日本100名城 現存12天守

まつやまじょう

松山城

愛媛県松山市

別名 : 金亀城、勝山城
旧国名 : 伊予

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松山城
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イオ

とことん?松山城(三之丸) (2025/05/18 訪問)

(続き)

翌朝、まだ暗いうちから起き出して朝食前に三之丸へ。この日の撮影はスマホだけが頼りです。三之丸は堀之内とも呼ばれるように四方を外堀(二之丸石垣の麓は内堀)で囲まれ、北御門と東御門が設けられていました。江戸中期には藩主御殿が二之丸から移され、藩政の中心となったほか、重臣の屋敷も建てられましたが、明治には陸軍の管轄となり、現在は城山公園(堀之内地区)として整備されています。

まず東御門を起点に外堀をたどってみましょう。東御門は失われているものの、櫓台と石垣は一部遺されています。外堀南東隅から振り返ると、外堀越しに天守群と本丸の櫓群が見えます。麓から天守を仰ぎ見ることができる城下町っていいなぁ。「松山や秋より高き天主閣」正岡子規の句が思い出されます(初夏ですが)。白鳥が泳ぐ外堀を眺めつつ南辺から南西隅で折れて西辺をたどり北西隅へ。北西隅には札の辻があったようで石碑が立てられていました。北辺の外堀は北御門跡までで、その先は埋め立てられています。

北御門跡から三之丸に入り、今度は土塁の上を歩きます。土塁上から見下ろすと外堀の水面までなかなかの高さ(約5m)があります。市民の格好の散歩道なのか、午前6時前後ながら土塁上で幾人もの人とすれ違いました。さすがは松山城。そして土塁上をたどって東御門に戻りました。

城山公園(堀之内地区)の北半分は令和9年完成予定で整備工事中でしたが、案内看板によれば、北御門の立体・平面表示や北御門東側の土塁の立体表示、武家屋敷の間取りの平面表示など、発掘調査の成果に基づきかつての姿を感じられるように整備されるようなので、完成後にぜひまた訪れたいものです。

…ということで、見事な高石垣といい、見応えある天守群といい、カメラ破損の傷心を癒してくれた登り石垣といい、さすが日本三大平山城に数えられるに相応しい素晴らしい名城でした。搦手側にも二之丸にも行けませんでしたし(ついでに100名城スタンプも押し忘れ)、整備後の三之丸も見てみたいので再訪はもちろんですが、次回は「?」の付かない「とことん松山城」でめぐってみたいものです。


> しんちゃんさん

カメラ破損のお見舞いありがとうございます。…といっても4か月遅れの投稿なので、いつぞやのカメラ派?スマホ派?の頃の話なんですけどね。保証期間はとうに過ぎていましたが、修理対応期間内だったためレンズ部分を交換して復活し、今も元気に活躍してくれています。それにしても、カメラを破損した時は城めぐりを続ける気力を失うほどに凹みましたが、登り石垣ひとつで気力を回復させるあたり、それ相応には城キチなんでしょうなぁ(笑)
 

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イオ

とことん?松山城(黒門口登城道~県庁裏登城道) (2025/05/17 訪問)

(続き)

ホテルにチェックインすると、夕食までは自由時間です。他の面々は風呂に入ったりゆっくりしたりするようですが、せっかく徒歩圏内のホテルなのに松山城に行かない手はありません。さすがに搦手側を探索する時間はなさそうなので、二之丸に行くことにしました。

三之丸から見上げると石垣の上に二之丸が、さらにその上には本壇の天守群と本丸の櫓群が覗いています。三之丸を抜けて黒門へ。黒門口登城道は往時の大手道で、かつては櫓門だったようです。黒門から入って左に折れ、突き当りの左側が栂門です。さらに3度の折れを経てたどり着く槻門は城内最大の石垣の上にかつては二重2階の巨大な櫓門が築かれていました。

槻門の先の分岐から左は本丸への大手道、右は二之丸史跡庭園に続いています。右側に坂を上って行くと見えてくる二之丸多聞が史跡庭園への入口になっている…はずですが、門は閉ざされ「本日の入園時間は終了しました」の表示が。あれ? 17時までじゃなかったっけ!? どうやら閉園は17時でも入園は16時30分までだったようです。なんてこったい…。

やむなく分岐まで戻って大手道のほうに向かうと、今度は「樹木伐採作業のため通行止め」の立て看板が。期間の日付を見てみると5月17日から…って今日からやん! とりあえずもう少し先まで行けるようなので、二之丸の四脚門を横目に進んで行くと、近世城郭の大手道とは思えないような細く曲がりくねった山道になり、どこで通行止めになるのかな…と思っているうちに本丸の大手門に着いてしまいました。作業に入っている様子はなく、この日の早朝は大荒れの天候だったために作業開始が延期されたんでしょうね。

さて、二之丸には入れず、思いがけず本丸まで来てしまったので、こうなったら時間の許す限り搦手側を見てやろう! と先ほどよりずいぶんと人が少なくなった本丸の写真を取りつつ太鼓門をくぐったところで、ストラップが千切れてカメラが落下しレンズ部分を破損…。あまりのショックに搦手側どころか城めぐりを続ける気力も失って、修理できるのかな…買い替えるしかないのかな…などと呆然と県庁裏登城道を下っていると、目の前に本丸へと続く登り石垣が! 県庁裏登城道から見られるということを思い返す余裕すら失っていましたが、何とかこの登り石垣を、この感動を写真に残したい、と普段は城めぐりの写真には使わないスマホで撮影しつつ下山しホテルに戻りました(続く)。

