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chiroru

市民愛の詰まった福知山城 (2025/04/21 訪問)

京都駅から往復「特急はしだて号」で福知山まででかけました、車内は外国人観光客の皆様がたくさんおられましたが、福知山で下車するのはほとんどビジネスマンの方と自分。

駅からは路線バスで向かいほんの数分で、福知山城に到着。
天守閣の建つ場所へ行くまでの道もとてもきれいに手入れされています。

転用石はどこかと探しながらみる石垣は立派でした。市民の皆様の熱意からなる天守もカッコいいです!

帰りは、明智藪や移築城門などに立ち寄りながら徒歩で駅まで戻り福知山を後にしました。

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朝田 辰兵衛

三崎マグロ駅から路線バスにて…🚌 (2025/04/27 訪問)

京急久里浜線の終着駅「三崎口駅」が「三崎マグロ駅」にいじられておりました。
また,油壺温泉が全館営業を終了させたことにより,「油壺温泉」バス停は「油壺」バス停に名称変更。運行便数も激減。
よって,「三41」系統で「シーボニア入口」バス停から歩きました。「油壺」バス停の1つ手前になります。「三41」系統のバスは,「油壺」への進路を避け,西海岸線を進んで行きました。
駅局舎内にある観光案内所からレンタサイクルという選択もアリだと思います。レンタサイクル利用者はかなり見受けました。

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しんちゃん

雇用

イオさん、購買部のお姉さん達2人ともいいですね。九州の「変態城選手権」で心身ともに疲れた私には最高の癒しです。勝手に2人とも「しんちゃん村」購買部で雇用させていただきます。
ところで「戦闘員」様をお持ちでは無いですか?
ムサイおっさんは間に合っているので、キレイなお姉様を希望したいのですが。いやし系も良いですが、いやらし系も捨てがたい。ナウシカさんも良いけどクシャナ様も良いですな。

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ぴーかる

大崎城 (2025/03/08 訪問)

【大崎城】
<駐車場他>大崎城跡駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>主郭・眺望
<感想>転送したら写真全滅だった件、再訪3城目。現地説明板によると大崎城は1581年の羽柴秀吉の因幡侵攻の際に毛利方の陣城として利用されたことがよく知られていますが、当時の城主は諸説ありますが、田公高清といわれています。
 上記駐車場から西に進むと城跡入り口の案内板がありますので分かります。笹藪のトンネルを抜けて通ると登城口があります。登城路も丸太階段があるので難なく登れます。城跡の東最下段の曲輪が展望所になっていて、東方向の鳥取砂丘が遠望できます。砂浜の海岸線の見える眺望も素晴らしいです。東の最下段から西に全部で8段ある連郭の城跡で真ん中の石垣の残る曲輪の奥から梯子を降りていって井戸跡に行けます。だいぶ降りて行かなくてはなりません。2度目の往復はつらかった。さらに落ちたらヤバイ高さ。主郭は土居囲みで南西隅に櫓台の土壇跡が残ります。櫓台横に虎口跡の切り込みがあって西方向に降りれますが、急峻で行くのやめました。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

私は去ったが、タケルはどうした? (2025/05/01 訪問)

皆さんの投稿で車は不向きな事は承知で「笹子城」に向かいました。
私は、高速道路の運転が苦手なうえに、新しい愛車にキズ付けたくないと言う理由で、相方を引っ張り出し着陣しました。
路駐できる道幅ではないので、すぐ出発できるように相方には運転席に乗っていてもらいました。

手作りの「笹子城」の柱をパチッ。
田植えを終えたばかりの水田を眺め、改めて農家の方々のご苦労を思いました。無事に秋の収穫を迎える事を願い出発。

「笹子城」は木更津市にあります。
この辺りは、ヤマトタケル伝説が残ってました。
『木更津』はヤマトタケル君(きみ)が上総に着きました。后を偲んて去らなかったので『君不去』と呼び地名ができたんだとか。

ヤマトタケルが、私みたいに足早に去ってしまったら『木更津』は何と言う地名になっていたのかが気になる「笹子城」攻めでした。

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イオ

ChatGPT

GWは城めぐりにも行きましたし(4か月後くらいに投稿します(笑))、毎年恒例の真田まつりや家族でのお出かけもしましたが、最終日は雨でもあり家でChatGPTで遊んでいました。

存在は前々から当然承知していたものの、ちゃんと使ってみようとしたのは今回が初めて。興味を持ったきっかけは昨今話題になっている「ジブリフィケーション(ジブリ風画像生成)」です。自前の写真をジブリ風に生成するのが主流のようですが、生成AIなんだから元の写真無しでも生成できるのか? と思って「姫路城 ジブリ風に」で画像生成してみると…おお!(写真①) ネット上の写真を元にしているんでしょうけど、水の三門から四門にかけてが違うのと備前丸が公園の森のようになっている以外は姫路城そのものです。それもしっかりジブリの背景風に。

