

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トク

松山の番組紹介とミュージアムと鯛めし (2024/09/05 訪問)

松山城の続きです。今度はその他情報ですいません。

NHKで明日9月8日より毎週日曜夜11時から「坂の上の雲」という番組が全26回(3月まで)で放送されます。17年くらい前にあった番組の再放送なのですが、時代は武士の世が終わり明治の近代国家へと進む日本の話です。冒頭(第1話)は、松山城で子供の頃の「秋山真之」と「正岡子規」が遊ぶシーンから始まります。二人が松山城で花火を上げいたずらをするシーンはちょっと笑えます。第3話からは「夏目漱石」なども登場してきます。全体的には日露戦争へと続く物語なので、回を追うごとに少しずつ内容に抵抗を感じる方もおられるかとは思いますが、第1話の廃藩置県直後の松山城がどんな様子だったのか、そのシーンだけでも見られたらおもしろいかと思います。主役の本木雅弘さん・香川照之さん・阿部寛さんのユーモアや、若い頃の管野美穂さん・松たか子さん・石原さとみさんのシャイな演技もちょっといいです。今回訪れた時、松山の街ではいたる所でこの「坂の上の雲」の看板やポスターが貼られているのを見かけました。伊予鉄電車の中もポスターがいっぱいで、地元はそうとう盛り上がっているなと感じました。私も前回見た時はとても元気をもらった番組なので、この再放送は松山を元気づけるためにNHKが企画したのではないかと思いました。

松山城で私は、その番組冒頭で(好古・真之・子規)の三人が写真を撮っている(写真⑤)場所がどこか探しました。でもどこかわかりません。そこで切符売場の係りの方に訪ねると、現在立ち入り禁止の良門から天守を見上げた場所だそうです(写真⑥)。自分も同じ場所から同じポーズでかっこよく撮ってみたかったのですが残念です。

松山城の前には、その「坂の上の雲ミュージアム」があります(写真①②)。松山城の登城口「大街道」電停の前です。また道後温泉には「正岡子規記念館」もあります(写真④)。私も今回両方見学してきました。松山城を訪れた際には、もしお時間があれば立ち寄っていただきたい場所です。

以上、松山に関する紹介でした。
(NHKにあっぱれ!😊)


【余談】松山名物「鯛めし」
松山と言ったら、この鯛めしが私は大好きです。帰りにロープウェイ下の「もとやま」でいただきました(写真⑨)。ここオススメです。地ビールも一緒にいただきます。まず刺身は贅沢に大盛りで注文しました(身のきれいなぷりぷりした天然鯛です。ごはんも無料でおかわりできますので二杯楽しめます)。そしてまず刺身をご飯の上にのせ、地たまごをだし醤油で溶き、ねぎなどの薬味やわさびを入れそれを上からぶっかけると、もう言葉にならない程おいしかったです😋(写真⑩)。
 

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トク

松山城の豪雨被害の状況を見てきました (2024/09/05 訪問)

松山城は豪雨による崖崩れ(2024.07.12)あれからまもなく2カ月が経ち、さらにまた台風10号による豪雨もあったので、ふと気になりJRとフェリーを乗り継ぎ訪問してきました。

松山城に到着後まず登れるようになった天守へ! 太鼓門から見上げる威風堂々とした現存天守はいつ見ても感動します(写真①)。そして天守の最上階から河野氏の湯築城を眺めます(写真②中央の小さな木々の丘が湯築城で、そのすぐ左が道後温泉です)。湯築城に籠り松山城の築城を妨害する河野氏を牽制するために、加藤嘉明は天守をこの向きにしたそうです。

そしてここから本題へ入ります。まず崩落現場を天守から見下ろしてみました(写真③)。下に見える良門櫓の右(木と木の切れ目)が崩落場所なのですが、ここからは思った程よく見えませんでした(この下は立ち入り禁止なので近づけません)。ならば次は切符売場の横から覗いてみました。ここからは左の太鼓門からだけでなく右へ良門櫓から天守へ登城する道もあったのですが、そこは危険なため立ち入り禁止になっていました。よって崩落現場の真上までは行けませんでした。そこで売り場横からできる限り近く行ける所まで行き覗いてみました。崩落上部にはビニールシートがかけられ、斜面には崩落防止のネットが張られています(写真④⑤)。ごっそりと土が削られ斜面がほぼ垂直になっていて、何やらとても恐怖に感じました。自然の力は本当に恐ろしいものです。