当初の目的の二之丸に入れなかったり、黒門口登城道も通行止め…と思ったら本丸まで着いてしまったり、カメラを破損したりと想定外のことばかりでしたが、カメラ破損の沈んだ気分を一気に引き上げてくれた登り石垣のことは一生忘れないと思います。

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イオ

とことん?松山城(天守群) (2025/05/17 訪問)

(続き)

加藤嘉明が建てた天守は五重だったとされますが、松平定行が三重3階の層塔型天守に改修しています。小天守をはじめとする他の天守群は不審火で焼失したのを戦後に木造復元したものながら、再建から50年を経て国有形文化財にも登録され、違和感なく連立式天守群を構成しています。

本来は玄関多門櫓が天守群への入口でしたが、現在は大天守地階の穴蔵から入城します。大天守1階から内門の櫓部分を通り、玄関多門櫓の武者走りを抜けて北隅櫓へ。2階に上がってみると狭間や突き上げ窓が天守枡形や搦手側に狙いを定めています。南隅櫓に続く十間廊下の東辺には加藤嘉明や松平定行ら歴代城主の鎧兜、久松松平氏に伝わる刀槍が展示され、西辺の狭間には火縄銃体験コーナーが設けられていました。南隅櫓の2階には上がれませんでしたが、階段のある南西隅には狭間と石落としが見られます。多聞櫓を抜けると小天守に至ります。小天守南東隅の石落としは他と違って床板が開けられています。小天守2階からは大手側を見渡すことができ、着見櫓と呼ばれていたのも納得です。さらに一ノ門の枡形や天守枡形をも眼下に収め、まさに本壇防衛の要衝ですね。そして小天守から筋金門の櫓部分を通って大天守へ。

大天守1階の外周は武者走り、内側は敷居と鴨居で区画された居室になっていて、居室は棹縁天井で畳を敷ける造りになっています。層塔型天守のため2階も1階とほぼ同じ構造ながら、武者走りの幅が狭くなり、四方に狭間を備えた破風があるところが異なっています。居室には床の間も設けられていました。3階も同様の構造ですが、四方に開けた窓からは360度遮るもののない眺望が広がっています! 東は午前中に訪れた湯築城(と道後温泉)、西は眼下の天守枡形越しに搦手側、南は眼下の小天守越しに大手側と山麓の官庁街を見渡し、大いに見応えがありました。
 
さて、本壇を出た後は紫竹門から搦手側に行きたいところでしたが、他の面々は天守群を見学し終えると当然のようにロープウェイ駅に行ってしまったので、搦手側はまたの機会にしてリフトで下山し、大街道近くのホテルに向かいました(続く)。
 

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イオ

とことん?松山城(本壇) (2025/05/17 訪問)

(続き)

天守群を見上げつつ、券売所から本壇に入ります。左に小天守、右に一ノ門南櫓を従えた大天守は松山城の定番ショット(城びとの松山城の写真もそうですね)。ついに目にすることができました。一ノ門を抜けた先は二ノ門との間の枡形、三ノ門を抜けた先は筋金門との間の枡形になっていて、それぞれ小天守や大天守から狙われているのを感じます。筋金門をくぐると四方を連立式天守群に囲まれた枡形が広がり、ここまで何とかたどり着けたとしても、ここで殲滅されるのは間違いなさそうです。

天守群に入城する前にもう少し本壇を探索します。内門を出た先は仕切門との間の枡形になっていて、内門と玄関多門櫓から狙われています。二ノ門から三ノ門に向かっても仕切門に向かっても枡形が待ち受けているわけですね。仕切門の外、本壇北東隅には天神櫓が復元されています。菅原道真を祖と仰ぐ久松松平氏が鬼門の守りとして祀ったものなんだとか。

さて、天神櫓で引き返して天守枡形に戻ると、いよいよ天守群に入城です(続く)。

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概要

加藤嘉明が築城を開始し、松平氏の時代になって完成。勝山山上を削平し三重三階地下一階の層塔型天守を築き、小天守と隅櫓などと連立式天守を構成している。高石垣を何度も屈折させ、その上に敵を迎撃するための太鼓櫓を設けるなど、高い防御性を誇る。

イベント情報

  • 2025年10月25日(土)~2025年10月25日(土)

    松山城

    地域観光チャレンジツアー「松山城だけじゃない!松山城郭探訪ツアー」【PR】

    地域資源をもとにした観光を通じて四国の地域振興を図るため、四国の4国立大学とJR四国が連携して取り組んでいる「地域観光チャレンジ」プログラムで、高知大学の城郭班が企画したツアー。お城好きの学生が松山城を、松山観光ボランティアガイドが湯築城跡ガイドします。 開催日:10月25日(土) 最少催行人員:10名(1グループ限定) 参加費:14,000円(昼食つき)

    • 会場名松山城ほか
    • お問い合わせJR四国ツアー TEL:087-825-1677 メールアドレス:warp@jr-shikoku.co.jp
    • URLhttps://www.jr-eki.com/index.html

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 加藤嘉明
主要城主 加藤氏、松平(久松)氏
文化財史跡区分 国重要文化財(大天守、野原櫓・乾櫓・隠門続櫓等櫓6棟、戸無門・隠門・紫竹門・一ノ門等門7棟、筋鉄門東塀等塀7棟)、国史跡(松山城跡)
近年の主な復元・整備 松平勝善
天守の現況・形態 型式不明[5重?/1602年頃築・1642年改/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階地下1階/1854年再/現存]
主な関連施設 小天守、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、太鼓櫓、筒井門、太鼓門、乾門、艮門東続櫓等、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、横堀
住所 愛媛県松山市丸の内
問い合わせ先 松山市観光産業振興課
問い合わせ先電話番号 089-948-6556