備中松山城は小松山城とも呼ばれ、元々は中世の山城。
備中兵乱後に毛利氏の支配となり、近世城郭へ改修されました。
元はさらに奥、秋葉三郎重信により築かれた大松山城より始まります。
小松山城の背後、土橋と呼ばれる堀切を過ぎて進むと相畑城戸跡に着きます。
備中兵乱の古戦場といわれ、広場のようになっています。
さらに進むと天神の丸跡、臥牛山の最高所にあたります。
堀切を通り進んで行くと大松山城への分岐に着きますがまずは大池へ。
水は無く発掘調査中でした。
なので石積もしっかり見学できます。
ここで首や刀を洗ったと伝えられ、「血の池」とも呼ばれています。
大池の先を下ると展望台方面への吊り橋に。
雲海が望める展望台に続いています。
今回は渡らず左に進み切通と番所跡を見学して引き返しました。
ようやく大松山城へ。
説明板を読んで進むと井戸があります。
右手に主郭、二郭との間には浅くなった堀切があります。
二郭と三郭の間には明確に分かる堀切が残り、この堀切は発掘調査により箱堀状だったとのこと。
その先はさらに段になって曲輪が続いています。
皆さんのレポートにあるように夏の登城は厳しいかもしれませんが是非ここまで足を伸ばして欲しいです。
【見どころ】
・相畑城戸跡
・天神の丸の堀切
・大池
・大松山城の曲輪と堀切
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