面白くなってきたので、今度は「ひこにゃん ジブリ風に」で生成すると…ドン!(写真②) 確かにジブリ風ひこにゃんなんだけど、何かが違う…。ひこにゃんは猫ですが、こういう猫そのものの座り方はしませんよね。基本は立ち姿だし、座布団に座るときも正座だったはず。

続いては猫つながりで「備中松山城 さんじゅーろー ジブリ風に」で生成ドン!(写真③) うーん、これはかなり違う(笑) 岩盤の上の石垣に天守が建っていたり背後に二重櫓があったり雰囲気は近いんだけど、三重の天守が決定的に違う。何よりさんじゅーろーは? この左側の若侍がそうだといいたいのか?? ならばと「さんじゅーろー ジブリ風に」でドン!(写真④) うむ、やはりこの若侍がさんじゅーろーのようです。擬人化? それとも元ネタの新選組七番隊隊長・谷三十郎のつもりなのか?? 生成AIといっても、姫路城くらいメジャーならともかく一からの生成ではマイナーになればなるほど細部は怪しくなってくるようです。さんじゅーろーは細部が怪しいどころの話ではありませんが。

ここでふと思いついて「購買部のおねーさん」で生成……こ、これはっ!(写真⑤) 具体的な存在のイラストでは細部が怪しくなるとしても、一般的なイラストならほぼ完璧ですね。どこからどう見ても「購買部のおねーさん」です。「ジブリ風に」を入れるのを忘れていたので、ジブリ風に生成し直すとこんな感じ(写真⑥)。すげえ、すっかりジブリ風だ。ChatGPTおそるべし!

…ということで、ChatGPTは直接的には城めぐりの役には立たないかもしれませんが、ジブリ化にとどまらず絵心の無い私でもいろいろと城にからめて遊べそうな可能性を感じる新技術でした。…いや、仕事に活用しろよ(笑)
 

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しんちゃん

北郷氏によって築かれる (2025/05/07 訪問)

安永城の築城年代は確かではありませんが、応仁2年(1468)北郷敏久によって築かれたという説が有るようです。本丸は庄内児童公園になっていて北側から車道が続いていて駐車場もあります。本丸の南に南洲神社があり、西手に堀切と土塁が残っています。本丸北側は堀切道になっていて、北東がかつての二の丸、他にも取添、金石という四の曲輪で構成されていたようです。
元和元年の江戸幕府の一国一城令によって廃城になりますが、その後は麓に地頭仮屋が置かれております。

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しんちゃん

激藪 (2025/05/07 訪問)

山之口城は延元年間に土肥実重によって築かれたとされています。参考にさせていただいたサイトの情報通り激藪なのですが、なんとか登れそうな場所から登ります。リュックもあるので引っかからないように押しのけて行きます。小枝で目を傷つけないように注意。危ない枝や枯れ枝はへし折って除去します。ぶっちゃけ下から見上げるとほとんど「変態選手権」の状況なんですよ。もうええっちゅうのに。
主郭の下に堀切が巡り、北西に郭が一つ付いていて土塁も残っていました。主郭は二段構造になっていて、南側に小さな郭が付いているのですが、ここは地形図アプリの圏外になっています。本当は人工衛星「みちびき」とリンクしていて何処でも繋がるはずなのですが、こんな事は初めてです。

可能であれば城山も、と考えていましたが危ないのでやめます。GPSが効かない上に道も藪で閉ざされているので城山は謎につつまれたままの気がしますね。

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結城左近

分国法制定場所 (2025/04/26 訪問)

塵芥集が制定された場所についに登城。南奥州の大名や豪族を巻き込んだ天文の乱の舞台でもあり立地も街道沿いで見晴らしがよかったです。

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しんちゃん

残念ながら廃校に (2025/05/07 訪問)

郷ノ原城は北郷中学校の敷地内に有るとのことでしたが、訪問して見ると廃校になっていて、多目的運動公園になっていました。お年寄り達がゲートボールをやっていましたね。
正平20年(1365)南朝方の籠るこの城を、北朝方の土持頼宣が攻め落としたとされています。
戦国時代は伊東氏と島津氏がこの地を巡って争っています。
先程も周辺の山城をいくつか攻めて来ましたが、新鮮な熊の痕跡らしきモノが幾つもありました。この辺りに熊はいないと思ったのだけど増えているのだろうか?
何にせよ熊が増えすぎると環境に影響が出てくると思うので、自治体にはしっかり対応してもらいたいものです。

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赤い城

加賀百万石の風格 (2025/04/27 訪問)

ゴールデンウィークの前半で相方と北陸へ行ってきました。
目的は砺波のチューリップだったのですが初日は金沢へ。
お昼を回転寿司で食べ、千里浜なぎさドライブウェイ、21世紀美術館を見学したあと駆け足で金沢城を散策しました、

