日本100名城 現存12天守

びっちゅうまつやまじょう

備中松山城

岡山県高梁市

別名 : -

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備中松山城
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たかりん

近世三大山城の筆頭格 (2015/10/24 訪問)

現存12天守の中で唯一「山城」に区分され、当然、最高所にある現存天守にもなります。事前に調べたとおり城見橋駐車場に車をとめてシャトルバスで登城口のある、ふいご峠まで移動。徒歩15分ほどの中太鼓櫓あたりから眺望が開け、さらに5分ほど歩いた大手門櫓跡周辺の石垣群は岩盤も巧みに利用して築かれ、凄い威圧感、これだけでもお金とっていいレベルです(笑)。三の丸、二の丸を通って本丸に到着。復元の南御門をくぐると「高さ」という意味では11mで現存最小の二重二階の天守がありました。既存の岩盤を削り出し、そのまま台座にして築かれてます、スゴい…。天守奥につながる二重櫓も現存遺構とのこと。天気も良かったので高梁川沿いに広がる高梁市街も一望できました。

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ティムール

奇跡的に残った山城天守 (2018/03/28 訪問)

備中高梁駅から予約した乗合いタクシーで山の中腹まで行き、そこから徒歩で山道を15分。不便な山頂にあるが故に廃城令による破却を免れた奇跡のお城。堅固な石垣に目を奪われる。こんなところに石垣積むのも天守建てるのもさぞ大変だろうなぁ…。

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■再訪▪城廻りvol.4 備中松山城② (1981/03/01 訪問)


備中松山城の現存土塀の今と昔(昭和56年訪問▪2018.10月再訪)

備中松山城には、現在、シャトルバス終点のふいご峠駐車場から登っていくと大手門の下辺りから真上に真っ白な土塀が見えてきます。
大手門を抜けると正面にながーい土塀が道沿いに続きます。
さらに本丸に入ると、天守裏の二重櫓まで土塀がぐるりとめぐっています。


37年前には、たった2つの土塀しか現存していませんでした。
さて、現存する土塀はどこにあるのでしょうか?

一番有名なのは重要文化財にもなっている大手門を抜けた先にある土塀です。
でも、全部ではなく、ほんの一部分。途中段差になっているところまでです。

もうひとつは、登ってくるとき最初に見えた大手門の真上辺りの厩曲輪にあるカギ型の土塀です。ここもほんの一部分。どこが現存物なのかは写真の解説の中に答えが😊

本丸部分は全て復元されたものです。

お城に行くと必ずといっていいほど土塀がありまが、土塀があるだけで綺麗なお城の雰囲気を醸し出してくれてますね。
たかが土塀、されど土塀ってとこでしょうか。
その中でも現存土塀は数も少なく、とっても貴重なものなんですね。

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再訪▪城廻りvol.4 備中松山城① (1981/03/01 訪問)

本丸復元整備前の様子と現在の本丸です。

(昭和56年3月訪問▪2018.10月再訪)

37年前は天守、二重櫓、土塀2ヵ所の4つの建造物が現存していました。

現在では、平成9年に本丸に五の平櫓、南御門、六の平櫓、東御門、土塀などが古写真や、発掘成果、絵図など、史実に基づき復元されています。

天守は平成13年から2年間かけ、解体修理されています。

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概要

13世紀中頃に築かれた山城を、江戸時代に小堀氏が近世城郭へと大改修。標高430mの小松山山頂に建つ二重二階の天守は日本で最も高所に位置し、山城に現存する唯一の天守でもある。階段状に配された曲輪は強固な高石垣を防御線とし、なかでも大手門跡北側の岩盤上に築かれた高石垣が目を引く。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 延応2年(1240)、慶長10年(1605)ころ、天和元年(1681)
築城者 秋庭重信、小堀遠州(政一)、水谷勝宗
主要城主 秋庭氏、高橋氏、上野氏、庄氏、三村氏、毛利氏、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏
文化財史跡区分 国指定史跡、重要文化財3件
近年の主な復元・整備 平成9年に本丸の復元整備(櫓2基、門4棟、土塀)、平成15年に天守および二重櫓保存修理
天守の現況・形態 層塔型 二重二階 木造(現存)
主な関連施設 御根小屋跡、頼久寺庭園、高梁市歴史美術館、武家屋敷
主な遺構 天守、本丸二重櫓、三の平櫓東土塀、本丸、二の丸、三の丸、石垣
住所 岡山県高梁市内山下1
問い合わせ先 備中松山城
問い合わせ先電話番号 0866-22-1487