日本100名城

かけがわじょう

掛川城

静岡県掛川市

別名 : 懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城
旧国名 : 遠江

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掛川城
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カズサン

今年三度目桜の頃 (2024/04/07 訪問)

 掛川城は天守閣木造復元30年目に成ります、令和6年初登城に掛川城を選び天守閣も登閣、3月1日には掛川桜満開の頃登城し、染井吉野桜満開に合わせて3度目の登城、掛川城は掛川桜と染井吉野桜で二度も美味しい所です。
 掛川城天守閣開門30周年記念の祝30周年掛川城満開まつりが3月30日31日に30周年記念事業キックオフとして開催されて居ります、私は出かけませんでしたが掛川城天守閣プロジェクションマッピング、コンサート、ミュージアムマーケットなどが有りました。今後も30周年記念の企画行事があるものと思います。

 今年も桜の満開に合わせて遠州路城廻、浜松城、遠江国分寺、久野城と廻って掛川城へ、車は有料大手門駐車場を利用して大手門、大手橋からの天守閣群の眺望、逆川沿い掛川桜は葉桜、染井吉野は満開、緑とピンクのコンビネーション、緑橋からの眺め、三の丸からの眺め、二の丸御殿のミツバツツジと染井吉野桜、二の丸御殿、本丸より桜と天守閣、太鼓櫓、四脚門と土塀を入れて撮影、桜と城の眺めはいつ見ても良いものです。

 大勢の観光客でにぎわい昼食を城下で取りましたが満席の所が多く3度目に以前食事した老夫婦の店が1席空いたところでようやっと入る事が出来てゆっくりと昼食する事が出来ました。

 この後は勝間田城、諏訪原城へと向かいました。
 

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新ろくべえ

掛川城に行ってきました。 (2024/03/31 訪問)

この城は、今川義元の祖父である今川義忠が、室町時代中期に家臣朝比奈泰煕に築かせた城です。
その後は、朝比奈氏が代々城代をつとめ、城を子角山から現在の龍頭山に移しました。
しかし、今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にすると、今川領は武田及び德川の侵攻によって領土を切り取られ、
ついに、1568年に当主氏真は駿府館を捨て、掛川に籠城。数ヶ月に渡る籠城戦の末、1569年2月に開城した。
掛川城には、石川数正の叔父、石川家成が城代として入城。武田軍との激しい攻防戦の中でも落ちることなく、
德川の城として、石川家が城代をつとめ続けたが、1590年豊臣秀吉により関東へ移封となると、
秀吉の命で山内一豊が五万石で掛川に入城。天守を築き、近世城郭へ変えた。
1600年、関ヶ原の戦いにて山内一豊は東軍につき、その功績により土佐・高知城22万石に移封され、
松平→安藤→松平→朝倉→青山→松平→本田→松平→北条→井伊→松平→小笠原→太田→(德川)と
譜代大名によって治められた。
1854年安政東海地震により天守、二の丸御殿などの建物が倒壊、
天守は再建されなかったが、二の丸御殿(重要文化財)は1861年に再建した。
その後、1994年。日本初の木造で天守が復元された。(白河小峰城とも)
1995年には、元の位置から50m離れたところに大手門も復元された。

【城情報】
・形式       ❙平山城
・築城年      ❙1469年~1487年頃
・廃城年      ❙1871年
・築城者      ❙朝比奈泰煕
・最後の城主    ❙太田備中守資美(德川家達)
・廃城理由     ❙大政奉還のため(廃藩置県のため)
・主な城主     ❙朝比奈→石川→山内→松平→安藤→松平→朝倉→青山→松平→
          ❙本田→松平→北条→井伊→松平→小笠原→太田→(德川)
・遺構       ❙ 石垣、掘、土塁
・主な建築物    ❙天守、二の丸御殿、大手門
・説明看板、石碑  ❙両方有り
・駐車場、トイレ  ❙両方有り
・天守       ❙有り
・保存状態(自身判断) ❙遺構が良く残り、当時の姿が色濃く残っている
・城レベル     ❙4(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙最後の城主太田氏は太田道灌の家系
          ❙駐車場が満のところが多い

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トベシュン

静岡県7城巡り (2024/03/24 訪問)

静岡県7城巡りしてきました。
山中城跡、興国寺城跡、駿府城跡、諏訪原城跡、高天神城跡、掛川城、浜松城

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カズサン

掛川桜満開と木造復元天守閣30歳 (2024/03/01 訪問)

 今年も掛川桜の咲く時期に掛川城へ出かけました、掛川桜は満開で菜種梅雨の長雨と風で少し散り気味なところも有りましたが問題無く大手橋から瓦橋間の外堀役目の逆川両岸に咲き揃う掛川桜を眺めて天守が見えると写真を撮り楽しんできました。
 
 天守閣には登りませんでしたが本丸、二の丸御殿周辺も足を運び見学写真撮影、現在天守閣東下の腰曲輪屋根付土塀の白漆喰、と劣化した板屋根の修復作業中でした、二の丸御殿の南玄関周りの土塀も修復仮足場が掛って居ました、期間は今年の9月頃までとの事。

 今年は日本初の木造復元天守閣30年目の年と成ります、何かイベントが有るのでしょうか今のところアナウンスを聞き込んでいませんが、何かあるのでしょう!

 沢山の観光客、地元の散歩中の人、お子さんとお母さんのグループなど大勢の方で賑わっていました。

 駐車場:掛川大手門駐車場を利用。

 写真投稿致しますが昨年と同じ様な所からの写真に成りますご容赦ください、ビューポイントは余り変わりませんでした。
 

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概要

戦国大名今川氏の重臣・朝比奈氏の居城として築かれ、その後徳川家康から豊臣家臣の山内一豊の手に渡り、三重の天守を持つ近世城郭へと大幅に改修された。天守は幕末に取り壊されたが、平成6年に高知城を参考に復元。大変貴重な書院造の二の丸御殿や太鼓櫓が現存している。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 文明年間(1469〜1487)
築城者 朝比奈泰煕
主要城主 朝比奈氏、山内氏、太田氏
文化財史跡区分 国重要文化財(二の丸御殿)、国重要文化財(油山寺山門(移築大手二之門))
近年の主な復元・整備 山内一豊
天守の現況・形態 型式不明[3重/1590年頃築/倒壊(地震)]、不明[3重/1621年再/倒壊(地震)]、複合式望楼型[3重4階/1996年再/木造復元]
主な関連施設 復元天守、復元門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、二の丸御殿、太鼓櫓、石垣、土塁、横堀、井戸、移築門(油山寺)
住所 静岡県掛川市掛川
問い合わせ先 掛川市役所観光交流課
問い合わせ先電話番号 0537-21-1121