たのじょう

田野城

宮崎県宮崎市

別名 : 借屋原城、仮屋城
旧国名 : 日向

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しんちゃん

堀と土橋が見所 (2025/05/06 訪問)

田野城は松山川に面した丘陵の鼻先に築かれています。対岸の公園からの距離はさほどではありませんが、ここにたどり着くまで田野フィールド(演習林)の中を延々と迂回してこなければならなりません。訪問時は縄張図が無かったので、手探りで回って来ましたが、余湖さんの縄張図がネットから出てくるので、これを参考に散策されると良いと思います。細部に多少の差異はありますが、おおよその配置は合っていると思います。
藪に覆われた登城道を進んでいくと東西の丘陵の中央部分に出るので、まずは東を目指します。尾根上に西から一郭の腰郭、一郭、二郭、三郭が連なっています。腰郭の南側からスロープが付いているので、これを使えば楽に腰郭まで登れます。一郭から三郭の間は大きな堀切で断ちきってあり、それぞれに土橋がかかっています。この堀と土橋はなかなか見事で、この城の見どころだと思います。
三郭の南に腰郭が付いており、三郭の先端あたりまで続いています。その先は藪に覆われ良く見えませんが川が流れている気配を感じます。縄張り図を見ると城址の下側は川に沿って崖が続いているようですが、城内からはそれを確認することは出来ません。

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しんちゃん

主郭東側の堀切と土橋 (2025/05/06 訪問)

田野城は伊東氏48城の一つとされています。訪問時には参考にする資料が無かったので、東側の丘陵の散策のみに留まっています。それだけでもけっこう収穫があったのだけど『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書』を元に余湖さんが作った縄張り図があって、それを見ると東側の縄張りはだいたい合っている。でも西側の遺構もなかなか面白そうなので、訪問される方は東西両方訪れていただきたい。
なかなかハードルの高い城で、「事務所で許可を取る必要がある」「途中から荒れた林道を進む必要がある」「藪に覆われていて、登城道がわかりづらい」といった具合です。

ピークが3つあって、それぞれの頂部に郭が設けられています。西から一つ目が主郭のようで、西側に腰郭を備えています。この腰郭まで、けっこうな急坂をよじ登って行ったのだけど、南へ回り込んでいくと、比較的楽に登れる坂道が付いていました。主郭まで登ると、扁平地があって東に深い堀がかかっています。ここを注意して降りて行き、二つ目の郭を目指します。堀にはかなり大きな土橋がかかっていて、この城の目玉の一つだと思います。

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しんちゃん

【いろいろ大変】伊東48城の一つだが情報が少ない。 (2025/05/06 訪問)

ChatGPT・・悪くないですよ。おかげ様で「しんちゃん村」に、おかしな住民が増えています。事務兄さんもイオさんに感謝していましたよ。ありがた山の熊五郎ですわ。

田野城は宮崎大学演習林「田野フィールド」の敷地内に有り、立入禁止との情報があったので「不発弾」案件を覚悟していました。城郭放浪記さんの記事を見ると、川の対岸に城郭風(たぶん便所)の建物がある公園が有るようなので、そこへ行ってノンアルカクテル(0.00%)でも片手に写真でも撮ろうかなと考えていました。この日は朝から小雨の中での訪城が続いており、那珂城の藪コギでいささか疲れたので、ちょっと楽が出来ると考えていました。
とりあえず、現場まで行ってみる。林道の入口にはチェーンが張ってあります。ここまでは予定通り。・・!近くに事務所が有りますね。こんちわ~・・・ えっ? 入っていい?? おっと、入れちゃったぜ・・。
予定変更。事務所で話をしたら、あっさり中に入れてしまった。まあ、楽して「不発弾」で済ますという発想が俺らしくなかった。どうやら、この城址は俺に微笑みかけてくれているようだ。それもちょっぴり意地の悪い笑顔で。
城址近くまで林道が続いていて、途中分岐が2か所あります。事務所の人の話だと二つ目の分岐までは、最近まで6tトラックが往復していたので、私の車でも大丈夫だろうとのことです。実際、二つ目の分岐までは普通車でも問題ないでしょう(自己責任)。その先はミニ四駆でも無理なので、歩いて行った方が無難です。私は念のため一つ目の分岐の手前に車を置いて進みました。途中、道を間違え少し時間をロスっています。
城址に近づいてくると、丘陵の周囲が水堀のようになっています。進んでいくと城址のある丘陵に渡れそうな場所があるので、そこから入って行き、しばらく藪の道を進んで、左右の丘陵の中心近くまで登って行きます。東側の丘陵部が城址の主要な部分になりますが、西側の丘陵も郭の雰囲気が有るようです。

地形図を見ると城址のある丘陵の北側中央部まで林道が伸びていますが、実際は草で覆われています。帰りは城址東側から北を迂回して戻って来ましたが、とてもお勧めできるルートではありません。現時点では私が登城時に使ったルートで取りつくのが、まだましな方法のようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 清武氏
築城年 文和年間(1352〜1356)
主な城主 清武氏、長倉氏、大寺氏(島津氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 宮崎県宮崎市田野町字借屋原