しっかり登って山城を体感できる城。
石垣も天守も城主も最高です!
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2025/06/29 10:12
2025/05/22 23:35
2025/03/18 07:04
大松山城 岡山県高梁市 (2025/02/23 訪問)
備中松山城は小松山城とも呼ばれ、元々は中世の山城。
備中兵乱後に毛利氏の支配となり、近世城郭へ改修されました。
元はさらに奥、秋葉三郎重信により築かれた大松山城より始まります。
小松山城の背後、土橋と呼ばれる堀切を過ぎて進むと相畑城戸跡に着きます。
備中兵乱の古戦場といわれ、広場のようになっています。
さらに進むと天神の丸跡、臥牛山の最高所にあたります。
堀切を通り進んで行くと大松山城への分岐に着きますがまずは大池へ。
水は無く発掘調査中でした。
なので石積もしっかり見学できます。
ここで首や刀を洗ったと伝えられ、「血の池」とも呼ばれています。
大池の先を下ると展望台方面への吊り橋に。
雲海が望める展望台に続いています。
今回は渡らず左に進み切通と番所跡を見学して引き返しました。
ようやく大松山城へ。
説明板を読んで進むと井戸があります。
右手に主郭、二郭との間には浅くなった堀切があります。
二郭と三郭の間には明確に分かる堀切が残り、この堀切は発掘調査により箱堀状だったとのこと。
その先はさらに段になって曲輪が続いています。
皆さんのレポートにあるように夏の登城は厳しいかもしれませんが是非ここまで足を伸ばして欲しいです。
【見どころ】
・相畑城戸跡
・天神の丸の堀切
・大池
・大松山城の曲輪と堀切
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2025/03/17 07:01
久しぶりの登城 (2025/02/23 訪問)
前回の登城は2009年8月、まだスタンプラリー目的の頃でした。
なので現存天守を見て終わり、改めて行きたいと思っていました。
城まちステーションのある城見橋公園駐車場に車を置きます。
平日はさらに登ったふいご峠駐車場まで行けますが土日祝はここまで。
有料のシャトルバスもありますがもちろん徒歩で登りました。
途中、山肌を見ると竪堀っぽい凹んだ部分もあります。
竪堀なのか自然地形なのか崩れた跡なのか・・・。
ピンクリボンもあるので竪堀だと信じて登ります。
20分くらいでふいご峠駐車場に着きました。
まずは下太鼓の丸跡を見学します
根古屋と天守の中間地点にあり、太鼓の音を中継する通信施設でもあったとされています。
段になった曲輪があり、石垣も施されています。
一息入れてさらに登ります。
大手門から三の丸に入り腰曲輪へ。
ここから大手門の枡形が良く分かります。
枡形で足を止め、ここから狙い撃ち。
想像しながらさらに二の丸を経て本丸に着きました。
久しぶりなので天守内も見学しました。
さんじゅーろーもいましたが目もくれず?搦手側に。
こちら側の石垣も素敵でした。
今回は大松山城にも行く計画だったのでさらに進みます。
水の手から先に土橋があり、堀切が切られていました。
これから先は次回のレポートに持ち越します。
【見どころ】
・下太鼓の丸の石垣
・大手門の石垣
・腰曲輪から見下ろす大手門の枡形
・現存天守
・搦手門跡周辺の石垣
・土橋の堀切
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13世紀中頃に築かれた山城を、江戸時代に小堀氏が近世城郭へと大改修。標高430mの小松山山頂に建つ二重二階の天守は日本で最も高所に位置し、山城に現存する唯一の天守でもある。階段状に配された曲輪は強固な高石垣を防御線とし、なかでも大手門跡北側の岩盤上に築かれた高石垣が目を引く。
城地種類 | 連郭式山城 |
---|---|
築城年代 | 仁治元年(1240) |
築城者 | 秋庭重信 |
主要城主 | 秋庭氏、上野氏、庄氏、三村氏、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏 |
文化財史跡区分 | 国重要文化財(天守、二重櫓、土塀)、国史跡(備中松山城跡)、県史跡(備中松山城御根小屋跡) |
近年の主な復元・整備 | 高橋宗康、三村元親、水谷勝宗 |
天守の現況・形態 | 複合式望楼型[2重2階/1600年頃築?・1681年改/現存] |
主な関連施設 | 櫓、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、天守、櫓、石垣、土塁、塀 |
住所 | 岡山県高梁市内山下1 |
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問い合わせ先 | 備中松山城 |
問い合わせ先電話番号 | 0866-22-1487 |