日本100名城 現存12天守

びっちゅうまつやまじょう

備中松山城

岡山県高梁市

別名 : 高梁城
旧国名 : 備中

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備中松山城
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侍ホリタン

2022年秋、紅葉の名城を訪ねて① (2022/11/12 訪問)

昨年も同時期に訪問しましたが10日ほど早かったので紅葉はまだでした。本日は紅葉が見ごろで雲海も見れてラッキーでした。天守へは雲海展望台から遊歩道利用で約1.5キロ、約30分で到着できます。

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ニコ・ロビン

備中( ・᷄ㅂ・᷅ )松山 (2017/10/19 訪問)

リベンジ( ・᷄ㅂ・᷅ )2回目
天空の城…もう少し雲欲しかったな
次も勝負!

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ヒロケン

大松山 (2022/08/18 訪問)

備中松山城の大松山は臥牛山で最初にお城が築かれた場所で、臥牛山の最高峰480mに築かれた中世の城郭です。中世の城郭としては大規模なもので、鎌倉時代から戦国時代にかけて使用されたお城です。松山は、大松山、小松山、天神丸山、前山という4つの峰を持ち、曲輪が7段にわたって築かれており、堀切も見られます。相畑城戸跡は、昭和30年代まで人家があったと言われており、人家に伴う石垣なども見られますが、遺構としては石積みや井戸、土塁などが残っています。大松山で土塁が確認できるのは、この相畑城戸跡だけです。また、大池と呼ばれる周りを石垣で囲った池は、かつて「血の池」とも呼ばれており、敵方の首を洗ったとも血の付いた刀を洗ったとも、言い伝えが残っている池です。池が石垣で囲われた珍しい池で山城で貴重な水場であったと考えられています。

最初この地に城を築いたのは、秋葉重信で現在の高梁市一帯の地頭です。もと相模の国の武士で1221年の後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して兵を挙げた承久の乱の軍功で、この地の地頭になりました。
その後は、高橋氏、秋葉氏、上野氏などと続き、1521年頃から台頭してきた三村氏が、大松山を拠点に備中に覇を唱え、大松山から天神丸山、小松山などに曲輪群を広げ、山麓に居館にあたる御根小屋も置かれました。三村氏は備中兵乱を経て滅亡。その後の城主は前回備中松山城で挙げた通りです。

今回、大松山に訪問し、「朝田辰兵衛さん」の投稿にあった「蚊が執拗に体当たり攻撃」に自分もやられました((+_+))本当に木橋を過ぎた辺りから侵入を拒むかの様に、蚊なのか小蠅なのか分かりませんが体当たり攻撃を受け、たじろき一時水の手門跡まで撤退(>_<)、意を決して再度チャレンジ。再度執拗な攻撃を受けましたが、たじろく事無く突き進み、結局木橋付近侵入から一通りの見学を終え、木橋を出るまでストーカーの如く付きまとわれました。おかげで切通し及び番所跡の見学をすっかり忘れてしまい、次回は冬の時期に行こうと考えています。

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ヒロケン

さんじゅーろー様 (2022/08/18 訪問)

「天空の山城」とも称される備中松山城は岡山県高梁市の北、標高440m臥牛山山頂から山麓にかけて、全長約1.8kmにわたり築かれた巨大な山城です。山上には北から大松山、天神の丸、相畑の城戸、小松山、中と下の太鼓の丸の各曲輪が築かれています。山麓にも馬酔木の丸と呼ばれる出丸と備中松山藩の政庁が置かれた御根古屋があります。

現存する天守は、2層2階で西面に半地下のようにして附櫓が付属する複合式望楼型天守です。現在は西面に付属する付櫓に開けられた出入り口から入れますが、当初は八の平櫓から渡櫓を経て天守へ至りました。また天守に通じる階段は、敵の侵入を遅らせるため直角に曲げられています。外観は建物高さが11mで現存する12天守の中では最も小規模ですが、12天守の中では最も高所にあります。

1617年池田長幸公が6万3千石で立藩しますが。2代長常公に跡継ぎがなく没したため池田家は廃絶。翌1642年に水谷勝隆公が5万石で入封。2代勝宗公は天守建造など3年に渡り大修築を行い、現在の姿にしています。しかし3代勝美公も跡継ぎがなく1693年に死去。その養子となった勝晴公も13歳で死去したため、水谷家も断絶しました。断絶後は「赤穂浪士」で有名な赤穂藩主浅野内匠頭長矩公が城の受け取にあたり。家老大石内蔵助が城番を務めました。その後、安藤家・石川家に引き継がれましたが、最終的には板倉家が5万石で入封し、8代続き明治維新を迎えています。

備中松山城へは、幾度となく訪れていますが、今回の目的は臥牛山山頂にある大松山に行くことと、城主さんじゅーろー様にお目通りする事(#^^#)。大松山には行ったことがなく、皆さんの投稿を見て訪問するチャンスを伺っていました。これまでは、小松山の石垣群と現存天守・現存櫓で満足していたため、大松山には行かず仕舞いとなっていました。今回の投稿は、小松山とさんじゅ-ろー様のみですが、次回の投稿で大松山を紹介したいと考えています。
今回の小松山訪問ではさんじゅーろー様にお目通りが叶い、10分程独り占めすることが出来、大変満足しています(#^^#)

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概要

13世紀中頃に築かれた山城を、江戸時代に小堀氏が近世城郭へと大改修。標高430mの小松山山頂に建つ二重二階の天守は日本で最も高所に位置し、山城に現存する唯一の天守でもある。階段状に配された曲輪は強固な高石垣を防御線とし、なかでも大手門跡北側の岩盤上に築かれた高石垣が目を引く。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 仁治元年(1240)
築城者 秋庭重信
主要城主 秋庭氏、上野氏、庄氏、三村氏、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏
文化財史跡区分 国重要文化財(天守、二重櫓、土塀)、国史跡(備中松山城跡)、県史跡(備中松山城御根小屋跡)
近年の主な復元・整備 高橋宗康、三村元親、水谷勝宗
天守の現況・形態 複合式望楼型[2重2階/1600年頃築?・1681年改/現存]
主な関連施設 櫓、門、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、櫓、石垣、土塁、塀
住所 岡山県高梁市内山下1
問い合わせ先 備中松山城
問い合わせ先電話番号 0866-22-1487