美術館からまずは辰巳櫓の石垣です。
見上げながら石川門方面に、ここから入らずそのまま外周を回り、大手門に。
ここから入城しました。

新丸は公園になっています。
さらに河北門を通り三の丸へ。
連休と言うこともあり多くの人で賑わっていました。
やっぱりここも外国の方多いですね。

まずは石川門へ。
こちらは搦手の門で枡形になっています。
五十間長屋と菱櫓の前は人が多く写真にならないな、と思いながら鶴の丸から本丸に向かいます。

鉄門から三十間長屋に降ります。
重要文化財なのに何故か人が少なかったです😌

時間も無かったので三の丸を経て帰ることに。
本丸と三の丸の間には堀が切られていて個人的には一番の見どころでした。

金沢城は石垣の博物館とも言われていて時代も異なる多くの石垣があります。
石垣めぐりコースのパンフレットもあるので次回訪問することがあればじっくりと廻ってみたいです。
なので帰りも石垣を見ながら玉泉院丸庭園を経て鼠多門から宿に向かいました。

【見どころ】
 ・本丸と三の丸の間の堀切
 ・本丸と鶴の丸の間の堀切
 ・重要文化財の三十間長屋
 ・多彩な石垣
 ・石川門の枡形

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑫ (2027/04/27 訪問)

中新田城からの転戦です。城びとを始めてから半年たたずしてここを訪れていましたので、一番槍にはなっていますが、投稿した写真は名生館官衙遺跡のものだけでした。マップのポイントが名生館官衙遺跡に打ってあるので仕方なかったですし、名生館官衙遺跡と名生城はかぶっているので、全くの間違いという訳ではないと思いますけれども、ずっと気になる城でした。漸く再訪することができて胸のつかえがとれた思いです。グーグルマップには名生城がちゃんと記されており、その場所には城の説明板がありました。近くには標柱付きの土塁も残っています。そして浄泉院の向かい、内館と思われる場所には見事な空堀が潜んでいました。思わず堀底に降り立ってしまいました。

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Tokyobay

氏政・氏直のツートップ体制 (2025/03/09 訪問)

東堀を出て城山公園側(八幡山古郭側)から土塁や土橋口をチェック。掻揚土塁の高さをあらためて確認。以前は八幡山古郭が北条時代の天守で、現天守は近世のもの。よって、秀吉の小田原攻の時の中心部は八幡山古郭と言われてきて自分もそう思っていたが、近年では氏政・氏直のツートップ体制で、氏政が八幡山古郭、氏直が現天守付近と各々居城していたという説が有力とガイドより説明あり。で、八幡山古郭の中心部分は現在小田原高校になっていて校内には入れないものの、外周部分が見学コースとなっていて、それなりに遺跡は確認可能。そこから百段坂という坂を急降下し、八幡山の高低差を実感。

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カズサン

本丸北東角糒櫓跡高石垣と御座船 (2025/04/26 訪問)

 大坂城への登城を青屋門から入り、日本一と言われる高石垣である本丸北東角糒櫓跡が聳えて迎えてくれる、丁度観光用御座船が極楽橋方向へ戻って来るのでタイミングを待って御座船と糒櫓跡の高石垣をツーショットで撮影、御座船も観光客で満員状態、タイミング良い写真と成りました。
 極楽橋、山里曲輪、姫門桝形、本丸北天端銃座狭間石垣上も人が載って危険状態、マナの悪い外国人がユーチュブでないですがいます、ここは特別史跡大坂城事故が無い事を願うばかり。
 先の2編で写真投稿していない写真で、青屋門(青屋門の人波もAI消ゴムで修正しています)、姫門銃座狭間石垣、天守閣北西角下から、天守閣展望階からの眺め、大坂城の名物「桜門枡形の蛸石」を投稿します。

 今回の郷里の中学校卒関西在住喜寿の祝い同窓会(同級会)一泊二日で予定の神戸海軍操練所跡、花隈城、阪急宝塚線沿線未踏の城探訪、大坂城豊臣石垣館全て見学探訪出来ました。ただ公開時間切れで西の丸乾櫓が内部見学出来なかったことが残念でなりません。
 3篇長々とご覧頂きありがとうございました。
   

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にのまる

長崎港に戻った翌朝、出島へ。 (2025/03/01 訪問)

福江城訪問を終え、九州の未スタンプは金田城のみになりました。(除:沖縄県)

連泊した〈東横イン長崎駅前〉が出島のすぐ近くだったので、翌朝チェックアウトしてから軽い気持ちで行ってみました。

すると、全く知らなかったのですが、この日、西側の水門からの入退場が再開。また行ったのがちょうど開門の時間(午前8時)。
「予定してもなかなかこうはいかないものだから……」と、次のお城に行く時間を繰り下げて出島見学をすることにしました。

