ゆのたじょう

湯野田城

佐賀県嬉野市

別名 : 嬉野城
旧国名 : 肥前

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しんちゃん

湯野田城 (2025/05/10 訪問)

湯野田城の続きです。一度本丸から降りて歩いていると途中で案内板を発見して、北側にも郭が有ることを知りました。下側からも道が続いているので、北上して階段を登って行くと、出丸を経由して本丸に出ました。戻って来ちゃった・・。
改めて縄張り図を見ると、本丸からも北の郭に道が付いているので、迂回して北の郭にたどり着きました。これでひとしきり城内の探索は終わったわけだ・・やれやれ。
この日は、日在城の訪問は取りやめにしました。この二日ほどの訪城で本調子で無いことを実感しています。だいたい65%くらいの状態です。日在城は岩場(崖?)の有る城で、藪の中を直登しなくてはいけない。道を間違えて岩場から落ちると危ないので、体調と装備をしっかり整えておく必要があります。この状態で登っても、9割がた大丈夫だと思うけど、残り1割が不明です。少なくとも8割以上の状態を維持して登りたい城ですね。
今回の旅行で、だいたいゾーンに入って維持できるのが5日くらいだということが解りました。その間なら、たいがいの城はクリアできるけど、そこから外れると危険な城は避けた方が賢明ですわ。今回の旅行は、今の自分の状態を確認できたのが最大の収穫でした。

最後の写真は、二日前に鹿児島のコンビニで食べたゴディバのストロベリーフラッペです。一つ500円で、なかなかのお値段ですが、自分へのご褒美に買いました。サンプルの写真がおいしそうだったので、購入してかきまぜてみたのだけど、なんか写真のようにならない。ストロベリーなのに全部茶色でイチゴ感が無い・・。適度な抵抗のあるブツをずっと、ぐるぐるかき回していたら、なんか・・・「肥だめ」をかき回しているような気分になって来た・・。いや、確かに美味しかったんだけど。

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しんちゃん

嬉野氏の城 (2025/05/10 訪問)

湯野田城は標高106m・比高45mの丘陵上に築かれており、丘陵全体を巧みに城塞化していて、思った以上の城域を持っています。現在は嬉野公園として整備されていて、主郭には権現社が祀られており、麓より石段が伸びていますが、この石段は経年劣化で安全性に問題が有るため使用することが出来ません。迂回路にそって登って行くと副郭の南東に腰郭が有って、そこから副郭(二郭)に登ります。副郭は主郭の東に在り、広く居住性も良さそうです。主郭から副郭の北側に沿って土塁が伸びており、そこを登って行くと権現社にたどり着きます。
権現社の先が主郭とされ、見張台の様な巨石があり、裏側に登り口が付いています。主郭周辺は貯水施設になっていますが、南東まで回り込んでいくと、道が郭の外周に沿って付いていて北の郭まで行くことが出来ます。北の郭は上下二段になっていて、それぞれが十分な広さを持っています。大まかに北郭と南の主要部に分けることが出来、間を城谷と呼ばれる天然の堀が横切っています。副郭の北東には出丸もあり、案内板を見ると竪堀が付いているようです。コンパクトな丘陵上に築かれていますが、郭の総面積は大きく、思った以上に見ごたえのある城址です。

湯野田城は別名・権現山城や嬉野城ともいい、応永12年(1405)には反室町幕府の勢力の城として「宇礼志野」という記載が残っているため、このころから城が有ったともされています。嬉野(宇礼志野)氏の城とされますが、稲佐城の嬉野通久が天文2年(1533)に当地に移って築いたとする説もあるようです。嬉野氏は湯野田城の他に日守城を本城としており、初めは有馬氏に従っていたが天文4年(1576)に龍造寺氏に寝返ったとされています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 嬉野(宇礼志野)通久
築城年 天文2年(1533)
主な城主 嬉野氏
廃城年 不明
遺構 石垣
住所 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿屯城丙2524
問い合わせ先 (社)嬉野温泉観光協会
問い合わせ先電話番号 0954-43-0137