しらとりじょう

白鳥城

富山県富山市

別名 : 白鳥塁、呉服山城、呉服山陣城
旧国名 : 越中

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本丸より
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しんちゃん

本丸からの眺望 (2025/03/10 訪問)

白鳥城の投稿の続きです。標高145mの山頂とは思えないほど開けていて、この季節でも道路は完璧に除雪がされています。夕方に訪れた守山城は道が雪で閉ざされいて残念な思いをしたので、こうやって訪問できるのは有難いことです。いくら冬用の装備をしたところで、雪が何十センチも積もっていると、人も車も入れません。自然の前では、人はなかなか無力なものです。
今年は冬季の城攻めの経験値を積みたいと思っていたので、奥州・彦根・中国地方・北陸・飛騨を回ったのは良い経験になりました。
呉羽ハイツがすぐ近くに有りますが、城址は非常に良い状態で保存されています。眺望も素晴らしく、多くの人が徒歩や車で城址を訪れています。これは良い環境にありますね。
ちなみに守山城は富山の街並みと立山の絶景が眼前に開けていて、すばらしい眺望ですが、それ以上に夜景が素晴らしいです。横浜・長崎の夜景も綺麗ですが、富山守山城から見る夜景は迫力が違うんですよ。

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しんちゃん

富山攻めの城 (2025/03/10 訪問)

白鳥城の歴史は古く、寿永2年(1183)に源義仲の武将・今井四郎兼平が陣を張ったと記録が残っています。戦国時代に神保長職が上杉氏に備えて富山城の詰城として本格的に築城し、神保氏が上杉氏に降伏すると上杉氏の城となりますが、一揆勢に攻められ落城しています。
後に佐々成政が富山城に入ると、富山城の支城として機能しますが、天正18年(1585)の羽柴秀吉の富山攻めの際には、羽柴軍の陣が置かれました。
比高130mのれっきとした山城ですが、驚くほど開けていて、この時期でも車で城址のすぐ近くまで行くことが出来ます。展望台や東出丸、本丸のいずれからも眺望が素晴らしく晴れの日がお勧めです。駐車場からすぐの所に展望台と城址碑があり、東出丸→三の丸→二の丸→本丸・天守台→西一の丸→西二の丸→西出丸 といった順で訪問しました。
西側の遺構の空堀や土塁も見ごたえがあります。

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おっちゃん

白鳥城址平面図 (2016/12/05 訪問)

現地案内板より抜粋

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昌官忠

2022夏の青春18キップ12日目:白鳥城 (2022/07/31 訪問)

大峪城からの転戦です。城山公園駐車場(36.698247、137.166063)に駐車しました。
ナビが指定したルートは工事中で通行禁止。現地でルートを捜し、呉羽ハイツに向かうルートなら行けることがわかりました。
城山公園駐車場に着いた時、FMとやま呉羽送信所横(駐車場手前)で工事してました。

築城年代は定かではないようですが、古くは1183年(寿永2年)源義仲の部将今井兼平が御服山に陣を張るなど要害として活用されていたようです。
1537年(天正6年)には神保八郎左衛門が居城としていたとも云われるが定かではないようです。
神保氏は越中国中央部に勢力を持った国人で、1543年(天文12年)頃に神通川を越えて富山城を築き、新川郡を支配していた椎名氏と対立していました。
1560年(永禄3年)頃から越後の上杉謙信は圧迫された椎名氏を援助して神保氏を攻め、1562年(永禄5年)神保長職は呉増山に立て籠もってこれに抵抗したが敗れて城を去ったそうです。
1572年(元亀3年)西から攻める一向一揆勢により落城しました。
1578年(天正8年)謙信死後、越中が織田信長の支配に入ると、佐々成政が富山城に入り白鳥城は引き続きその支城となりました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の佐々成政征伐では、秀吉の本陣が白鳥城に置かれ、白鳥城に籠もっていた前田氏の部将岡島一吉は南麓の安田城に出城を築いて移りました。 この頃に現在に残る縄張に改修されたようです。
佐々成政が降伏すると成政は新川一郡に減封となり、砺波・婦負・射水三郡が前田利家に加増されました。
利家は越中三郡を支配するため守山城に前田利長、木舟城に前田秀継、増山城に山崎長鏡、白鳥城に岡島一吉、城生城に青山佐渡を置き、佐々成政に備えたそうです。
1587年(天正15年)佐々成政は肥後に転封となると、1597年(慶長2年)には前田利長が守山城から富山城に移り、岡島一吉は白鳥城から安田城へ移ったそうです。

「FMとやま呉羽送信所」の道路反対側が駐車場で、城山には遊歩道が設けられ公園として整備されています。
西側の階段を登ると「東出丸跡」があり下って少し行くと空堀があり、階段を登ると三の丸跡になります。
三の丸跡の西に二の丸跡があり、間に横堀があります。
本丸下の空堀の横に井戸が残っているようですが、ヤブが凄く確認できません。
本丸には土塁が残り、案内板、平面図看板や「天測点」があり、一段高い土壇は天守台跡のようです。東方に富山の市街地が眺望できます。
本丸の北側に本丸下郭があり、間に横堀があるようですが、ヤブが凄く確認できません。
本丸下郭の北西側の堀切(木橋がついています)の先に北二の丸があり、西側に土塁が確認できます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=安田城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 神保長職
築城年 天文12年(1543)
主な改修者 前田利家
主な城主 神保氏、岡島一吉・片山伊賀(前田氏家臣)
廃城年 慶長年間(1596〜1615)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、土橋
再建造物 石碑、説明板
住所 富山県富山市金屋字笹山割、寺町字城乗、吉作
問い合わせ先 富山県埋蔵文化財センター
問い合わせ先電話番号 076-434-2814