そして気づけば2時間ちかく経過。
お城めぐりに出かけても観光やご当地グルメを味わうことはほとんどできていないのですが、はからずも【教科書で覚えたあの出島】で歴史を学ぶことができて、思い出に残る長崎旅行になりました。ちなみにご当地グルメは東横インの無料朝食で皿うどんをいただきました😀

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑪ (2025/04/27 訪問)

城生柵からの転戦です。かなり近くに位置しています。立派な城址碑は、大崎氏の祖である斯波家兼像も建っている八幡神社にあります。大崎氏供養塔もありました。また、長興寺門脇には標柱が建っています。八幡神社の交差点の向こう側には多川稲荷神社があり、拝殿の裏手に土塁が残っています。この後、ちょっと遅めの昼食をとりました。

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にのまる

九州商船フェリーで往復しました。 (2025/02/28 訪問)

平戸城見学後、列車を乗り継いで長崎へ。
毎度お馴染みの東横インに宿泊し、翌朝08:05発のフェリーで長崎港から福江港に向かいました。
片道3時間強の船旅は二等船室で爆睡でした💤

お昼前に福江港に到着。
初・五島列島上陸です。
帰りのフェリーは16:50発なので時間はたっぷり。
五島氏庭園は公開期間外だったので、現地の「総合案内マップ」に従って福江城の遺構や見どころをチェックしながら散策しました。
前日の平戸城(猶興館高校)も、ここ福江城の五島高校も、お城が母校って素敵すぎ!

歴史資料館では映像も全部見て、展示も隅々まで見て読んで学習しました。2時間くらい館内にいたのではないかと思いますが、時間を気にせずにじっくり見られてよかったです。

周辺をひととおり見て歩いてから王直ゆかりの明人堂、六角井に行き、戻って武家屋敷通りを散策しました。

福江港に戻ると16:30発の超高速船ジェットフォイルにも充分間に合う時間。
(これで帰ると速くて快適なんだよなぁ……乗ろうかなぁ……)と心が動きかけましたが、お値段お高めだし急ぐ理由もないので、当初の予定どおりフェリーでのんびり長崎港に戻りました。

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シャンシャン

丸亀お城まつり (2025/05/03 訪問)

お城まつり開催で大変な賑わい。
天守は小さいけど高さ20mを超える高石垣が連なっており、大手門側から見るとまるで要塞のような全景。
今回訪れた最大の目的は、広場で開催された影山ヒロノブのLIVE!今年でデビュー48年とのことだけど、あの声量とステージ上のパフォーマンスは凄すぎる!最後はCHA-LA HEAD-CHA-LAの大熱唱!!笑
そしてライトアップされた本丸に登ると、DJマーク・パンサーによるパーリーナイトが繰り広げられていた!プロジェクションマッピングされた天守の前でパーリーピーポーが踊りまくるカオス状態!昔も形は違えどお城で宴を開いていたんだろうなーなんてことを想像しつつ。
90年代に少年~青年期を過ごした世代にはとっても胸に突き刺さるお祭りでした!!

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しんちゃん

日向新しき村 (2025/05/05 訪問)

伊東48城の一つ新納石城は「日向新しき村」と呼ばれる場所の一帯に上城と下城が築かれていたとされます。武者小路実篤の文章の石碑のゲートは厳重に括られているのですが、左手のゲートが全開になっているのでそこからお邪魔しています。入ってそうそうに放し飼いのワンコが真っすぐこちらに走って来ます。私の周りを一周して真っすぐ戻っていきました。上城とされる畑地を見たあと、豚がこっちを見て威嚇しているようなので帰ろうかと思いましたが、林の中から下城辺りと思われる場所を見て戻ることにしました。

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しんちゃん

マジモードで攻める (2025/04/05 訪問)

坪谷城周辺は地元の教育委員会で研究が進んでいるようだけど山上の遺構の研究はあまり進んでいない様子。城址は山上にあるけど公式の場所には城跡の遺構はほとんど無く、連続堀切が執拗に続く尾根上を登り切った周辺が城趾のようだ。この堀切がかなり険しく、余程ネイティブな山城に慣れた人でなくては危険です。雨の日や足元が怪しいときは下から見上げるに留めたほうが良い。
1つ目、2つ目の堀切が特に険しく、身の危険を感じる程。
一応古い踏みしろも有るのだが、あまり当てにならない。8つ目と9つ目(だと思った)の堀切は二重堀切になっていて、9つ目は尾根に沿って続いている。また西の尾根にも竪堀がついていて、東に登って行くと主要部にたどり着く。公式のポイントは、東の尾根を守る郭の可能性が有る。そこに至るまでの尾根はとても細いが身の危険を感じる程ではない。

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