切符売場の係りの方に聞くと、わざわざ古図で説明してくれました(ありがとうございます)。昔は斜面の途中に池があったそうです(という事は地下水が流れ出ていた)。たぶんそのためそこから下の地盤が弱く、先にそこが崩れ始め(写真⑥のA)、それによって少し時間をおいて上(写真⑥のB)が耐えきれず崩れ落ちたとの事です。ボーリング調査で立入禁止区域以外の登城路は安全性が確認されているので、皆さん安心して登城されて下さいとの事でした。私はこれ以上崩れないようにと、神様・仏様・嘉明様にお願いしました(写真⑦)。

今度はロープウェイの下(大街道)から北へ10分程歩いた住宅地の中、崩落場所の崖の下に行ってみました。重機で更地にされているこの一帯には以前数件の住宅があり、そこに住んでいた3名の方が亡くなられました(写真⑧⑨)。本当に悲惨としか言いようがありません。これ以上近づく事ができず、下から見上げてみましたが、杉の木で崖はよく見えませんでした。この杉の木の向こうには高さ100mの巨大な崩落した崖があります。これをどうやって補強するのでしょうか? おそらく鉄筋で壁を作ってセメントを流し込みながら固めてたりしていくのではないかと推測しますが、でもそうすると城の景観が悪くなってしまわないかと心配です。でもぐずぐずしていると、崩落がさらに大きくなって現存天守に影響が出たり、下に住んでいる方々に再度被害が出てはもっと大変です。城を管理している松山市(役所)には、これ以上被害が大きくならないよう、かつ景観に配慮しながら何とかがんばってほしいと思います。また住民との補償交渉も始まったようで、真摯に向き合ってほしいと思います。

さらに係りの方に、今回の台風10号での被害はなかったのか聞いてみると、南堀端(市役所前)の石積が、長さ10mに渡って崩落したとの事なので行ってみました。確かに崩落があり、「通行注意」の看板がありました(写真⑩)。電車通り沿い市役所前の歩道で人通りも多い場所なので、注意してほしいと思います。

以上、被害状況の報告でした。
(きばれ松山!😠)
  

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トク

松山城営業再開と直後の昨日の地震(2024.08.09)

松山城が営業を再開したようです。最初は少なくとも一カ月はかかると見られていましたが、ボーリング調査などにより安全性が確認されたため、前倒しして再開したとの事です。中では、立ち入り禁止エリアが設けられているなど、規制箇所があるようなので登城される方は十分に注意されてほしいと思います(ニュース映像より抜粋①②)。しかし背景には、観光客がSTOPした事により地元経済が相当落ち込んだようで、松山市はお盆休みを前に無理やり再開を急いだのでは?とちょっと個人的に懸念しています。

そう思っていた矢先の昨日、福岡も緊急地震速報が鳴り響き少し揺れを感じました。松山城も今の所は被害の報告はないようですが、あの斜面の状態から、もし今地震が起きたら・・・と私は最もそれを恐れていたので、とりあえずは今は何もなくホッとしています。南海トラフとの関連や、今後余震が無い事を祈ります。また被害のあった宮崎の方々にはお見舞い申し上げます。

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概要

加藤嘉明が築城を開始し、松平氏の時代になって完成。勝山山上を削平し三重三階地下一階の層塔型天守を築き、小天守と隅櫓などと連立式天守を構成している。高石垣を何度も屈折させ、その上に敵を迎撃するための太鼓櫓を設けるなど、高い防御性を誇る。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 加藤嘉明
主要城主 加藤氏、松平(久松)氏
文化財史跡区分 国重要文化財(大天守、野原櫓・乾櫓・隠門続櫓等櫓6棟、戸無門・隠門・紫竹門・一ノ門等門7棟、筋鉄門東塀等塀7棟)、国史跡(松山城跡)
近年の主な復元・整備 松平勝善
天守の現況・形態 型式不明[5重?/1602年頃築・1642年改/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階地下1階/1854年再/現存]
主な関連施設 小天守、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、太鼓櫓、筒井門、太鼓門、乾門、艮門東続櫓等、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、横堀
住所 愛媛県松山市丸の内
問い合わせ先 松山市観光産業振興課
問い合わせ先電話番号 089-948-6556